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する側じゃなくてよかったという話

ちょっと重めで長いお話

中学校の頃のお話
わたしの地元は狭い
基本、保育園から中学校まで
同じメンバーで過ごす場所だった

一部のメンバーは小学校は別れるけど
また中学で同じになる

3歳から15歳まで12年
長い間ずっとにいると家族みたいになる

わたしは、小学校は別のところに
行くメンバーだった

小学校は小さな学校だった
全校生徒が14人とか
卒業式がない年があってその時は
学校にテレビ取材も来たことがあった
みんなが家族みたいで楽しかった

中学で合同して初めはよかった。
けれど思春期あるあるなのか
いじめが始まった
ターゲットはわたし

でもいじめって分かるくらいのいじめではなかった

いじめなのかどうなのか分からない
ぎりぎりライン
今思えばいじめというか嫌がらせに近い

例えば靴の中に消しゴムを入れられる
多分これが画鋲ならハッキリといじめと
言えるだろう

すれ違う時ぶつかってきたり。
陰口は普通にあった
内容はもう忘れたけれど。

極めつけは体育の時間、バスケットボールをぶつけられた
名前を呼ばれ振り返ったらボールが飛んできた
みんなが心配してごめん!大丈夫?と言ってくれた。
でもわたしにはわかった。

"絶対保健室行ったほうがいいよ"
その一言であぁ、わたしがいると邪魔なんだなと
運動が苦手でいつも足を引っ張ってたから

それで行こうと思って体育の先生に言ったら

"そのくらいなら大丈夫。参加しなさい"
と言われた。わたしは体育の先生にも
嫌われていた。

案の定戻ったら
"なんで保健室行かんの"
"戻ってくんなよ"
コソコソ聞こえた。ほらね。


でもわたしは不登校にはならなかった
たぶん、強かった。
味方は誰もいなかった
ただ唯一の救いは1.2年の時の担任の先生

もう学校行きたくない
不登校になりかけてた時

"いじめとるやつが普通に学校来て、なんでお前が来れんくなるんや。おかしな話じゃないか?"

そう言ってくれた。
何かあったらいつでも話聞くから。
ずっと見守ってくれてた。

実際その先生とは今でも連絡取り合ってる

でも未だに地元に帰って中学の時の人に
会うと怖い。ガタガタ震える
球技は見るのでさえ好きじゃない。

未だに夢も見る。
最近は泣きながら目覚めることはなくなった。

きっとあの人たちはもう覚えてない
でもされた方はいつまでも覚えてる
忘れたいのに忘れられない

ラウワン行って運動したり、バスケもやりたいけど怖くて出来ない。
ほんとバカみたいと思う。

ただ、いい経験だったなとは思う
中学校生活、全然楽しくなかったし
卒アルは怯えた顔してるのしかないけど笑

いじめる側にならなくてよかったなって
ただそれだけ。ありがとうって感じ。

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