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私にとっての女性差別問題

殴り書き。衝動的に文字に起こしたくなったけど、fbでタイムライン荒らすのも...という時にnote使うことにしました。ゆえに内向的文章。

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最近特に女性差別問題が無性に引っかかる。元々ジェンダー問題に関心が強かったけど、どちらかと言うとマイノリティの話についてだった。
なんでかって、自分のことを女性だと思いたくなかったから。世間から「女」という枠にはめられたくなかったから(まあ今もだけど)。あくまでもひとりの人間として扱われたい。となると性自認が中性寄りになる。2つに分けられたくない、マイノリティに寄りたいという願望もありました。

実際子どもの時は親に君付けで呼んでと頼んだ(それはそれでズレてるw)こともあるくらい、女らしくすることに窮屈さしか無かった。だから男の子に間違われると喜んでました。
一部おままごとのような女の子っぽい遊びも好きだったけど、使う人形は仮面ライダーでした笑

その根本は、男らしくなりたいのではなく、女らしくすることを強いられることへの違和感が増幅したものかなと解釈しています。

はじめは男になりたかったけれど、物心ついてからは「カッコイイ女性」も憧れの中に入ってきた。これは、その頃になってやっとそういう存在があることを知ったからかなと。それまでは、かっこよくなる=男らしく という認識しかなかったです。

そんな私は、極端すぎて友達にも許してもらえてたのと、親が寛容だったので変に抑圧されなかった(いやそれが普通であるべきだが)おかげで学校ではのびのびしてた。いわゆる「オトコ女」でした。良かったのは、小学生の時男女間で対立があると、自分の意見によってどっち側につくか判断できてたこと。(大抵どっちにも一理あって迷ったんだけど)
これこそが自分の置かれたい立場でしたね。性別というレッテルを貼られない。

でもやっぱり大人に近づき世の中に出ると素は出しづらく、調整しなきゃいけなかった。

しかも女子校から大学に入ったら、男子には男子の大変さがあって、女子は何だかんだで優遇されがちなので神経鈍らせてれば楽ではある。そんなこんなで女の枠にはまっていた方が一般的な立場にいられてスムーズに生きられる。

大学に入ってそのことに気づき慣れ始めた頃、ちょうど男性の恋人も出来ました。それがきっかけで、自分の中の女性性を自覚する機会もぐんと増えました。
今は、女性らしくすることが一律に自分の意思に反しているとは思いません。でもやっぱりおしとやかには振る舞えないし、女らしく可愛くいることが求められると不本意なことも多くあります。

そんなこんなで私は、「女子」というカテゴリの中で生きるボーイッシュなポジション、に収まることになりました。

けれど、結局性別だけでトータルでは不利な立場に置かれる。社会的弱者であり、不当な扱いを受けることもまだあります。

せっかく世の中に順応した自分に辿り着いたのに、今度はこれかよ!ってことに私は怒り心頭なのかもしれません。

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