見出し画像

「また連絡しますね」詐欺と会うのに必要なエネルギー

昨日の投稿を書いているときに、ふと、自分はとんでもなく「また連絡しますね」詐欺をはたらいていることに気づいた。

いや、ぶっちゃけ確信犯的な部分があるのは自分で分かっている。でも言い訳してもいいのなら、私は海外で主に仕事をしているため日本でゆっくり期間が限定的なのだ。若い時は予定詰め詰めでできるだけ多くの人と会うことをしてたけど、年を取り、なぜそんな無理をしなければならないのか、日本で自分の時間を過ごすのが大事になってきてしまい、タイミングが合わなかった人に会わないケースがここ数年でものすごい増えた。

そして人と会うことというのは自分にとって膨大なエネルギーが必要なのだ。

そこそこの人嫌いのため、まずお出かけが面倒くさい。もーそれはそれは面倒くさい。事前の調整が面倒くさい。準備が面倒くさい。電車の乗り継ぎを調べるのが面倒くさい。駅の出口を調べるのが面倒くさい(調べても迷うし)。お店を選ぶ工程が面倒くさい(選択肢与えなくていいから選んでくれ)。ただの面倒くさがり屋なのだけど、一人で気にしなくてもいいことを人と会う時に気にしなければならない、当たり前なのだけどエネルギーがいるのです。

そしておそらく一番の問題は、ここ数年で自分自身に色々なことが起き(というか起こし)変化がありすぎて説明が面倒くさいのだ。また面倒くさいんかいっつう話だけど。

10年と言わずともここ5年くらいで、起きた事件たち。
①離婚
②拠点を一時日本
③まったく別の業界に一時的に転職
④③の会社が昭和パワハラ王国で病み休職
⑤心身ともにしばらく病む
⑥母と対決、それにまつわり友人に初めて親のことを話す
⑦現職に就き引っ越し
⑧頻繁に担当する国が変わる(進行形)

これをね、数年ぶりに会った人に説明せよ、って結構大変なのです。ま、話しませんけど。でも節目節目で色んなことが起こりすぎて、ジェットコースタードラマチック波乱万丈破天荒ライフを送っていて、しかも一つ一つが微妙に繋がっているから切り離しては語れないし。

だから会いたいと言われた人との関係性を思い出してみて、自分のどの時点でどの自分まで知っているのか、もしくは知らないのかを思い出してみて、それで躊躇してしまうことがある。会いたい気持ちがあっても、実際に会うことが果たして自分にはできるのかと考えてしまう。

ペンディングになっている、「また連絡しますね」詐欺をはたらいてしまった会えていない人たち。結構時間が空いてしまったけど、私と会ってくれるのだろうか。筆不精で声掛けも苦手である。

会いたい人と会える人はちょっと違うのかもしれない。会いたいのに踏み出せないし、エネルギーが足りていない。