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好きって何?


〈シナリオ〉

◯空港・ロビー

 梨奈(20)が大きなキャリーバッグを引いて歩いている。

梨奈ナレーション「今日、語学留学していたアメリカから帰ってきた。半年ぶりの日本。彼に会えるのも半年ぶり。もちろん、つきあっているから連絡は毎日のようにとりあっていた。けれど、ひと月まえあたりから、何か彼の様子が変になった。どう変になったのかは、はっきりとはわからないのだけれど、彼の態度にはとにかくどこか違和感があった。浮気? ううん。彼はそんな人じゃない。そんな人じゃないとわたしは信じている。それに、女の勘っていうか、浮気ではないような気がする。浮気でないとしても、何か変だということはわかる。わたしは一刻もはやく彼に会って、その違和感は何なのか確かめたかった……」

◯喫茶店・内

 窓辺のカウンター席に梨奈と純也(21)が並んで座っている。

 梨奈は紅茶、純也は珈琲。

梨奈モノローグ「……やっぱり、何かおかしい。一緒にいて、いつも感じていたものを感じない。何かが、欠けている。何かが、すっぽりとなくなってしまっている。もう、好きではなくなったのかな? 半年のブランクは、大きかったのかな? 不安だ……はやく、安心したい……」

梨奈「ねえ」

純也「うん」

梨奈「わたしのこと、好き?」

純也「えっ?」

梨奈「好き?」

純也「すきって?」

梨奈「えっ?」

純也「何?」

梨奈「いや……ちょっと、いやだ、恥ずかしいじゃない」

純也「いやいや、えっ? そんなつもりはないけどさ、ねえ、ほんとに、言ってる意味がわからないんだよ。すきって、すき焼きのすき?」

梨奈「そう。いやちがう。いやそうなのかな? すき焼きのすきってどういう意味だったっけ? 知ってる?」

純也「知らない」

梨奈「そう……ねえ、ほんとに、好きって意味がわからないの?」

純也「わからない」

梨奈「何か、変なもの食べた?」

純也「食べてないよ」

梨奈「最近、頭打った?」

純也「いや、打ってないけど」

梨奈「好きよ、好き」

純也「わからない」

梨奈「だから好きよ、好きって、好きなの、大好きなの、大好きなんだから。もう、こんなに好きって連呼したことなんかないわよ」

純也「まあ、落ち着いて、紅茶でも飲んで」

梨奈「うん、わかった」

 紅茶をゴクゴク飲む梨奈。

純也「そんな風に紅茶を飲む人間を初めて見たよ」

 飲み終えて、カップを置く梨奈。

純也「落ち着いた?」

梨奈「落ち着いた」

純也「よかった」

梨奈「(ぼそっと)……I LIKE YOU っていう意味よ」

純也「ん?」

梨奈「ILIKE YOU って意味」

純也「ならわかるよ」

梨奈「なんだ、びっくりした~。やだもう、その歳で物忘れでもしたの?」

純也「ああ、かもしれないなあ」

 笑い合う、ふたり。

純也「で、きみはぼくのようだって、どういう意味?」

梨奈「ちがう」

純也「ちがう?」

梨奈「ちがう。わたしはあなたのようだって、そんな流れの会話じゃなかった」

純也「確かに」

梨奈「それはわかるんだ」

純也「これでも一流と言われている大学の学生だから」

梨奈「ごめんなさい。バカにしたわけじゃないのよ。ただ、あまりにもあなたがふざけてるから」

純也「ぼくが? ふざけてるって? どうしたの、きみこそ。ふざけてるのはきみのほうじゃないかな」

梨奈「えっ」

 窓外の公園ではこどもたちが駆け回っている。 

 日曜日の午後の何気ないおだやかな風景。

 しかし、ここは何やら風雲急を告げている。

 純也、冷めた珈琲をひとくち飲む。

梨奈ナレーション「これか……わたしはこの瞬間、理解した。感じていた違和感の正体。うん、純也はふざけてなんかいない。彼の目を見れば、それはわかる。そこでわたしは、それを確かめるため、ある質問をした」

梨奈「怒らせたならごめんなさい」

 カップを置く純也。

純也「ううん、怒ってなんかいないよ。ただきみこそ、アメリカに行ってどうかしちゃったんじゃないかって心配になっているだけだよ」

梨奈「わたしは……わたしは、何も変わってないよ。ただ、あなたのことが、ス……、LOVEなだけなの。LOVEってわかる?」

純也「ラブ」

梨奈「そう、ラブ」

純也「愛だね」

梨奈「そう! 愛」

 と、目を輝かせる梨奈。

純也「すごいなあ。やっぱりアメリカに行って大胆になったね。最初は反対したけど、そうなってくれてうれしいよ。ついに相手として、認めてくれて。そっかそっか……」

 目が?になっている梨奈。

梨奈ナレーション「ハッキリ言って、さっぱり意味がわからなかった。彼が何を言ってるのか、わたしにはまったく理解不能だった……」

 純也、スマホを取り出し、何やら検索し始めた。

純也「ああ、あったあった。近くにあるよ。今からもう行く?」

梨奈「どこに?」

純也「ラブホテルに」

梨奈「ラ、ラ、ラブホテル?」

純也「ラ、ラ、ランドって言うのかと思った」

梨奈「そうなんだ……ううん、そうなんだ、じゃくて、えっ、どうしてそんな展開になるの?」

純也「ラブって言ったじゃん」

梨奈「言った」

純也「ラブって、そういうことじゃない。だからラブホテルって言うんじゃない」

梨奈「まさか……ラブって、セックスのことなの?」

純也「それ以外にどんな意味があるの? ああ、そっかあ。そういうことだったのかあ。勇気だして、隠語まで使ってぼくの気持ちを確かめていたんだね。恥ずかしかったよね。知らないふりして、恥ずかしかったんだよね。気づけなくてごめんね。そんなかわいいところは変わってなくて、やっと安心したよ。何かトリッキーで、まわりくどかったけど、でももう大丈夫、ちゃんと伝わったからね」

 コンビニ寄って行くよねとか言いながら、嬉しそうにスマホをいじっている純也。

 梨奈、スマホを取り出し、震える手でそっと「好き」と検索してみる。

 もしかして、鋤ですか? と出てくる。

梨奈「……」 

 梨奈、やがて純也の横顔を見つめる。

梨奈ナレーション「わたしはある仮説をたてた。一か月前、日本からは“好き”という言葉は消えてしまった。いや、そのとき日本にいた人間から“好き”という言葉が消えてしまったと言ったほうが正確かもしれない。そうか、彼はずっとヤリたかったのだ。だからはやく会いたいとか急に言い始めたのだ。おそらく性に関するデリカシーや何か大事なものも消えて、性欲だけが前面にでるようになってしまったのだ。ヤルことが、好きなことなのか? ヤルことが、愛していることになるのか? わたしは嬉々とした彼の横顔を見つめながら、そう自問していた……」

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