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ハレンチ/ザ・フォーク・クルセダーズ
どうでもいい人、というのが、自分には似合っているような気がします。好かれても嫌われてもいない、路傍の石のような存在。そういうのが自分にはふさわしいような気がします。ある意味では自由なんですけど、良くも悪くも誰からも気にされないというのは、それはそれで淋しいものでもあります。それでも、そういうのがぼくっぽい、ぼくにふさわしいような気がするんです。
どうしてこんな風に考えるようになったのか。それはよくわかりません。ひょっとしたら、自分の存在や言動が誰かに何かしらの影響を与える、というのがイヤで、こんな考えに固執してるのかもしれません。その辺りはよくわかんないです。「どうでもいい人になりたい」ではなく、「どうでもいい人こそ自分にふさわしい」なので、なんかまたちょっとこじれが混ざってるような気がします。
でも、言うほど気落ちしてるわけでもないです。今はそんな気分ですけど、3時間もしたら忘れてそうな気もします。今は日記に書くために、敢えて気分を留めてるとこがあります。おじさんになって、思い詰め続けることが苦手になってきました。これは年をとってよかったことの一つな気がします。
あるいは、さっきからフォーククルセダーズさんを聞いてるから、こんなミョーなことを考えるのでしょうか。まったく関係ないですかね。ないですよね。自分でも関連あるとは思えないですでぃ。でも、なんかあったらちょっとおもしろいですね。
えと、「紀元弍阡年」? 字あってますかね。それだけは、前に聞いたことあったんですよ。でもそれだけで。なんなら、他にアルバム出てることすら知りませんでした。ひょんなことから見つけたんです。こっちには「イムジン河」入ってるじゃないですか。あのいろいろ物議を醸したとかいう。「紀元弍阡年」には入ってなかったんですよねー。その代わり、こっちには「悲しくてやりきれない」がないですけど。
くだんの「イムジン河」、今回初めて聞きました。なるほどー、これがその曲なんですね。うん。バックグラウンドとかよく知らないんで、よくわかりませんでした。フツーにいい曲だなって思っただけでした。なんかひどいですね。すんません。
そもそもは、解散記念としての自主制作盤とのことらしいですが。ウィキペディアによると。なんていうか、大半がカバーなことないですかね。気のせいかしら。オーラス「雨を降らせないで」は、これはライブ音源なんですかね。なんとなく、3曲ぐらい混じってるような気もします。もっとかも。
バンド名が「ザ・フォーク・クルセダーズ」じゃないですか。まあフォーキーなのは、だからなんですかね。フォーキーというか、使ってる楽器がアコギ主体ってだけな気もします。雰囲気としてはむしろラジカル? アバンギャルド? な気も。ジャケットの印象に引っ張られてるんですかねー。
「帰ってきたヨッパライ」は、こっちにも入ってました。この曲、途中で車のクラクションの音が入るじゃないですか。そこがどうも苦手で。何回聞いても、そこはビクッとしちゃうんですね。まあクラクションにビクッとするのは悪いことじゃないような気もしますけど。音量差みたいなのがハンパないので、いつまでたっても慣れません。