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アヤナミレイとシンジの関係性、および作劇的ガジェットとしてのアヤナミレイの考察

シンエヴァンゲリオンにおける、アヤナミレイというキャラクタについて、ふせったーに記載した考察を改訂、追記してまとめました。

以下、アヤナミレイについて本編の重要なネタバレを含んだ考察です。


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アヤナミレイの作劇上の最も重要な役割、それはシンジの概念的な「子」になることだったのではないだろうか。

「子」は自意識がおぼつかない内は、親へ無条件に好意を寄せる。
アヤナミレイも、シンジに無条件に好意を寄せるように作られている。
シンジは無条件に自分という「親」を慕う「子」たるアヤナミレイの献身により立ち直り始める。

圧倒的に「子」として描かれてきたシンジが、「子」に救われるのだ。

「子」は誕生して「名」を与えられる。
そして、「子」に「名」を与えるのは「親」の役目である。
しかし、シンジは「子」に請われながらも「名」をつけられず、アヤナミレイという「子」はシンジという「親」の目の前で文字通り「流れて」しまう。

胸が痛む表現だが、「水子」になってしまったのだ。

シンジがどうしようとアヤナミレイの運命は変わらなかったが、シンジは「親」として「名付けによってアヤナミレイを『綾波レイ』以外の何かにする」役目を果たせなかった。
だから最後にアヤナミレイのプラグスーツは「綾波レイ」の白になる。
アヤナミレイは「綾波レイではない誰か」になることが出来なかった。

シンエヴァでは、わりとはっきりと、大人になることは「子(次の世代)を守ること」と描かれている。
人類を守るヴィレの長たるミサトが母親になったこともその象徴だろう。
シンジはトウジやケンスケと触れ合うなかで、覚悟と責任を学んでいくが、彼を「大人」にしたのはアヤナミレイという「子」の死だ。
シンジは作中のキャラクタではおそらく他にいない、「子の死」を体験した「親」になった。
しかし、シンジはアヤナミレイに特に何かしてやったわけではない。
彼女により親らしいことをしてやったのはヒカリ達村の人々だ。
なのに彼女はシンジという親を慕ったまま、「もっとここにいたかった」「もっとしたいことがあった」つまり、「もっと生きていたかった」という心情を吐露しながら死んでしまう。

「親」が望む望まないに関わらず、「子」にとって「親は親」なのだ。
「子」は存在するだけでその事実を容赦なく「親」に突きつけてくる。

ゲンドウはそれに耐えきれずシンジを遠ざけた。
しかし、シンジはこの「親の責任」を全うできなかった体験により大人にならざるを得なかった。

ゲンドウと同じステージにシンジを立たせるために、彼をを「親」にする鍵、それがアヤナミレイだったのではないだろうか。

そして、アヤナミレイの「親」はシンジだけではない。

我々観客もアヤナミレイの「親」なのだ。
始めてみる世界に目を輝かせ、徐々に人間味を帯びていくアヤナミレイ。
多くの人は彼女に愛しさを感じ、彼女の未来をもっと観たいと「親」のように思ったことだろう。
そんな彼女の突然絶たれた未来に何を感じどう思っただろうか?
彼女が愛した世界と人々を守り、ゲンドウの陰謀による悲劇の連鎖を止めなくてはと感じた人も多かったのではないだろうか。
アヤナミレイは物語の最終局面に向けて、我々とシンジの同調を強くさせる役目も負ってくれたのだ。

Qの時点では綾波レイのクローンの一人でしかなかったアヤナミレイがここまで愛しく、作劇上重要なキャラクタになるとは思いもしなかった。
エヴァの消えた世界で、一人でも多くの「アヤナミレイ」が幸せであることを願わずにはいられない。

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