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シンヱヴァンゲリオン劇場版を観てきたよ:感想と考察(ネタバレあり)

シンエヴァ観てきました。

以下、ネタバレありの感想と考察です。ふせったーに書いた内容を大幅に改訂してます。長いです。





総評
まず率直に、面白い作品でした!
個人的に観たかったシーンは全て見せていただきました。
製作者の皆さんありがとう。

個人的には、アベンジャーズ:エンドゲームと似た構成だと思いました。
具体的には、観客の予想を良い方向にことごとく外しながらも、期待にはしっかり答えている点です。
エンドゲームで5年後に飛んだり、タイムスリップしたりするなんて誰も思わなかったように、成長したトウジやケンスケの再登場やミサトの息子の登場、ケンスケとアスカの関係性、サクラの激昂と発砲、レイではなくアスカをトリガーとしたアナザーインパクト等々、予想もつかないことだらけでした。
一方、期待していたシンジの覚醒、加持の顛末、シンジとミサトの和解、シンジとゲンドウとの対話、大人になったチルドレンたち等々の描写はきっちり押さえてくれました。
驚きと喜びが交互に来る展開は、150分近い上映時間の長さを微塵も感じさせず、作家性を出しつつもエンタメとしての面白さは保たれた作品としての質の高さがありました。
以下、項目に分けて感想と考察の詳細を書いていきます。


シンジの成長のために必要だった村パート
トウジたちの集落のパート、個人的にはアクションより好きです。
サブキャラに過ぎなかったトウジやケンスケをはじめとした、生き残った個々人の胸中や、彼等が生きるためにしてきた努力が語られ、細やかな生活の描写を通してアヤナミが感情を得ていく描写にはとても心を動かされました。
そして、この村パートでいかに「Q」までの世界、具体的には「シンジが認識している世界」が限られたものであったかということを実感させられました。
世界には自分以外の人間が沢山いて、一人一人が一生懸命に生きているという当たり前のことが子供のうちはあまり見えません。
大人になるということは、他者の世界を知り想像すること、多様性を知ること、差異を受け入れること、そして責任を取る覚悟を学ぶことだと思います。
長く尺を取られた村パートはそれらをシンジが学び、大人になるために必要だったのではないでしょうか。


解消された親達の不在
村パートからエヴァンゲリオン世界から決定的に欠けていたものが現れ始めます。
それは「生きた母親」です。
ヒカリ、ミサト、村に住む母子、妊娠した女性、猫。
そして、トウジやヒカリの父、加持といった拒絶や抑圧の象徴ではない父親達。
シンエヴァでは、それまでディスコミュニケーションばかりに焦点を当てられていた不健康な「親子関係」ではなく、親(大人)たちが子を産み、守り、生かそうとする普遍的な強さとベクトルを持った物語が描かれました。
親の不在が解消され、子もまた親(大人)になることが示されエヴァンゲリオンという世界の欠落が埋められたのです。
シンエヴァは再生の物語であるとつくづく感じました。


シン·ゴジラとは別ベクトルの震災後の世界
終盤、明らかに津波を想起させるシーンがありましたね。
個人的には、世界が壊れた後も前向きに逞しく生きる人々を描くことを通して、庵野監督はシン・ゴジラとは別のベクトルで「震災後」を描いたのではないかなと思いました。
シン·ゴジラは強い怒りと恐れを感じさせる作品でしたが、シンエヴァでは復興への希望を感じました。
もしかして、「シン」がつく理由はこれ?(どこかでちゃんとした理由が述べられていたらすいません)


細々とした個人的に響いた点
·ミサトさんの息子を「僕は好きだよ」と言うシンジ。相手が自分のことをどう思っているか関係なく自分の意思で「好き」と言えるようになったシンジの成長に泣きました。
·リツコさんの見事な連続ヘッドショット。旧劇の彼女の最期を想うと彼女がゲンドウの呪縛から解放されて本当に良かったと思います。
·アスカとケンスケ。アスカのそのままを受け入れ支えるケンスケが男前でした。お幸せに。
·北上の「変!」。変ですよね。病んだ妄執を一蹴してくれてありがとう。
·マヤの「若い男は」発言の伏線回収。彼女の男性嫌いの潔癖症というコンプレックスまで救ってくれましたね。ありがとう。

旧劇との比較とマリについて
最後に旧劇との比較として、ぶっちゃけ映画の最終的なメッセージは旧劇と同じで「現実で生きなさい」ということなんだと思いました。終盤のメタ的演出からしてそんな感じでしたし。
しかし旧劇よりはるかにアプローチが「陽」であり、自己肯定感と希望に満ちていました。
メタといえば、マリの存在は一応の説明がされましたが、終始メタだったなと思いました。
彼女は最後にメタの世界を突き破ってシンジを救いだします。
マリの役目はトリックスター、そしてデウスエクスマキナとして旧いエヴァという物語を破壊し、新しいエヴァの物語の新生することであり、シンジがアスカでもレイでもカヲルでもなく、最後にマリを選ぶのは、エヴァという物語、「定められたシナリオ」という呪縛からのキャラクタの解放であり、祝福すべきことではないかなと思いました。

彼らの人生に幸あれと思います。


長くなりましたが最後までお読みいただきありがとございました!

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