出身とは

何回もnoteは書いてきましたが、恥ずかしくなっては消すの繰り返しをするなかで、かれこれnoteを始めて5周年になるみたいです。そんな通知がこの間来てました。

偽りの初投稿、出身のことについて思うことがあるので、書いてみることにします。

大学生になって、出身は?と聞かれることがとっても増えました。まあ、当たり前のことなんだけど、私としてはとても『うぁ!聞きやがったかっ!く〜』となる質問なのです。

出身がない

この質問に対していつも私は
「そうそれが出身がなくて...」と答えている。
なくて...と後を濁すことで続きがある雰囲気を最大限含ませながら、『え?それってどういうこと?』っていう顔をしている相手に
「転勤が多くて、2,3年に一回引っ越してるんだよね」という事実を述べると
『あ〜、そういう感じね』と言われる。

え〜っと、
なにが『そういう感じね』じゃボケ

ここで割とポイントとなるのが、引越しの頻度を伝えることである。
実際平均して2,3年(長くて4年、短くて2年くらい)なのだが、これを言わないとたまに引っ越しがあるくらいに思われることがほとんどだから。

自分の周りにいた転勤族は皆父親と同じ職業の人たちだったので、世の転勤族がどれくらいの頻度で引っ越しをしているのかは知らない。
しかしこれに追加して引っ越し個性を高めるポイントとして重要なのが引っ越した場所の津々浦々度通った学校の数である。

津々浦々度 : 福岡→茨城→静岡→東京→島根→兵庫→宮城→大阪
通った学校の数 : 小学校3つ(弟に関しては4つ)、中学校2つ

とまあこんな感じである。
がゆえに、出身がない、と言うしかないのである。
納得でしょ?
特定の場所に特に長く住んできたというのがないのである。そしてそれぞれの土地に、満遍なく、ちょこっとずつ、思い出も不満もある。

=ふるさとがない?

そう表現するとちょっと悲しくも聞こえる。
アイデンティティがない、帰ってくる場所がないみたいで。
しかし私はまっっったくそのようには思っていなかった。

津々浦々度たちが私のアイデンティティを深め、日本列島に満遍なく地理のわかる場所が点在する。各土地に少なくとも1人は友人や知り合いがいる。

割と心強い!強そうでしょ?!

急な登場人物

でも、それだけじゃどうにもならないことが出てくる。
永遠の転校生だった私は、転校生を迎えた側の子達からしたらあの時転校してきた子なのだ。これがまた永遠に。

成人式には行かなかった。これは特に後ろめたい理由もない。
①晴れ着にひとつも興味が湧かなかった(まず、高すぎる!)
②どこの市の成人式に行ってもどうしようもない

①はいいとして、ここで話したいのが②の理由についてである。
基本成人式というものは住民票がある自治体から招待が来るらしい。私は高校時代を過ごした仙台市から住民票を移さずにいたのでこれに倣えば仙台市から招待状が来たはずである(来たかどうかは確認していない)。

しかしどうだ、高校3年間しか過ごしていない場所の、高校の友達しかいない成人式に行って、果たして虚しくならないだろうか?
結果私は中学2年間を過ごした兵庫の中学校の同窓会に参加した。これはそれなりに楽しい時間を過ごせた。なぜならそこにはその中学校の生徒しかいないため、ほぼ顔見知りであるからだ。

でもやはりその同窓会においても、本当に仲の良い友人を除いては、私=2年生の時に引っ越してきた転校生というイメージなのだ。
もはやもうどうしようもないし、どうしようとも思わないが、自分はどこにも属せない存在なのではないかと、少し悲しくなってしまう。

あの時あったスーパー、怖かった先生、〇〇ちゃんのママ、地元のお祭り、林間学校、習った単元、習っていない単元、一生1人だけ違うスクールバッグ、国語の教科書が光村図書か、東京書籍か。

馴染みたいのに、周りも迎え入れてくれてるのに、どうしても入れない、入りにくい壁みたいなのがある。越えられないことなんてわかっているから、これらの思い出が嫌な思い出として残っているわけではないのだ。とっくに慣れたものである。

出身は自分で決めていい

そんなことを、割と早いうちから親に言われたのを覚えている。確か小学生の頃だったか。
小学生で出身を聞かれることなんてまずないので、私はとりあえず生まれたところ=出身だと思っていた。
しかし母曰く、生まれ育ったところを出身としてもいいし、自分で選べると言うのだ。

確かに、それもいいと思う。
けどやっぱりこうやって出身を聞かれることが増えると、そんな軽い判断で自分が傷つきかねないということに気づく。

大阪に住み始めてから、兵庫の友人と再会し頻繁に会うようにもなった。それもあり兵庫、とりわけその中でも阪神地域に住んでいる人に出会ったとき、「自分もそこら辺に住んでたよ!」とアピールするようにしている。
仲の良い兵庫の友人に、「もう出身伊丹でいいやん!」「伊丹に住んでや〜」と言われることもある。

でも出身を伊丹であると言ってしまうと、
『なんで今一人暮らしなん?』
『小学校どこ?』
なんていう質問を浴び、私は完全に萎縮してしまう。
全伊丹市民に、お前が伊丹出身を名乗るなと睨まれているような気持ちになってしまうのだ。

アピール関係なく、違う土地でも同様である。

かといって生まれた福岡が出身と言ってしまえば、福岡での記憶は1ミリもないし、博多駅なんて別府の祖父母宅からハウステンボスに行くための乗り換えで使っただけで、外から見たこともない。

最近は特に

言葉にも悩みがある。
結構いろんな人に話しているが、話している相手の方言に寄ってしまう。これは完全に無意識なので、意識しないとどうにもできない。

大阪「なにしてるんかなぁ」
島根「なにしてるんだーか」
東京「なにしてるんだろうね」

自分が何をどう話そうと、言ってみれば全てエセなのである。
まあこれは、一般的な日本語を話していけばよい話しなのだが。

その土地に染まるのが、まるでタブーを犯すことのように感じられてしまう。

暗い話がしたいんじゃないよ!

『出身は?』と尋ねられた時の、新しい答えを求めている。

もう「日本列島」とか言ってしまおうかな、なんて思うことだってある。
「北は宮城、南は福岡」と言って疑問とさらにひと笑いでも取るのがよいのか。

常時募集中なので、何か思いついたら教えていただきたいし、皆さんがこのような立場だったら同じような気持ちになるかならないか、色々気になることはたくさんある。

まあでも、転勤族で良かったなって、とっても思います。ニッコリ

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