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私を私たらしめる価値観について。#私の幼少期〜学生時代


私は、証券マンの父と、当時は(たぶん)専業主婦だった母のもとに生まれたひとりっ子です。

父が転勤族だったため、母は各地でパートタイムの仕事をしながら、私を育ててきてくれました。

そんな私が、小さい頃から母に大事だと言われていた主なことは、
1.男の子だから、女の子だから ということは言わない
2.〇〇が苦手だ とは言わない
3.結果ではなくて過程を褒める
4.小学校までは親(母)はちゃんと家にいてあげる

でした。

1.男の子だから、女の子だから ということは言わない
男の子なんだから泣かないとか、女の子なんだからお行儀よくしなさい、ということを一切言わなかった母でした。一人の人間として正しいことを伝えるような人でした。

そしてこれは偶然ですが中・高・大と11年間を女子校で過ごしたことも相まって、私は圧倒的男女平等主義の人間に仕上がることとなりました。

2.〇〇が苦手だ とは言わない
よくお友達の親が「うちの子は〇〇が苦手だからさ〜」というようなことを言っていましたが、母はそういう表現を使わない人でした。親がそう言ってしまったら、子も「自分は〇〇が苦手なんだ」と思って頑張れなくなる。だから苦手なんじゃなくてやればできると言われてきました。

私が何事も諦めない「頑張り屋さん」気質になったのはこのおかげでもあったと思いますが、同時に、自分の得意と苦手を客観的に評価できなくなったというか、自分ができないことは人と協力しよう、みたいな発想になりにくくなったという弊害もあった気がしています。

3.結果ではなくて過程を褒める
そして自分で言うのも何ですが、小学生の頃から私は学校の中では結構優秀で、テストはだいたい100点だし、成績もオールA、中学と高校はどちらも卒業証書授与代表に選ばれて(あれは成績順)、運動会のような学校行事にも大変熱心に取り組むタイプの学生でした。

でも母は決まって、「100点を取れてすごいね、偉いね」ではなく、「毎日宿題を欠かさずやったからだね」とか、過程にある努力を褒めてきました。これは教育経済学者の中室牧子先生の著書『「学力」の経済学』にも書いてあるのですが(もちろん母の子育て中はこの本はない)、良い子育て方法だそうで。

そんな母の教育法のおかげで私は大学生の頃までは結構勉強を努力してするタイプの人でした。が、同時に、頑張り方を人と比較するようにもなり、無闇に自己嫌悪になったりすることもありました。

4.小学校までは親(母)はちゃんと家にいてあげる
そして、その過程を褒めるために必要なことが、親が家にいて子供の頑張っている様子を見てあげることでした。母はすごくこれを大事にしていて、多分何よりもこの時間を優先していたと思います。そんなわけで、良い子育てのためには母親が14時には家にいてあげることが大事なのだと思うようになった私は、高校生ぐらいから、

「それって仕事を続けるの無理じゃネ?」

と気づくようになりました。

なぜ同じ教育を受けてきたのに父(男性)は仕事を続けられて、母(女性)は仕事を続けられないのか。女性はキャリアと子育てをどちらも完璧に両立させることは無理なのか?(1. の教育方針で男女平等主義になったのに・・・!)

私はこういった経緯でそんな疑問を持つようになり、それが後のフィンランド・台湾への留学、そして起業に繋がることとなったわけです。

>その後のキャリアについては、私の自己紹介に続く・・・


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