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DAY1

" やっぱりここに来ると
自分の見えない執着と
向き合わなければならない


ここに来ると隠れていた
心の汚濁が浮かび上がってきて
それに気付く

向き合いたくないのに
考えたくないはずなのに
浮かび上がってくる "



こんなことを初日に考えました。



初めてこのコースを受けた時は散々だった
明らかに執着心のあるものから、
謎な昔の古い記憶まで、色んなメモリーが
頭の中でひたすらお喋りしていて
涙が止まらなかったりした。


でも 何としてでも反応しちゃだめ
「大きな呼吸を一度して、
必ずまた観察に意識を戻すように」と
アシスタント先生に言われ

必死になって10日間を終えることが出来た。



言うのは易し で
この技術を習得するのはなかなか大変。
そして実際に 瞑想をしないと身に付きません。


川の向こう岸に行きたいけれど
祈って、お供物をし、一晩中泣いたとしても
川の向こう岸は こちらに来てくれません。



ヴィパッサナーは
生きる技 :  The Art of Living
全ての者が身に付けることが出来ます。
宗教ではないので、やってみて合わなければやめます。
しかし、生きる技は沢山持ってても良いんじゃないかなと私は思います。色んな技が使えた方がなんでも楽しい。

  




最初の数日間、
どこだかの窓口に電話をした時に鳴る
"保留音" がずっと頭から離れなかった。

最近どこかのコールセンターに電話をして
苛立った記憶はないけれど
今までの過去には絶対あるので、
その時に嫌悪や苛立ちで反応しまった記憶が
自然に浮かび上がってきているのです。


2,3日ずっとその曲が頭の中で鳴っていて、
なんだかんだそれが結構面白いとは感じていましたが。




この感覚はとても不思議で
気付かぬうちに人は執着心を抱え、育みながら
生きていることが分かるのです。 




瞑想は無になることがゴールではありません。
これはとても誤解されている概念の一つで、


vipassana瞑想によって得られる効果は

・自分の微細な感覚を観察することが出来る心の鋭さ= 精神集中力
・ありのままの感覚(現実)を受け入れ、それに対して反応しない強い心

この二つが一番大きな福徳です。




無になると言うのは、
何も生み出さず、何も召さない状態 = 解脱
という段階であり、
私たちがいきなり解脱の道を目指すのは
無理があると言うことです。



まずは気付くことから。
全ては気付き。
瞑想を始めた4-5年前に
私が一番感銘を受けたのが、
この 気付きの概念 であります。


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