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アンボックス完結!いつものハコの中へ戻るための感想。

2021年モーニング9号から10話連続で掲載された「ハコヅメ 別章 アンボックス」が完結した。殺人事件を扱うことからモーニング本誌を読むときに目にしたくない人が飛ばしやすいよう「ハコヅメ 」のタイトルを「アンボックス」に変更すると告知がされ、連載前の段階から元警察官として人の命を軽く扱いたくないという気迫めいたものを感じた作品だった。

実際、連載中は誌面から常に重苦しい空気が漂い、物語の内容は精神衛生にはよろしくない。ただそれ以上に凄みがあり、毎週の更新が待ち遠しかった。殺人事件が題材なだけに、すべての人に勧められるわけではないけど、自分はとてもいい作品に触れたという満足感が高かったので、お礼も含めてここでアンボックスの感想をまとめていきたいと思う。

物語の中心となる事件は、同棲をしていた若い男女間のトラブル。ケンカをするたびに通報を繰り返していて、警察もよく認知していた二人の間に殺人事件が起きる。ちなみに、実社会でも男女間のトラブルの多くは、凶悪事件に発展している。平成30年では、配偶者間(内縁を含む)における犯罪の検挙件数は7,667件あって、そのうち殺人は153件※(女性被害者の犯罪は85件(55.6%)、男性被害者の犯罪は68件(44.4%))ある。
※嘱託殺人、保険金目的殺人等、多様なものを含む。

3日に1件は起こるような殺人事件だけど、自分はあくまでテレビやネット等を通じて触れる情報、またはフィクションで刷り込まれたイメージでしか想像することができない。加害者、被害者、被害者家族、近隣住民、マスコミ、そして警察官、それぞれが実際に直面することを知り得たことはない。アンボックスはフィクションだけど、元警察官の作者だからこそ描ける迫力が随所に現れていて、事件が起こることで関係者の日常がどう一変するのかがとてもリアルに感じられた。今の自分の認識の裏にどれだけ大きな分からないことがあるかも知ることができたおかげで、多分これから実際に殺人事件のニュースに触れた時にその感じ方が大きく変わると思う。

そうしたリアルさのなかで、まず印象に残ったのが加害者の精神性だった。まだ事件が起こる前に対応する警察官とのやり取りで交わされた言葉には、自己愛、支配欲、コンプレックスなど多くの闇が潜んでいて、作品中でも「性格とは別の何か」と表現されるほど、言葉にしにくい人としての歪みにぞっとした。今までいろいろと「殺人者」が描かれた作品に触れてきたけど、なかなか味わったことのない薄気味悪さがあった。

こうした人物描写を含めて、アンボックスは登場人物の心情や表情がハコヅメ以上に丁寧に描かれていたと思う。実社会でもよくある男女間トラブルに端を発した事件で、解決までの道のりも決して派手ではない。ひたすら地道な捜査に体を張る。遺族への対応にとにかく心を尽くす。事件を防ぐために費やした労力は意味をなくし、外部からは事件を防げなかったことへの冷たい目が向けられいく。救いも希望もない状況に信念も折れていく。そんな暗いストーリーのなかで、それぞれの人物がどんな思いで事件に向かうのか、どのように疲弊するのか。フィクションだけど登場人物の心は、リアルな人の心そのものだった。ドキュメンタリーを見ているかのように没入できたし、だからこそ最後も本当の別れのように寂しい気持ちになった。

そして、ここまで引き込まれたのは、こうしたリアルな描写と緻密で技巧的な構成とがうまく溶け合っていたのも理由として大きい。今までハコヅメには登場しなかった報道の人間などを加えつつ、捜査本部でのぶつかりも描いたりと要素が複雑になるなかで、どの人物もどのシーンも物語ために不可欠なものとして機能していて、一つのセリフ一つのコマにも意味があり、1話が16ページとは思えない読みごたえがあった。また、見えないところもしっかり設定が練り込まれているからなのか、伏線と呼ぶことに違和感を覚えるぐらい伏線の張り方、回収の仕方が異常にうまい。伏線の回収はともするとこじつけを感じてしまうけど、アンボックスでは意表をつきつつも必要な状況で無理なく伏線が回収されていったので、驚きと納得をバランスよく感じることができた。また「警察の裏切り」や「正義」というテーマも絶妙に効いていて、警察の仕事とは?命を守るとは?など、改めて現実社会で働く警察官のことを考えるきっかけにもなった。たった10話でこの重厚な物語を鮮やかに仕上げきった泰先生の才能には感服するしかない。

あと感じたのは、警察官は必ずしもヒーローのような強さと正義を備えていなければならない訳ではないということ。社会は、善と悪、弱者と強者、マジョリティとマイノリティなど簡単に何かを二分できるものではないし、そもそも一人の人間自体がとてもあいまいな存在だ。誰かを守るためには、多数の正義や強い者の正義だけでなく、弱き者の正義が求められるときもある。暴力や理不尽さに立ち向かう強さも必要だけど、弱き者に寄り添い導くことも、声なき者の声を拾うことも必要だし、それぞれで力を合わせることも必要。多様な役割をもつ人が集まってこその警察組織であって、市民の守り方にもいろいろな形があるのだなと思った。以前、泰先生がインタビューで「警察はしょうもない人が頑張る仕事」と語っていたし、カナにも「警察の仕事なんて多種多様ズルやチビも使いよう」のセリフがあったけど、ハコヅメやアンボックスをきっかけに、わかりやすい警察官像に近い人だけでなく、いろいろな人の中から警察官を志す人が増えていったら、ただのイチ読者の自分も少しうれしくなる。

物語の結末は予想とは違っていたけど、漫画とはいえ偽りたくないことは偽らなかったという元警察官の気概を感じた締めくくりでもあった。耐えられない人は辞めていくし、激務に追われて亡くなっていく人もいる。自身の経験を踏まえたリアルな警察漫画を描いているのに、キャラに情けをかけたり、変に何かにおもねってしまえば、実際にこういう経験をした警察官やこれから警察官を目指す人に対して申し訳が立たないという想いもあったのだろうなと想像してしまう。一方でハコヅメ本編でこれを描いてしまえば、読者に対して筋が通らなくなってしまう気がするし、アンボックスは元警察官としてかなりの覚悟でけじめをつけにきた作品だったのかもしれない。それでも別れていく人が最後に笑顔だったのは、「みんな幸せであってほしい」という願いが感じられて、元警察官というより人としての信条を見せてくれたのかも、と勝手にそう受け止めた。

いずれにしても警察の内情を知るほど描きたいことと描けないことのバランスは難しくなるし、完全な創作で描くものとは違う責任を負うことになるのかもしれない。でも、こうして作者の志の高さや芯の太さを感じられる作品に触れるのは気持ちがいい。鎖のように冷たいつながりにも温もりが通えば、それは絆に変わっていく。鎖で心をつなぐことはできないけど、絆になれば例えどれだけ離れてもどんな時でもつながれる。キャラが人間くさいから、勝手に自分とも絆でつながれたと思い込んでしまう。もう同僚以上に同僚。とりあえず自分は「男に習った罵言でイキがるなんてかわいいトコあるのね」の言葉を刻み、カナのタフさを信じて生安課長と同じくただの応援おじさんになっていこうと思う笑。素晴らしい作品をありがとうございます。

これからは通常のハコヅメに戻るとのことで、また笑いの方向にも感情が振り回されるのを楽しみにしたい。

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