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東京芸術劇場「わが町」

久々の観劇

友人が出演するとのことでお誘いいただいた東京演劇道場生による「わが町」を観劇しに池袋へ。シアターイーストは3度目。駅直結なのが嬉しい。

「わが町」 日常って何だろう

ピューリッツァー賞も受賞したソーントン・ワイルダーによる歴史ある戯曲を独自の演出で上演するとのことであまり感想やゲネプロリポートなどは見ないで行きました。構成・演出・翻訳はままごとの柴幸男さん。
あらすじはざっとこんな感じ

アメリカのニューハンプシャー州のグローバーズ・コーナーズ(架空の街)での日常を描いた3幕ものの戯曲。ただただ普遍的な日常を描くことで日常に潜むありがたみを描き出す。

ニューハンプシャー州ってどこ?と思ったので調べると北緯約42度でかなり寒い街だということが分かりました…朝に温かいコーヒーを飲む描写に納得。カナダのケベックとの国境に位置しているところも、作中に「カナダ人」というセリフがあったことを思い出しました。州のモットーは「自由に生きる、もしくは死を(Live free or Die)」とのこと。何だか良い。死生観が垣間見れるモットー。この感じ、「わが町」にもあったなと。なんか州の歴史だけでも結構読み応えがありました、消費税や所得税がないんだとか、色々と興味深い州です。
おしゃべりはこの辺にして、内容について話します。

第一幕 「あたりまえの日常」

長方形の舞台は3方向から客席に囲まれています。
独特なジングルが鳴ると、白い衣装を着た老若男女が姿を表します。客席から一番遠い壁の近くに待機している彼らは、出番が来ると客席にやって来ます。
彼らは何やら可愛らしい木製の人形を持ちぞろぞろとやってきます。
遠い壁の近くに待機している彼らは、出番が来ると客席の方にやって来るという仕組み。

学者によるグローバーズ・コーナーズについての説明が終わると

「やあ、○○」
「ああ、おはよう」

というような日常的なシーンが人形を持った俳優たちによって紡がれていくのですが、この舞台の不思議なところがここにあって、
一人の俳優が一人の役(人形)を演じるのではなく、全俳優が一人の役(人形)をバトンタッチで紡いでいくという、見たことがない演出をされていて。

子供の役でも歳を召した方が演じられたり、女性の役でも男性が演じられたり。

最初は違和感しかなくて、何の意味があるんだろう、登場人物もみんな英語名で馴染みがないし、すごい混乱しそうだなと思っていたのですが
老若男女が老若男女を演じることで、登場人物を小学生の女の子の誰〜とか、男性で医者の誰〜という風に見てしまう色眼鏡がとれて、登場人物が本当の意味でどんな人なのか浮き彫りにしているのだと気づいた時ははっとしてありのまま受け入れている自分がいました。

第一幕は、この舞台の仕組みに慣れるための幕というか、本当に何も起こらない幕なんです。グローバーズ・コーナーズの日常を俯瞰するだけの幕。朝はコーヒーを飲み、新聞屋さんが新聞を届けて子供は学校に行き、インゲンの筋取りをする、くらい。だからある意味冗長な印象があったかな。やったほうがいい事…強いていうなら、この町に住む人を覚えるくらいかな。そのくらいの緩さでちょうど良かったです。

次回、第二幕「あたりまえって何だろう」書きます…本当はまとめて書きたかったけど内容が濃すぎた。では。

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