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激人探訪 Vol.15 MAKI~喰い殺すべき"自分自身"~

どうも皆さん、YU-TOです。

つい最近Vol.10を書き終わったかと思ったら、もうVol.15に突入した。

周りからも"良いペースだね"と言われる事も多いし、こちらも意識しているというか、"このペースで続けていかなきゃな"と、自分を鼓舞してこのペースを保っている部分もある。

記事を出す度に定期購読をしてくださる人が増え、やはり読んでくれてる人がいる以上はこちらもその期待に応えたいと思っているし、毎回、アーティストの真に迫ったような記事を出さなくてはと、気合いを入れて執筆に臨んでいるつもりだ。

しかし、それもやはり協力してくれるアーティストがいてくれるからこそで、こちらの取材のオファーを快く引き受けてくれるアーティスト達には本当に頭が下がる。

今回、そんなこちらからのオファーを受けてくれたアーティストは、国内屈指のメタルコアバンド、HER NAME IN BLOODでドラムを務めるMAKI氏だ。

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MAKI氏とは今回ほぼ初対面と言って良い程の仲で、"やっと話せる"という思いだった。

以前に1度、MAKI氏加入後のHER NAME IN BLOODと対バンした事はあったのだが、サーキットイベントで常時10組以上のバンドがひしめき合っているようなイベントであったので、せいぜいすれ違いざまに挨拶する程度で、初対面の相手とゆっくり話せるような状況ではなかったのだ。

タイムテーブルもHER NAME IN BLOODは自分の出演の直前であったため、ライブもちゃんとは観れず、非常に残念な思いがあった事は今でも覚えている。

それだけ自分は"MAKI"というドラマーに注目していたし、どんな人間性で、どんな道を辿ってきたドラマーなのかが気になる存在であった。

MAKI氏がHER NAME IN BLOODに加入したのは2017年の事。

彼のシーンへの登場は、かなり鮮烈であったのではないだろうか?

前任ドラマー脱退の発端となった事件がワイドショーで取り上げられてしまう程になった事で、これからHER NAME IN BLOODがどのような動きを見せるかが国内シーンではかなり注目されていたように思う。

そんな注目を浴びる中で、4月15日(土)に渋谷で開催されたファッションブランド"Zephyren"が主催するサーキットイベント、"A.V.E.S.T project vol.10"にて完全ライブ先行で、バンドはMAKI氏の加入を正式発表。

殆どの人がそうであったように、自分はこのライブ後に各所で拡散されたニュースでMAKI氏の加入と、その存在を知った。

当時MAKI氏は若干21歳、普通であればまだ"学生"である年齢だ。

"あー、何かまたヤバいドラマーが出て来ちゃったなー"

MAKI氏が叩いている映像を初めて観た時、そんなシンプルな思いが頭を過ぎった。

とにかくスピード感のあるドラミングで、ショットの正確さが尋常じゃない。

音の鳴りも確かでビート感もあり、なおかつ"魅せる"要素もしっかりと兼ね備えている。

"今の若い子はみんな巧い"というのが、中堅&ベテランドラマー間での共通認識になっている節はあるが、その中でもMAKI氏は群を抜いた存在であるように思う。

それを思ったのは自分だけでは無かったらしく、加入発表後、MAKI氏の存在感は国内ヘヴィドラマーシーンで一気に強まっていった。

今回、自分とMAKI氏を繋げてくれたのは激人探訪 Vol.8で取り上げさせてもらったFUMIYA氏で、彼もまたMAKI氏の持つ圧倒的な技術と個性に感銘を受けている人物の1人であり、MAKI氏はファンのみならず、同じドラマーやミュージシャン達からの注目度も高い。

それはMAKI氏の実力が"本物"である事の証であり、彼のドラマーとしての実力の高さを物語っている事実だ。

若干21歳の時にHER NAME IN BLOODに加入し、今年MAKI氏は25歳。まだ十分若い。

むしろ、ドラマーとして脂が乗ってくるのはこれからで、まだまだ実力、存在感共に進化する可能性を大いに秘めた存在だ。

彼はどんな道を辿って"ドラム"という武器を手に入れ、その類い稀な才能を開花させていったのか?

彼を突き動かす原動力は何であるのか?

そして、この混沌とした時代に彼は何を思うのか?

自身のルーツから、彼が今現在内に抱える心の葛藤まで全てを洗いざらい正直に、MAKI氏は話してくれた。

彼の活動に関わる色々な事がストップしている中での取材であったので、一部煮え切らないような部分もあるが、それも含めて今のMAKI氏であると捉え、ある意味では貴重な時期での取材であったのだと感じて欲しい。

"MAKI"という名の若き凄腕ドラマーが、これまでの人生でどう音楽と向き合ってきたのかと、HER NAME IN BLOODへの参加で彼が感じてきた事、そして今の彼の心はどこに向かっているのかを、なるべく詳細にお伝えしたいと思う。

是非、最後までお付き合い頂きたい。

第1章 "アンサンブルの感覚"を鍛えたマーチングバンド

実は、MAKI氏はドラムだけではなく、ギターや管楽器、パーカッションなど様々な楽器を経験したマルチなミュージシャンだ。

そんな色々な楽器に触れる機会にMAKI氏が恵まれた理由は、彼の楽器演奏のルーツが"マーチングバンド"であったからである。

"ドラムセット"という概念で叩き始めたのは14歳の頃なんですけど、8歳の時点でマーチングバンドをやってたんです。1番最初に演ったのは"スタンドシンバル"。オーケストラとかではよくあるんですけど、マレットで叩くシンバルで言わばパーカッションですね。その後は"グロッケン"っていう、いわゆる"鉄琴"と呼ばれる楽器だとか、背負うタイプのバスドラム、トランペットだとか、色々な楽器を転々としてました。そのマーチングバンドをやっていく中で楽譜の読み方であるとか、"楽器って何ぞや?" みたいなところを身に付けていった形でしたね。

8歳の頃から色々な楽器に慣れ親しんでいたとは早熟というか、MAKI氏が若くして超絶的なテクニックを手に入れた事に納得がいく事実ではある。

そんな幼い年齢のMAKI氏がマーチングバンドに加入するきっかけを作った人物は、彼自身、人生の"キーパーソン"だと語る2人の"親戚のお兄さん"であった。

親の再従兄弟(はとこ)の子供なんで、だいぶ遠いんですけど4つ上と2つ上の親戚がいて、その2人が地元で"マーチング"というやつをやっていると聞いて、観に行ってみたのがマーチングバンドに入ったきっかけでしたね。当時はそんなデッカい音なんて慣れてないから、めちゃくちゃ気持ち悪くなっちゃって(笑)でもその親戚2人は凄いカッコ良くて。それで"面白そうだな"って思ったんです。それまでの僕ってすごい内気で、今もそうなんですけど虚弱体質で体力が無いんですよ。あんなドラム叩いてるくせに(笑)それもあって、引っ込み思案で超インドアな子供だったんです。当時の担任の先生からも心配されてたらしいんですけど、8歳の時にマーチングに出会ってから何かグッと変わったみたいで。その親戚のおかげで音楽に出会って、そこからずっと演り続けて今に至る感じですね。

そんな2人の親戚のお兄さん達の影響で、自身のルーツとなるマーチングバンドに参加する事になったMAKI氏だが、後に彼の武器となるドラムセットに触れた事や、"メタル"というジャンルに行き着くきっかけを作ったのも、その親戚のお兄さんだったみたいだ。

8歳の時にマーチングを始めて、そこからずっとその親戚の2人に憧れて背中を追いかけてたって感じだったんです。それで親戚の兄の方はマーチングのヒーロー的存在のスネアを演っていて、弟の方は金管をやっていたんですけど、自分は打楽器の方に憧れがあったらしく、ずっとそれが演りたかったんです。それで、その親戚の兄の方がマーチングを続けつつも途中でグレてしまって、、(笑)結構ヤバかったんです。そんな事があって、具体的な経路まではわからないんですけど何故かその親戚の兄がメタルとドラムにハマり始めたんですよ。それでマーチングのスネアじゃなくて、ドラムになったんです。それで、その時は何が上手いかなんて分からないんですけど"何か凄い!"ってなって。それが中1の時でしたね。それで、当時は"けいおん!"が流行ってて、周りでバンドブームみたいなのがあったんですよ。もうそれで当然、文化祭で"バンドやってみる?"ってなるわけです(笑)それでいよいよ"演ってみよう"ってなったのが14歳の頃でした。打楽器やってたし楽譜は読めるしだったんで、"じゃあ俺ドラム演るわ"ってなったのがドラムセットという概念に初めて触れた時ですね。

8歳の頃からずっと憧れてきた親戚のお兄さんが、突然ドラムになった事で、憧れの対象が" マーチングスネア"から"ドラムセット"に切り替わったMAKI氏。

そんな出来事と"楽器ブーム"を巻き起こし、社会現象となった"けいおん!"の大流行が重なり、文化祭がきっかけでドラムを始める事になったMAKI氏だが、高校に上がってからは、周りの環境も相まって更にバンド活動に熱が込もる事になったという。

僕、工業高校の出身で、偶然なんですけど僕の同い年の代に何故かめちゃくちゃバンドマンが多かったんですよ。高校1年生の時点で楽器演ってて、"バンドやりてぇ!"みたいな同級生が異常なくらい、同じ学年に20〜30人くらいいたんです。工業高校だから当然の事ながら軽音部なんて無いんですけど、"もういっその事同好会作ろうぜ"ってなるくらい多かったんです。結局それは顧問と場所が見つからなくて作れなかったんですけど、それだけバンドマンがいる事がわかったんで、本当に色々なバンドが出来たんですよね。

そんな偶然かつ特殊な環境下で、MAKI氏はいくつものバンドを掛け持ちし、地元である栃木のライブハウスにも多数出演する事になる。

しかし、彼が最初にステージに立ったのはドラマーとしてではなく、何とギタリストとしてであったという。

ライブハウスでの初めてのライブはギターでした(笑)X JAPANのコピーバンドでしたね。ギターを始めたのも親戚がきっかけで、その親戚の兄の方はドラムを始めたんですけど、弟の方はギターを始めたんです。その影響もあって、ドラムを始めたけど家じゃ練習出来ないしっていうのもあって、安いギターを貸りて、その親戚から基本的な事を教わりつつって感じで始めたんですよ。でも高2の時には大体バンドはドラムでやってました。今もそうなんですけど、僕って結構"サポート気質"で、本格的に所属するバンドって当時はなかったんですけど、唯一高校時代に所属してたバンドはギターで、それでサポートとしてドラムで呼ばれるみたいな活動をしてましたね。

そんなギタリストとして初めてステージに立ち、メインで所属しているバンドでもギターを担当していたMAKI氏だが、やはり最初に本格的に触れた楽器が打楽器だったからか、ドラムに対してはギターには無い、特別な感触を感じていたという。

ギターに関しては、X JAPANのギターソロを弾けるくらいまではコピー出来たんですけど、"あっもうこれ以上、俺ギター上手くならない!"って事に気付いてしまったんです。でもやっぱり、スタジオとかでドラム叩くのは超楽しかったし、ドラムだけは、全然自分の技術が止まることを知らなかったんですよ。他から見たら大した事ないにせよ、僕からすると少しずつ少しずつ上手くなっていってる感覚がずっとあったんですね。それがとにかく楽しくて。あとドラマーって多くないじゃないですか?幸いその時は周りに比べて自分はちょっと上手かったらしく、他に比べれば多少は当時から引っ張りだこになれたんです。"叩けるよ"って奴は周りにいっぱいいたんですけど、僕はマーチングをやっていたおかげで、"音楽ってどういう形なのか"とか、"ちゃんと合わさった時にどれだけ気持ち良いのか"という事がわかっていたから良かったって思うんです大人数で演奏を合わせると、本当に合った時にめちゃくちゃ気持ち良いって事を知れていたので、その時点で割と耳は肥えてたのかな?とは思います。

MAKI氏が若くして圧倒的なテクニックを手に入れる事が出来たのは、やはりマーチングバンドで人と合わせるというアンサンブルの基礎を自然に学んでいたからであろう。

それに加え、様々な楽器も経験していることから、各パートが何を演っているのかを瞬時に把握できる耳を持っているとも思われ、この良質な耳はバンドで音楽をやる上での強力な武器の1つとなる。

超絶的なスピードやテクニックといった部分が注目されがちなMAKI氏であるが、彼のドラミングにはそれだけではない、地に足のついた基礎力があるように思う。

その要因はやはり、マーチングで鍛えられた"良質な耳"をMAKI氏が持っているからであり、アンサンブルをする上での自身のテクニックの使い所や、抑えなくてはならないポイントが無意識レベルで彼にはわかるのだろう。

そんな耳を持って楽器に向き合っていれば、当たり前だが上達は早いだろうし、その楽器が一番最初に触れた打楽器であれば尚更の事だ。

そんな良質な耳を駆使してドラムのテクニックを磨いていったMAKI氏は、高校卒業後、その活動の場を地元の栃木から東京に移す事になる。

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