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YU-TOの私的名盤図鑑 邦ロック編〜絶対に聴いておくべき国内ロックの超名盤3選〜

どうも皆さん、YU-TOです。

本日は今現在連載している"激人探訪"とはまた違う記事を書いてみたくなり、こちらの記事を投稿している。

"激人探訪"では音楽というよりはミュージシャンの人そのものに焦点を当てて書いているが、今回は自分の愛する音源についての記事を書いてみようと思う。

世間ではいわゆる"名盤"と称される音源が多々ある。

例えばその音源のリリース以降に音楽シーンをガラリと変えてしまったものや、今まで誰もやった事のない事を表現していてシーンに衝撃を与えた作品、または破格の商業的成功を収めた作品などが世間ではまとめて"名盤"と称される。

しかし世間で"名盤"と称される全ての作品が自分のツボにハマるとは限らないし、自分の音楽感の変化に繋がるとも限らない。

仮に世間の評判はあまり高くなく、むしろ酷評されてるものや、リリース当初は話題になっても年数を重ねるごとに世間での影が薄くなっていった作品の中でも、自分の中では一生涯聴き続ける大名盤である作品は確かに存在する。

そして個人的にはそういう"私的名盤"を自分の中にどれだけ持てるかが充実した音楽ライフを送る大きなカギとなっている気がするし、ミュージシャンとしての個性をより強める栄養素になり得るのだと思う。

もちろん世間で評判な作品であっても自分が好きな作品は存在するし、そのような作品には評判になる"理由"もちゃんと存在する。

しかしそのような評判だけでなく、音そのものに着目し、それが自分の中でどう響いたのか、自分はどう思ってどう感じたのかだけの物差しでその作品を"名盤"と称し、その作品に出会った思い出と共に大切に聴き続ける感覚が大事なのだと思う。

そういう感覚を持つ事が、本当の意味で音楽から幸せを享受出来る唯一の方法であるように思う。

今回はそんな"YU-TOの私的名盤"に関する記事をお届けしようと思います。

序章.敢えて邦ロックに絞ってみる

いくら"私的名盤"とは言ってもそれはそれで無数に存在する。

それこそアルバム単位でなく曲単位にしたら収集がつかなくなるくらいの数になってしまうだろう(笑)

だから今回は敢えて"邦ロック"という枠内での私的名盤を考えてみようと思った。

いつからか国内のロックミュージックは"邦ロック"と称されるようになった。

しかしこの枠内に果たしてどれだけの範囲内の音楽、アーティストが入るのかは謎である。

個人的にどうにも"邦ロック"という言葉には、"前髪重たい系男子4人組" "フェスでみんなが盛り上がれる曲" "歌詞がプチメンヘラ"みたいな物凄く偏見染みたイメージが集約されているのだが、、(笑)

しかし"ロック"というものには絶対的にメタルも含められるだろうし、極端な話そこから派生したデスメタルであってもロックといえばロックである。

自分はあまり使いたくないが"ラウド系"という言葉はこの"邦ロック"内のメタル、ハードコア寄りのアーティストへの呼称で使われているイメージがある。

だから"国内のロックミュージック"という事であれば幅広いスタイルのアーティストをこの"邦ロック"という枠内で語ってもいいのではないのかと思い、敢えてこの言葉を使わせてもらった。

あとは少々この"邦ロック"と呼ばれるものの中で今回紹介する作品の影が薄まってきてるのではないかと感じているからだ。

もちろん今回紹介する作品はあくまでも"私的名盤"であって自分個人の中で大きな意味を持つ作品という事なのだが、正直「もっと世間で評価されても良いのでは?」という思いもある。

総じて言える事は、今回紹介する3枚は音楽としてのレベルが非常に高い。

全てもう10年以上前の作品ばかりだが、そんな事は物ともしないオリジナリティとクオリティで聴き返す度に圧倒される作品だ。

これらの作品を聴き返す度に思う事は、本当に良い作品というのは時代を超えてもその凄みを失わないという事。

そこに世間の評価や商業的成功は全く関係なく、単純な音楽そのものが持つ力とそれを作り上げたアーティスト達の念と魂は10年以上の時を経ても色褪せる事はない。

今回はそんな"邦ロック"のYU-TO的<絶対に聴いておくべき>私的名盤3枚を紹介していこうと思う。

私的名盤1枚目 Pay money to my pain 「 Drop of ink」

このPay money to my pain(以下略PTP)の作品を邦ロックの名盤として紹介する事に異論を唱える人はそういないのではないかと思う。

むしろ"私的名盤とか言ってといてめちゃくちゃ世論丸出しやんけ!"とか言う声も聞こえて来そうだが(考え過ぎか 笑)

やはり国内のロックバンドについて何かを書くのならば個人的にPTPを外す事は絶対に出来ない。同じ事を思っている人も決して少ないはずだ。

しかし自分は少し違ったベクトルで彼らを捉えているかもしれない。

彼らの活動停止後に注目されている作品はどちらかと言うと後期の作品である事が多く、後期のPTPにはメロディアスでポップとも言える曲も数多くあるのでPTPをそのようなサウンドのバンドと捉えている人も数多くいる印象だ。

もちろんどのPTPのサウンドも自分は大好きだ。

しかし、彼らの原点は実は90年代のハードコアやメタルであり、その影響を存分に感じさせるこの"Drop of ink"こそが彼らの真骨頂であると自分は思う。

後のポップな方向性の曲をやり始めた時も、いい意味で"完全にポップな方向には行かない"みたいな感触が常にあった。

その感触は何を演ろうとPTP is PTPという個性をより強くし、彼らの持つ他の追従を許さない絶対的なオリジナリティに繋がっていたように思う。

この"Drop of ink"を初めて聴いた時の事は今でもハッキリと覚えている。

この作品がリリースされたのは2006年の終わり頃。

当時、音楽専門学校に通いつつ自分のバンドをやっていたのだがそのバンドのレコーディングをしていたスタジオに置いてあったフリーペーパーでPTPの存在を知った。

とりあえず"最近デビューシングルを出した"事と"元GUN DOGのVoが新しくやってるバンド"との事はわかり、そのGUN DOG自体も"とりあえずニューメタルっぽい事やってるバンド"としか認知しておらず、その時は"ふーん"程度の印象で特にサウンドをチェックせずに終わってしまった。

そんな事から数日後、専門学校内のバンドで一緒だったギターの友達がイヤホンをしていたので何気なく「何聴いてんの?」と聞いたら「Pay money to my painだよ」と。

「あー、あの元GUN DOGのVoの人のやつ?やっぱニューメタル系?」と尋ねたら

「いや、全然違うよ!!むしろメタルコアとかそっち系!クソカッコいいよ!」

との事だったので"ほ〜っ?"ってな具合で帰ってから今は無き"Myspace"で音源をチェックした。

最初に聴いた曲はこのDrop of inkの3曲目、"From here to somewhere"だったと思う。

とにかく稲妻というか、生きてる中でそんなに味わう事の無い衝撃が走った。

ヘヴィグルーヴにどこかIron Maidenを彷彿とさせるリフが乗るイントロ、その後のエモーショナルなアルペジオをバックに歌う艶のある声のヴォーカルとサビの爆発力、、、とにかく今まで聴いたことの無いサウンドだった。

その時、隣にいた双子の兄も「何じゃこりゃ!!?」と即座に反応した。ちなみに兄とこのようなシンクロがあったのはPANTERAを初めて聴いた時以来である。

速攻でCDを買いに行き(渋谷のHMVだった。今だに覚えてる)、レコーディングしてたスタジオのエンジニア酒井さんと他のバンドメンバーに聴かせた。

その時のエンジニア酒井さんの「うーーーわーーー、やっベーーー!!これはちょっと衝撃だわ!!!」という反応は自分にとって忘れられない。

当時レコーディングしてた作品はかなり気合を入れて録っていた作品だったが、PTPの放つ音楽には"今の自分達には到底出せない何か"があった。

いわゆる"音楽を作るプロ"であるレコーディングエンジニアの人が一聴しただけでここまで言う程の説得力を持ったPTPのサウンドに対して幾ばくか"悔しい"とも感じた。

まあその"悔しい"という思いもすぐに無くなり、いたって普通のいち"ファン"として音源をわざわざフラゲしに行ったり、ライブに行くようになったのだが(笑)

そんなこんなで出会ったこの"Drop of ink"という作品だが、今聴いてもクオリティが非常に高い。というか圧倒的なオリジナリティがある、

曲が独創的かと言われたら決してそうでは無いし、複雑で摩訶不思議なことをやっているわけでは無い。

本人たちも公言している通り、初期のPTPはSlayer、Biohazardなどの90年代スラッシュやハードコアからの影響を多く含んだサウンドで、初期PTPのサウンドはどこか少し懐かしい雰囲気が漂っている印象だ。

そこにヴォーカルのK氏独特の色気のある、、とは言ってもヴィジュアル系的な色気ではなくR&B的な色気のあるヴォーカルが乗る事で、彼らにしか出し得ないサウンドが構築されていたと思う。

自分はこの初期のPTPのメロディアスだけど、どこかギスギスしいて棘のあるサウンドがたまらなく好きだ。

結成初期やこの"Drop of ink"リリース時の頃のライブ映像を観ても全く計算無く暴れ狂う、物凄く"ライブハウスらしいライブ"をしていて、PTP後期の洗練されたライブとはまた違う印象があり、とてつもなくカッコいい。

今の"ラウド系"と呼ばれているバンドの真面目で演奏力の高い計算されたライブも良いと思うのだが初期PTPのある種の破茶滅茶さは観ていて"バンドって楽しそうだな"と思わせてくれる。

バンドを実際にやっている自分がこんな事言うのもおかしな話かもしれないが(笑)

例えばこの"Drop of ink"に付いているDVDのオフショット映像は、アメリカの劇場のようなスタジオ(Radiostar studio)でメンバーがエンジニアとジョークを交えながらレコーディングしていたり、現地のミュージシャン達とセッションしたりと、単純に観ていて"こんな風に音楽が出来たら楽しいだろうな"と思える映像だ。

カリスマ性を放ちながらもどこか親しみやすい雰囲気のある"リアル"なバンド、、そんな言葉がこの映像を観ていると浮かんでくる。

当時の自分はPTPのそういった部分にも憧れていたし、今でも良いなと思っている。このDrop of inkにはそんな彼らのサウンドとキャラクターが余す事なく収録されていると思う。

もし自分でまた1からバンドを組むなら、絶対にPTPのようなバンドにしたいという思いがある。

それは音楽性うんぬんの話ではなく、バンドに向かう精神性とバンドが醸し出す雰囲気の話で、計算されて作られたカッコ良さではなく、こういう"リアル"なカッコ良さを醸し出せるバンドにしたいという思いだ。

その為には相当な経験値と素でカッコいい絶対的なカリスマ性が不可欠。

"自分にそんなカリスマ性があるんだろうか?"とも思ってしまうのだが、だからこそ、この時代のPTPが好きだし今だに憧れ続けているのかもしれない。

まだ聴いた事のない方はこのDrop of inkを是非聴いてみて欲しい。

私的名盤2枚目 BAT CAVE 「Batness」

国内のラウド、ヘヴィ系と呼ばれる音楽の金字塔を打ち立てたバンド、というか創始者であると言っても過言ではないのがBAT CAVEだろう。

彼らの存在を知ったのが恐らく日本で初めての本格的メタルフェスだったであろう2001年のBeast Feastでだった。

その時は1日目だけしか行く事ができず、彼らのライブは観れなかったのだが、その後に"Music on TV"という衛星放送の番組でBeast feastのダイジェストが流されたのだが、その映像で観た彼らの"ヒーロー感"にノックアウトされてしまった。

当時はIWGP全盛期で世の10代が"ワル"なカッコ良さに走っている時代。"B系"と呼ばれたファッションをしてみたりギャングごっこをする同級生達を見てその何ともニワカで中身の無い"ワルさ"にうんざりだったのだが(IWGP自体でなく妙なとこだけ影響受ける人達)、その映像で観たBAT CAVEは正に"本物のカッコいいワル"だった。

ドレッドヘアやスキンヘッド、胸まで伸ばした髭という出で立ちでステージ上を暴れ周るBat caveは正に"ダークヒーロー"そのもので、自分の中のいわゆる"中二感"を多いに刺激された。

その映像で演奏されていた曲がこのアルバムに収録されている"Nothing at all"だったのだが、早速どのアルバムにこの曲が入っているのかを調べてこのBatnessを買いに行った。

当時、MDに入れてこのアルバムは聴きまくっていたし、Deadly carnivalやNothing  at allは当時コピーして、CDに合わせてよくドラムを叩いていた。

しかし、このアルバムの"真の凄さ"を体感するのはもっとずっと後のことだった。

この"Batness"がリリースされたのは2001年で、もう19年前の事なのだが、リリースから5年、10年、そして19年という月日が経った今でも聴き返す度に、とにかく"めちゃくちゃ新しいサウンドだな"とビックリさせられるのだ。

まず第一に音質が抜群に良い。

今でこそヘヴィミュージックの国内アーティスト勢と海外アーティスト勢で音質面での差はほぼ無くなったが、2001年当時は中学生だった自分が聴いても明らかな位、音質面では圧倒的に海外アーティストの方が迫力があった。

しかし、この"Batness"はこの当時の海外アーティスト勢達と比べても迫力も音のクリアさも全く負けていない。

むしろこの2020年に聴き返しても、音圧がしっかりとあるドッシリと重みのあるサウンドで、しかも機械的な印象が殆どない"生の音"を封じ込めたド迫力のサウンドに圧倒される。

特にドラム、YOUTH-K!!!氏のニュアンスがハッキリと聴き取れるシンバル類や、パンチの効いたタム類の鳴りは簡単に作れるような音ではなく、本当にドラムを"鳴らせて"いないと作れない音である。

そしてドラミング自体も無駄なアプローチを極限まで抑えた"ド直球"なプレイで、シンプルで間を活かし切ったビートや、時折組み込まれるトライバルなタムフレーズなどの極上のヘヴィグルーヴを全編に渡って聴くことが出来る。

もし誰かに"ヘヴィグルーヴって何?"と聞かれたら自分はこのBat caveの"Batness"とMotley crueの"Motley crue"を聴くように言うだろう。

あとはここ最近聴き返していて感じた事なのだが、極悪でヘヴィな音なのは間違い無いのだがとにかく曲がポップなのである。

英詞ながらもライブで観客全員が歌えるようなボーカルラインや、みんなで一斉に飛び跳ねられる"バウンス感"、モッシュを誘いやすい曲展開など、言い方が正しいかわからないが"ライブで観客皆んなが楽しめるような曲"が非常に多いように思う。

当時のインタビューで"ヘヴィだけど暗い雰囲気にはしたくない"という類の発言をメンバーがしていたのでこのようなどこか"ポップ"な雰囲気は敢えて出していたのではないかと思うが、この考え方というか価値観はものすごく最先端なものだと感じる。

それはやはり良くも悪くも日本ではバンド=フェスという図式が出来上がってしまっていて、ヘヴィな音を出していてもそのような現場で初見のお客さんや自分達を知ってはいても詳しくはないお客さんを取り込んでいくにはどうしても"わかりやすさ"みたいなものが必要となってくる。

その場で初めて観て聴いたのにいきなりその場で踊れる位のわかりやすさとキャッチーさが"フェス"という場所で勝負するには必要になってくる。

もちろん、これを敢えて突き放すというカッコ良さもあると思うのだが、自分達の芯はブレずともフェスという現場でしっかりどの観客も巻き込める曲を作れるバンドはやはり強い。

そしてこの"Batness"の曲は正にそういったフェスで勝負出来るような"わかりやすさ"と"キャッチーさ"があると思う。

そのわかりやすさとキャッチーさは「売れ線に走る」という類のものでは全然無く、むしろ自分達がルーツとして持つそのような"ポップ"な要素をあくまで自然にヘヴィな音像の中に取り入れてると言った類のものに思える。

このアルバムがリリースされた当初はBeast feastやサマソニ等はあれどもそこまでフェスというものが日本に定着していなかった気がする。

もしあったとしてもそのラインナップにヘヴィ系のバンドの名前など無かった時代だろう。

もしこの"Batness"の楽曲を現代のフェスという現場で演ったらかなり絵になるというか、凄まじい盛り上がりの様子のイメージが自分の中でピッタリとハマったのだ。

この後にリリースされる"コウモリの唄"は日本語詞を取り入れ、エグいくらいに生々しい音質で表現される独自のヘヴィネスを確立していたし、数年の活動休止を経てリリースされた復活作、 "GREAT CENTER MOUNTAIN TRENDKILL e.p"も極悪でスラッシーなBat cave節が炸裂していて大好きだ。

でも自分の中で一番思い出深かったり、自分の中にある"ヘヴィとは何ぞや?"という概念を形成してくれたのはこの"Batness"だったように思う。

そして今だに聴き返す度に勉強になるというか、新しい"ヘヴィ"の形や表現方法が見つかる。

そんな自分にとっての"ヘヴィミュージックのお手本"のようなアルバムである。

もしあなたが何かしらの"ヘヴィ"なロックミュージックを演っているのならば必ずこのアルバムを聴いて欲しい。

そこでもし何も感じないのならば、もう"ヘヴィ"な音楽には手を出さない方がいい。

個人の好き嫌いはあれども、そう言い切ってしまうくらい自分の中で大きな意味のある"邦ロック"作品(敢えてこう呼ぶ)がこのBatnessなのである。

私的名盤3枚目 OCEANLANE 「On my way back home」

ここ数年くらいの間、日本で"エモい"という言葉が音楽界やファッション界で妙なくらいに使われるようになった。

ファッション界で使われる"エモい"という言葉に関しては、そこら辺に疎い自分には何を持ってエモいとするのかはわからないので何とも言えないが、音楽に対しては"それは流石にちょっと違うんじゃないの?"というものに対しても"エモい"という言葉が使われているような気がする。

まあエモいという言葉の語源は文字通り”エモーショナル"という言葉からきているので感情を強く刺激する音楽であればそれは"エモい音楽"になるのかもしれないが、この"エモい"という言葉は本来"emo"というパンクやハードコアを原点とした音楽のスタイルから来ている。

自分はこの"emo"という音楽スタイルもめちゃくちゃ大好きなのだが国内でのemoバンドといえば自分にとってはこのOCEANLANE一択なのである。

特にこの1stアルバムの「On my way back home」はとにかく滅茶苦茶聴いてた、、というか今だに聴いているし自分の中でとても大切なアルバムの一つだ。

このアルバムのサウンドはまあ"emo"というスタイルで語られるものだが決して激情的であるかと言ったらそうではないし、特にガッツリ泣けるような曲があるわけでもない。

どちらかというとポップスに近いサウンドで、哀愁を漂わす曲もあるが、イメージ的に"泣ける"というよりは"ホロリとする"位の感じだ。

しかしこれが最高に染み渡る。

よく晴れた夏の午後3時くらい、1曲目の"Everlasting scence"を聴きながらバドワイザー片手に散歩すると"これ以上の幸福は無いんじゃないか?"と思えるくらいの多幸感に包まれる。

2曲目の"Sigh"の独特な4つ打ちビートと少し切ないメロディ、次の6/8拍子で展開される"Ships and Stars"のバイオリンを使った壮大なアレンジも堪らない。

どの曲も素朴ながら本当に良い曲ばかりで聴く度に癒される名盤中の名盤だ。

あと特筆すべきはドラマー、MASAYA氏の恐ろしい程レベルが高いドラミングだろう。聴いた当初、本当に衝撃を受けた。

まずエフェクトシンバルやハイハットなどの金物の使い方のセンスが抜群に良い。

特に細かいルーディメンツを使ったハイハットワークは、全く"使いたくて使った"感じのしないビートの中に溶け込んでいる自然な流れのプレイで、まるでハイハットが歌ってるかの様だ。

強弱のバランスが完璧なゴーストノートと、クレッシェンドを最大限に生かしたダイナミクスの付け方は本当に見事でため息が出る。

歌に寄り添いながらもしっかりと主張もし、さらには曲に表情もつける"完璧な歌ものドラミング"と言って良い。

この素晴らしいドラミングを展開するMASAYA氏とベースのHo Lee Kwen氏は元々EVER LASTというメロデス寄りのニュースクールハードコアバンドを演っていた。

あくまで2人はこのアルバムではサポート参加だったが、このようなハードコア界隈のミュージシャンを起用する辺りはいかにもemoバンドらしい。

ちなみにMASAYA氏はEVER LASTでもハードコアというスタイルではあまり聴かないような繊細で細やかなプレイをしていて、音源だけでしか聴いた事はなかったがやはり異彩を放っていた。

このMASAYA氏のドラミングも、このアルバムが今だに自分の中で輝きを放つ一つの要素となっているし、自分の中で目標としているプレイでもある。

このOCEANLANEの「On my way back home」を聴くと特別な光景は全く無いのだが本当に色々な事を思い出す。

図書館からの帰り道や、専門学校の同級生と家で朝まで飲んだ時の事、何気なく一人で見にいった花火大会の花火や、いつごろか何処かもわからない駅の光景。

アルバムタイトルが物語る通り、何かそういう家に帰るまでの道だったり、何処か出かける時だったり、自分にとってそんな日常生活と一体となって楽しめる音楽がこの「On my way back home」なのだ。

そこには激情もなければ何かメッセージを感じ取っているわけでもない。ただこのアルバムは常に自分の生活、自分の心、自分の感情に寄り添ってくれている気がする。

別に涙を流し、むせび泣くだけがemoじゃない。こういう優しくそっと自分の感情を寄り掛からせてくれるような音楽もemoなのだと思う。

しかし、それにはハードコアやパンクの血が何処かに通っていなければならない。このアルバムだったらそれは"リズム隊のバックグラウンド"に当たる。

emoという人の感情を刺激して涙を流させたり、時に感情に寄り添うような楽曲を本当の意味で表現するには人を奮い立たせ、暴れさせる表現も出来なければならない。

そういう真逆な表現が出来るからこそ、優しさや切なさの表現に説得力が出るのだと思う。

そしてその説得力を帯びたサウンドこそがemoであり、そのような説得力のない"ただ優しい" "ただ切ない"だけの楽曲はemoではない。

これはもう音楽というより精神やAttitude的な事だと思うが、パンクやハードコアはこれらの事を引っくるめてのものだと思ってるのでemoもまた然るべきなのである。

そういった意味でOCEANLANEの「On my way back home」は完全無欠のemoアルバムだ。

この優しさと高揚感と、切なさと儚さに包まれた音は、楽曲の根底を支えるリズム隊のハードコアのルーツでより説得力を帯びて自分の心に深く浸透している。

だから自分はこのアルバムをもう10年以上に渡って聴き続けているのかもしれない。

自分が生涯聴き続けるであろう大切な名盤だ。

あとがき

散歩中、何となく「何かテーマを絞って音源についての記事でも書いてみるかな」と思い付いて気軽に書き始めたこちらの記事だが、何やかんやで熱くなってしまい1万字超えの文章量になってしまった(笑)

だが書いてるうちに本当に自分は今回紹介した音源達に育てられているんだなという事に気づいたし、おそらくこの3枚を聴かなかった人生は今とは全く違う人生になっていただろう。

音楽を愛している人なら恐らく全員が分かってくれる事だとも思うのだが、自分にとって忘れられない作品との出会いは本当に人生を変える。

自分の中の何かしらの組成が入れ替わってしまったかの様になり、特に音楽を演奏したり作曲をしたりする人はそれが顕著に出るだろう。

"CDを買う"、"音楽を聴く"という何気ない日常の行動がそんなに人生を左右するとは中々恐い事でもあるが、だからこそ自分は音楽を愛しているし、"自分も誰かの人生を変えられるかもしれない"とドラムを叩き続けているのだと思う。

今回取り上げたのは最初に言った通り、あくまでも"私的名盤"である。

この記事を読んで"聴いてみようかな"と思って聴いてくれても、もしかしたらその方には全くハマらない音であるかもしれない。

でもそれで全然いいのだ。

記事やタイトルの中での"これは聴いとかないとダメだ!" "気にいるべき作品だ!"というような表現はあくまでも"その位思い入れが強く、愛している"という事で、実際は別に同じように気に入ってもらえなくても良いと思ってる。

音楽というものはその時その時の自分の状態で響くものが変わったりもするし、若干の"思い出補正"的なところも幾分かあると思う。

だからあくまでも今回の名盤紹介は自分が愛する音楽を"お勧め"したのではなく、ただ"勝手に褒め称えただけ"と捉えてもらって問題はない(笑)

今回は"国内アーティスト"というテーマで、敢えて"邦ロック"という自分にとってはあまり馴染みのない呼称を使って紹介してみた。

海外アーティストも勿論良いが、国内のアーティストというのはライブがあれば観に行けるし(注:現状は厳しいが)、やはり面識は無くとも身近に感じる存在だ。

だからこそ受けれる刺激もあるし、目標として捉えやすい存在ではある。

どうしてもメタルという音楽を演っていると世間で言う"洋楽厨"になりやすいイメージがあるし、自分もそれに陥っていた時期もあるが逆に国内で今どういったバンドが出てきてるかや、どういった活動を展開しているのかをアンテナを張って自分から率先して新しい国内音楽を探すのも本当に良い刺激になる。

日本の音楽のレベルは本当に年々上がってきているし、従来のフォーマットに捉われない新しい活動の仕方を提示するバンドも増えてきた。

国内だとどうしても情報が受動的になりがちだが、今後は国内バンドに対する自分のアンテナをもっと増やして行こうと思っている。

それは自分にとってかなりの刺激になるだろうし、今後の活動のインスピレーションにもなるだろう。

今回紹介した国内バンドの音源は自分のルーツに確実に残っているバンドだったのでクオリティは負けずとも、割と昔にリリースされた作品のみだった。

今後はもしかしたら最新リリースの作品で心が動かされる作品に出会えたら、自分が感じた事を記事で発信する事もあるかもしれない。

この名盤3枚を聴き続けつつもアンテナを常に張り、また新たな国内バンドの名盤にも出会える日を楽しみにしている。

                                                                                 2020/5/14     YU-TO SUGANO










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