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激人探訪 Vol.18 田浦 楽~音楽=生きる価値 向き不向きの壁を越える~

どうも皆さん、YU-TOです。

今年も早いもので、あと2ヶ月弱。

世の中の混乱のせいで、今年のハロウィンは有ったんだか無かったんだかで終わり(自分の場合は毎年だが 笑)、そろそろクリスマスの飾り付けが街中に現れてくる頃だろう。

「今年も、いつもと変わらず平和に過ごせましたね」なんて言葉を言える人は流石に今年はあまり多くないだろうが、そろそろ今年の総まとめに入らなければいけない時期に来ている。

今年は何と言っても激人探訪発足の年。ライブハウスの稼働が殆ど止まってしまい、人前で演奏する機会を奪われてしまっても、様々なミュージシャンと顔を突き合わせて真剣に音楽の話が出来た事は、今年の大きなトピックとなった。

その中でも、やはり自分と同じドラマーとの話は特に大きな刺激になる。

"ドラム"という共通事項を持った相手の話は、鮮明なリアリティを持って自分の中に飛び込んで来るし、それだけ執筆にも熱が込もるものだ。

"現役ドラマーが現役ドラマーについての記事を書く"、自分で言うのも何だが、なかなか新しい試みだと思うし、今まで何処にも無かったようなコンテンツを提供出来ているという自信もある。

そして、今回のVOL.18のゲストは激人探訪史上5人目となるドラマーのゲスト、田浦 楽氏だ。

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「遂に来た!!」と思っている方々も多いのではないだろうか?

現在の楽氏の主な"現場"での活動は、何と言ってもCRYSTAL LAKEのドラマーとして、世界中を飛び回っている事であろう。

CRYSTAL LAKEの活動は国内だけに留まらず、その圧倒的なパフォーマンスで世界中のキッズ達を熱狂させており、そのボトムを支える楽氏は名だたるトップドラマー達をも唸らせている。

しかし、楽氏を只の"ドラマー"として一括りにする事は不可能であるし、彼も自身の事をそう捉えていない。

楽氏は近年、様々な若手アーティストのプロデュースにも携わっており、彼はドラム以外にも、ギター、ベース、ボーカル、そしてレコーディングエンジニアまでをも1人でこなせてしまうマルチなミュージシャンでもある。

楽氏の圧倒的な、観た者を驚愕させる正確無比でパワフルなドラミングも凄まじいものがあるが、更に凄まじいのは楽氏の並々ならぬ音楽への探究心と愛。

楽氏と出会ったのは約8年前の2012年頃の事だ。

本章で詳しく触れるが、当時の楽氏は様々なバンドのドラムサポートを複数抱えており、今よりも"ドラマー"というイメージが幾分強かったように思う。

しかし、その後はギタリスト&メインコンポーザーとして、ソロプロジェクトのSOUL JAPANを立ち上げるなど、ドラマーという枠組みを超えた活動を見せ、"田浦 楽"という唯一無二な存在としてシーンで輝きを放つようになった。

そんな楽氏は、「1日の全てを音楽に使いたい」と豪語し、自身の事を「頭がおかしい」とも言うほどに、"音楽"に振り切った人生を歩んで来ている。

そして、それは現在進行形で続いていて、その強烈なまでに1つの事を突き詰める姿勢は正に"激人"。

今回はそんな、圧倒的超絶ドラミングと圧倒的音楽愛を持ち合わせたドラマーを超えたドラマー、田浦 楽氏を徹底深掘りしていこうと思う。

第1章 音楽で満たされ続けた頭の中

楽氏の音楽人生はかなり早熟というか、本人もほとんど記憶が無いような年齢から彼は楽器を始めている。

そして、楽氏が最初に手にした楽器はドラムではなく、ギターであった。

ドラムを始めたのは、、確か5〜6歳くらいの頃からはやり始めていたような気がします。もう覚えてないですね(笑)。ギターの方を先に演り始めたんですけど、ギターもドラムも、もう気付いたら始めてたっていう感じで。父親と母親が音楽好きで、ABBAとかCarpentersとかが凄い好きだったんですよ。そこから確かKISSとかを知って「ギターってヤバイな!」って思い始めて、両親に「ギター演りたい!」っていう風に言ったら、凄い安い1万しないくらいのアンプ内蔵ギターを買ってもらえたんです。それでしばらくはギターを練習してたんですよね。

楽氏は自分よりも若い世代であるが、彼が1番最初に心惹かれた存在は、ご両親の影響から70〜80年代のオールドスクールなアーティスト達であった。

それはドラムを始めるきっかけにおいても同じで、楽氏が1番最初に影響を受けたドラマーは、JAZZドラマー界の言わずと知れたレジェンド、Buddy Richだ。

父の友達がBuddy Richのビデオをダビングしてくれたみたいで、それを観たんですけど衝撃を受けて。JAZZドラムだけど風貌が凄いロックっぽかったんですよね。それが「ヤバいな!」って思ってドラムも演り始めたみたいな感じでした。Buddy Richの衝撃は本当に凄かったです。何か凄い不機嫌そうに叩いて、終わったらすぐに帰っちゃうみたいな(笑)。何かそういう反社会的な感じが凄いカッコ良いって思って、「こんな事をしててもビジネスになるんだ」というか「こういうのもありなんだな」って感じて、「自分もこういうミュージシャンになりたい!」ってすごい思いましたね。

Buddy Richはドラマーならば誰もが1度は名前くらいは聞いたことがあるであろうプレイヤーだ。

超速フレーズをタイトに叩き出し、強烈にビックバンドをグルーヴさせるそのスタイルは非常に"ロック"とも捉えられ、観る者を圧巻させるそのドラミングに、幼い頃の楽氏はノックアウトさせられた。

あと、ギタリストだったらDeep PurpleRitchie Blackmoreが超好きでしたね。もう何て言うんですかね、、すごい機嫌悪そうに弾くんですよね、それで演奏終わったらギターぶっ壊しちゃうみたいな(笑)。演奏は決して上手く無いんですけど、そういうパフォーマンスが凄いカッコ良くてめっちゃ憧れでした。だから、もう本当に子供の頃から"ギタリスト"が好きだったんです。Buddy Richって凄い、ギタリストっぽいドラマーだったと思うんですよ。ドラマーの人って割と地味な人が多くて、「もっと派手に演っても良いんじゃないのかな?」って思いながらギターも演りつつドラムも演って、みたいな感じでしたね。でもドラムって言っても、ギターはアンプ内蔵のを持ってましたけど、ちゃんとしたドラムを叩いたのは小学6年生くらいの時なんです。ドラムを始めた当初は拾ってきた雑誌とかを固めてドラムに見立てて、見よう見まねで叩く事から始めてましたね。

そんな演奏だけでなく、楽器に向かう姿勢までも"ロック"なミュージシャンに幼い頃から影響を受け、早い段階から"ギター&ドラム"という二足の草鞋を履いていた楽氏であるが、小学校に上がる頃には既に「音楽家として生きていく」と心に決めていたみたいだ。

親にもドラムセットを買うのは無理だと言われていたんで、小学3年生くらいの時から「どうしてもドラムが叩きたいからドラムセットを買ってくれ!」って学校にお願いし続けてたんです。それで小学5年か6年の時にやっとドラムセットが学校に来て、そこからはひたすら学校で練習してましたね。もう授業とかもほとんど空っぽで何も頭に入れずに、常にドラムの事とかギターの事とか、もう音楽の事ばかり考えてました。「ちゃんと学校には行って欲しい」って親には言われてたんで仕方なく学校には行ってましたけど、もう頭の中はずっと音楽の事ばかりで。「楽器は何でも良いから、海外に行って凄いプレイヤー達と実際に会って、一緒にセッションできたら面白いだろうな」とかそういう事をずっと考えてて、その一心でずっと頑張ってたというか。あんまり"これで食いたい"とかそういう感覚ではなくて、演りたいプレイヤーと一緒に演る為には有名になって知名度を上げないと無理だし、お金も払わないとやっぱり雇えないっていうのは現実問題あって、「それだったらプロを目指さなければならないのかな」って考えながら、その時はやってましたね。

欲しいドラムセットの為に学校を根負けさせ、小学生の頃からミュージシャンとして生きていく現実的な方法を模索するなど、もうこの頃から楽氏の音楽に対する拘りというか愛というか、"執念"にも似たような思いの強さには並々ならぬものがあったように思う。

小学生くらいの年齢は、ごく一般的な物の見方をすれば、本来最もゲームや漫画などの娯楽に心動かされるような年齢であると思うのだが、このくらいの年齢の頃から楽氏の心は音楽で満たされていて、考える事はそればかりであった。

この事実だけで、今、楽氏がミュージシャンとして誰も到達出来なかった、到達しようとも思わなかった唯一無二な場所に辿り付こうとしている事に、否応なく納得させられてしまう自分がいる。

幼い時から音楽を演ってきたというプレイヤーは多いが、その殆どは自発的には始めていないというケースが多いように思う。

しかし、楽氏はもう幼い時から自発的に"音楽"という存在と向き合い、全ての行動を"音楽を演奏する"という事1つに、自ら進んで己の人生を捧げてきた。

言ってしまえば、そんな事を積み重ねてきたプレイヤーが人を驚愕させれるプレイが出来ない方がおかしいとも思うし、楽氏はそう成るべくして誰も辿り着けなかった場所に辿り着こうとしてるとも思える。

しかし、そんな音楽に全てを捧げ、音楽に生きた楽氏の児童期〜思春期は、彼にとっては"地獄"でもあったという。

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