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激人探訪 Vol.13 小川 洋行~温かく、太い音で作り出す"何か"~

どうも皆さん、YU-TOです。

唐突だが、皆さんは"ご縁"という存在を信じるだろうか?

"ご縁があって出会った"や、"今回はご縁がなかったという事で"に使われるあの"ご縁"である。

何ともこの"ご縁"という存在は厄介で、目に見えない、胡散臭いスピリチュアルめいた存在であるにも関わらず、日本という国で生活していると当たり前に日常で使われる言葉だったりもする。

この"ご縁"という言葉の意味は、シンプルに言うと"つながり"という意味になると思うが、そんな"ご縁"という言葉を強く思い起こさせたのが今回の激人探訪だ。

今回のゲストはUnlucky MorpheusTRICK BOXのベーシスト、小川 洋行氏だ。

0048のコピー

約13回に渡って、この激人探訪を執筆しているが、"MI JAPAN"というワードが何回も出て来ている事実に自分でも気付いている。

自分が卒業した専門学校でもあり、これまで取り上げてきたSTUDIO PRISONERのHiro氏、Unlucky Morpheusの紫煉氏、GO氏といった激人達と初めて顔を合わせた場所でもあるMI JAPAN。

ご存知の方もいるであろうが、今回のゲストの小川氏もこのMI JAPANの出身である。

激人探訪 Vol.10でも前述している通り、小川氏も紫煉氏と同じように、自分のMI JAPANの1つ上の先輩にあたる人だが、在学中はほぼ全く接点がなかった。

何か1、2言だけ言葉を交わしたような記憶も無くはないが、ほぼ"初めまして"な間柄とも言って良い関係性であると思う。

小川氏はメタルをプレイしてはいるものの、自身をメタルミュージシャンだとは一切思っていない。

小川氏はMI JAPAN時代から格好もプレイも全くメタルの匂いがしなかったし、当時は髪型も格好も生粋のデスメタルプレイヤーであった自分が、彼に対して何か通じるものを感じとれる訳はなく、お互いがお互いに無関心であったように思う。

しかしそこから時が経ち、まさかこのような形で小川氏と関われるとは考えてもいなかった。

激人探訪 Vol.11の取材時、小川氏とは別件の事ではあるが、MI JAPANの講師も務めるゲストのGO氏が、"何か卒業しても、そうやって勝手にみんな繋がっていくよな"という言葉を何気無く言っていたのだが、"本当にそうだな"と思う。

これがいわゆる"ご縁"と呼ばれるものなのだろうと、今回は強く思わせてくれた回だ。

小川氏とは本当に久しぶりに顔を合わせる事が出来た、いやむしろ"顔を合わせる"という意味では、初めてになるのかもしれない。

それだからか、"お久しぶりです、、、ですよね?"などという、何とも意味不明な挨拶を小川氏と会った時にしてしまったが(笑)、やはり"MI JAPAN"というある種の同郷の出身、話はすぐに昔話で盛り上がった。

最初は取材どころかまるで同窓会のような話で盛り上がってしまい、話が脱線してしまう事も多々あったが、それもまた楽しかったし、同じ専門学校出身であるが故に共感できる話も小川氏は沢山してくれた。

"ベース"という世間的には"地味"とされる楽器の彼なりの捉え方

"メタルベーシスト"には敢えてならないという"リスペクト"

そして、彼の音楽観の大部分を形成した"藤岡 幹大"という存在

小川氏のミュージシャン、ベーシストとしての活動はジャンルを問わず幅広く、正にオールグラウンドなプレイヤーと言える存在だが、考え方と姿勢は独特ながらもどこか1本芯が通っていて、聞いていて頷かされる事も多かった。

最初の出会いこそ空疎なものだったかもしれないが、MI JAPANが繋いでくれたご縁のおかげで、こうして小川氏とじっくり音楽の話が出来たことは、自分の人生の大切な経験の1つになったと感じている。

小川氏がここまで詳しく個人の事を発信するのは恐らく今回が初であろうし、かなり貴重な内容の記事になるだろう。

そんな今まではメディアが取り上げてこなかった、ジャンル分け不要なオールグラウンドベーシスト小川洋行氏を、今回はこの激人探訪で徹底的に深掘りしていこうと思う。

第1章 世界2位のベーシスト

小川氏が人生で1番最初に触れた楽器は、彼の実家にあった亡くなった祖父の形見のクラシックギターであったという。

割と音楽が好きな家系であるのか、従兄弟もフォークギターを演っており、1番最初は彼からギターを習っていたらしいのだが、ある程度コードが押さえられたくらいで辞めてしまったらしい。

そこから1〜2年後、小川氏を音楽の世界に呼び戻したのは、彼のお兄さんがきっかけであった。

兄ちゃんがLUNA SEA好きだったんだよね。それで、いつも俺の隣の部屋でずっと爆音で曲流して歌いながら聴いてたの。それで隣の部屋越しだとベース音がすごい響くから、"これがベースか!"って分かったんだよね。何かドリカムに"ギターじゃないメンバーがいるな"とはたまに思ってたんだよ(笑)"別に搔き鳴らしてる訳じゃないけど何か演ってるな〜"って。それで、その壁越しのLUNA SEAの音がきっかけでわかったんだよね、"ああ、これか!"って。それが何か凄い嬉しかった。

小川氏はUnlucky Morpheusのオフィシャルnote上でも、そんなお兄さんとのエピソードを語っている。

何とも傍迷惑なお兄さんではあるが(笑)毎日のように繰り返される、そのお兄さんのLUNA SEA大熱唱がなければ、小川氏はベースを始めていなかったのかもしれないと思うと、割と大きな爪痕(?)をお兄さんは小川氏の人生に残してくれたのではないかと思う。

そんな音楽におけるベースの存在を初めて認識した小川氏は、初心者用のベースとアンプを買い、本格的にベースを始める事になったらしいが、彼はその壁越しから聞こえたベースのどのような部分に魅せられたのだろうか?

何か色々な要素があって。"楽器始めたらカッコイイだろうな、モテるだろうな"って軽い発想みたいなのは常にあって、ギターヴォーカルとかでも良いし、"やっぱ楽器できた方が良いよな〜、でもドラムはな〜、、"みたいな事はずっと漠然と考えてたの。出来もしないのに(笑)そんな事を漠然と考えてた時期に、その壁越しの音を聴いて"うわっめっちゃベースって重要じゃん!"って思ったんだよ。それでもう"俺しか知らねーだろ、この情報!"みたいな(笑)今思うと別に大した事じゃないんだけど、"クラスで俺しか気付いてないんじゃね?"とか思っちゃって(笑)そしたら異常にベースがカッコ良く見えたんだよね。

多感な10代の頃に、ベースの"目立たずとも重要"な部分に気付き、惹かれていったとは、小川氏は根っからのベーシスト気質なのだなと感じる。

"みんなは分からないけど実は結構大事な部分を担ってる"という事に美学を見出せるというのは、ベーシストとして最も大事な素質の1つであると思う。

そんな早い段階からベースという楽器に魅せられ、自身でもプレイするようになっていった小川氏であったが、学生時代は本格的にライブハウスに出演したりするなどの目立った活動をしていた訳ではなかったそうだ。

高校に上がってからも軽音部は無かったし、中学時代からのギター演ってる友達と、高校で出会ったドラム叩ける奴とただ一緒に音合わせてるだけだったな。ライブハウスとかにも出てなかったし。でも、全然目立った活動とかしてないのに、何故か"俺は旭川で一番巧いって思ってた(笑)世界2位だったから、、1位はBilly Sheehan(笑)もうBilly Sheehanの次に俺が巧いって思ってたね(笑)

"根拠の無い自信も必要"という言葉は良く聞くが、自分はこれは肯定否定、丁度半々のくらいの考えを持っている。

その根拠の無い自信を、"いつか絶対的なものに変えてみせる"と少しでも思っているのならばこの考えを肯定するし、"いつまでも根拠は無くて良い"と考えているのならば、それはちょっとどうなのかと思ってしまう。

今、小川氏がベーシストとして様々な現場で活躍出来ているという事は、本人は無意識であるにせよ、彼は前者の考えを持っていたという事だろう。

"プロになろう"っていうか、"なれる"って思ってた、、バカだから(笑)"なれないわけない"って思ってたよ。よく分からないけど。

そんな根拠は無いけれど確信に満ちた自信を持って小川氏は高校卒業後に上京して、MI JAPANに入学する。

このMI JAPANで、小川氏は今後の彼のミュージシャン人生を大きく左右する様々な出来事を体験する事になる。

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