僕の緊縛観
2021年9月12日に初めてSMバーの扉をくぐってもうすぐ早二年。
子供の頃から憧れつつも実現なんて出来ると思ってなかった「縄で縛られる」を現実に体験することのできた僕は少しずつその経験を積み重ね、自分がどんな風に緊縛を好きなのかを考えたり人に語ったりする中でだいぶ形が見えてきたかなぁと思うようになりました。
今わかっている範囲で、僕が縄を好きな理由を列挙してみます。
①捕まってしまって動けない、という状況が好き
原体験として、子供の頃見ていたマンガやアニメなどで、主人公や主人公の仲間が敵に捕らわれてしまうシーンにいつも釘付けでした。
当時はそれを見ながらオナニーするとかはなかったけど、とにかくその興奮を愛していたことは間違いないです。
まぁ、この記事を読んでくださってる方にはこの興奮についてこれ以上説明する必要は特にない気がします。捕まるのがどうして好きかなんてこれ以上理由を探す必要もないでしょうし。どうしてリンゴが好きなのかみたいなものです。
②危険がないか細心の注意を払い、全神経を僕だけに注いでもらえる喜び
これは手枷足枷などを使うよりも怪我や命の危険に繋がりやすい縄ならではの要素ではないでしょうか(もちろん首輪リードなど、縄でなくとも重大な事故の危険もありますが)。吊らない後手拘束だけであっても、腕や手首などへの圧迫の具合に始まり、吊るとなれば圧迫によるダメージに加えて急激な落下や思わぬ衝突などのリスク、逆さになることによる血流の変化、呼吸にも関係してきたりします。
そういう中で、リスクをゼロには出来なくとも最大限僕の安全のために本気で気を配りながら数十分を真剣勝負してくださる。
普通に過ごしていたら手術を受ける時くらいしかこんな経験はないでしょう。
③縄で縛るなんていう実に面倒くさいことをわざわざやって、どう縛ろうかと頭を使いながら僕に構ってくれている喜び
これは②とほとんど共通ですね。
縄より手枷足枷派の人たちに言わせれば、縄なんて効率が悪い、のひとことなのですが、僕はあえてその効率が悪いことをしてくれていることに最大の喜びを感じるわけです。
吊るすだけならハーネスでもちゃっちゃと装着してやれば3分もしないでいっちょ上がりなわけですが、それをとんでもない地道な工程を踏みながら、膨大な時間とお金を投じて講習やサロンなどに通い皮膚が擦り切れ分厚くなるまで練習し、幾度も壁にぶつかっては挫折しかかってそれでも乗り越えたりして、おまけに部屋は縄の手入れで糸くずまみれになり、そんな苦節を積み重ねて培った技術を惜しげもなく僕のために使ってくれる。
僕はそんな贅沢さを感じられるところにも身震いするような喜びを覚えるのです。
これはほんの少しだけど講習会に通ってみて、後手の型ひとつだけですが覚えてみたから思うことでもあるかもしれません。
そしていくら経験豊富で様々な縛り方を身に着けた方といっても、じゃぁ僕に対してどんな風に縛ろうかというのは、僕とのやり取りとかを通してちゃんと一から考えて組み立てたり僕の身体に触れながら決めてったりしてくださってるわけです。
そういうものすごく頭を使った構い方をしてもらえるのが、僕はとても嬉しい。
④苦しいことに耐え抜いた後の達成感
これは登山する方はよく共感してくださるのではないでしょうか。
息が出来ない、全身のあちこちがもう痛くて動かせない…でも頑張って登り続けた先に見える景色だけでなく、やり遂げた事実そのものが最大の報酬であるような感覚。
(緊縛の中では痛みは意図したものと不本意なもの、スルーして構わないものと一刻も早く取り除かないといけない痛みとそれぞれありますが)
段々縄の締め付けがキツくなってきて、呼吸は浅くしか出来なくなってきて、動物でありながら動きを封じられていることによるストレス、そして本能が訴えかけてくる身の危険。
時間と共にそういう感覚との戦いが激しくなってくるんです。
何度も、「もうギブしてほどいてもらおうか…」という考えが頭をよぎる。でも、あと5秒だけ耐えてみよう。あと3秒だけ…
その先に突如「完成」が来て、解かれ始めたときのあの独特の安堵感と達成感。自分は能動的には何にもしてないし作り上げてないのですが、縛り手さんの偉大なわざに参与させてもらえたような感慨もあります。
それに逆エビとかにされたりすると次の日には盛大に筋肉痛になってたりして、これも自分は何にもしてないのに、すごく運動したかのような爽快感があって、ひそかな醍醐味のひとつであります。
⑤④に加えて最後にヨシヨシ頑張ったね!が待ってるとなお好き
全ての縛り手さんがするとは限らないと思いますが、ほどきながらとか、ほどき終わって受け手がまだグッタリしてる時とかにヨシヨシしてくださる縛り手さんは一定数いらっしゃいますよね!
僕はあの時間も大好きです。
大の大人がこんなふうに公然と甘えさせてもらえる機会なんてほとんどないじゃないですか。気心知れた人とのセッ久があるか、ないかというのがSMをしない人の状況だと思いますが、SMの世界に足を踏み入れるとそれ以外の機会でも甘えられちゃう!!ヤバイ!!
⑥縄を通じて(口実に)縛り手さんと触れ合えるから
一般的な対人関係において、少々会話して知り合ったくらいの状態で、好意があったってそんなベタベタ触っていいことはまずないでしょう。
でも緊縛という口実を元に、その壁を軽ーーーく超えてしまえるのです!
もちろん、ちゃんと合意は必要なので、縛り手・受け手のどちらもが、相手と触れ合ってもよいと思っていることは前提ですが、緊縛でもなかったらいくらお互いにそう思っていたとしてもなかなかこうはいきませんって。
まぁ、強いて他の例を挙げるなら社交ダンスやフィギュアスケートのペア演技などでしょうか?
だとしてもこんなに長時間ねっちりと密着してることはまずないかと思います。
オマケに、縄跡が数日残ることでその限られた時間を反芻する「よすが」が得られるわけですねぇ。
縄の良さを語るにあたってどんどん僕の下心ばかりが開陳されてますけど、実際口に出して言わないだけでこれを求めてる人は少なくないでしょうねぇ、どうでしょうそこの読者のあなた??(圧)
⑦縄を通じて縛り手さん自身を知れるから
お喋りに長けてる縛り手さんもいますが、普段はそこまで喋らない寡黙な縛り手さんもいらっしゃいます。
でも縄を受けることで、言葉を介さずともその人の内面が垣間見えてくるようなことってあるじゃないですか。
その人自身の人となりだけではなく、自分に対してどう思ってくれているのかという度合いも見えてきます。
お金を払って縛っていただくプロであれば、そこは実際の思いを横に置いてやってくださる面もあるかもしれませんが、金銭の授受を介さずお互いが望んで緊縛をした場合は、きっとそこに見えた思いに嘘偽りはないのではないかと思っています。
あまりたくさん会話できたことはなかったけど、思い切ってお願いしてみたときに快諾してくれて、その最中にしっかり僕と楽しんでくださってるなぁというのが感じられたら、今までの「自分なんかが縛ってくれって言ったら嫌じゃないかな?」という不安が吹き飛ぶわけです。
そのたびに、昔から抱えていた、僕のインナーチャイルドにかかった呪いが解かれていくんです…
僕、緊縛に出会えてよかった。
リアルに体験するようになったきっかけはツイッター裏垢の相互さんからの付き添い依頼でしたが、今では僕の方がすっかりどっぷり浸りきっています。誘ってくれたその相互さんは僕の生涯の恩人のひとりです。
お読みくださりありがとうございました!!
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