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私のMission / Vision / Value & 原体験

【Mission】使命・存在意義

「個と組織を生かす」

人と組織はどんな状況でも必ず成長できると信じ、
成長したいと願う人と組織を心から応援し、
同じ志を持つより多くの仲間と共に、
具体的な行動でその実現の後押しができる人間であり続ける。


【Vision】目指す私→社会

好きな時に
好きな場所で
好きな仲間と一緒に
好きな仕事を
好きなお客様と
好きなだけやる

私が、私自身の「好き、やりたい」に素直になり、それを誰かの価値に変える

あらゆる人の「好き、やりたい」が原動力となって、お互いの価値を認め合う社会へ変える


【Value】行動指針

①全てに「いいね!」
②分からないに飛び込め、分かったら離れろ
③行ったり、来たり
④大きくぶち上げ、小さく動き出せ

①全てに「いいね!」
自分の好きに素直なら、相手の好きも認めよう。
悪に見えても、その人の正義。
正解より違いが尊い。

②分からないに飛び込め、分かったら離れろ
未知を恐れるな。
なにこれ?のワクワクこそ好きの種。
分かることは全て想定内。
安住せず未知を探そう。

③行ったり、来たり
抽象⇆具体、理論⇆実践…一方で煮詰まったら対極に突破口あり。
全力で頑張ったら、全力で休む。

④大きくぶち上げ、小さく動き出す
あり得ないことを描こう。想像できることは、あり得る。
今すぐ1cmでも動こう。動き出せば明日はもっと動きたくなる。


このMVVに繋がる私の原体験

4歳で父が亡くなった。
母を悲しませないため、多くの大人に助けてもらうため、周りの期待に応える子であり続けた。
そのまま大人になって、応えるべき人が増えて潰れた。
喜ばせたい大切な人は悲しんだ。
自分らしくあることこそ大切な人は喜んでくれると気づけた。


原体験①:父の死 ~幼少期~

いきなりですが、私、神童でしたw

教育熱心な父の影響で、3歳頃には漢字や英語で書かれた街の看板を嬉々として読みまくっていたそうです。(本人全く記憶なしw) 

父の死という原体験よりも前に、「大人の期待に応える」という私のベースは作られていたかもしれません。

私が4歳になったばかりの1986年12月25日、父は亡くなりました。

生まれつき心臓の弁に異常があり、仕事の過労・ストレスなどが原因となって突然発作が起きて、そのまま亡くなりました。

父が倒れた瞬間の画は今でも鮮明に覚えていますが、その後数ヶ月の記憶が見事にありません。父の葬儀では、何が起こっているのか理解できていない4歳の私が楽しそうにはしゃいでいた、と周りの方から後になって聞きましたが、やはり記憶が飛んでしまうほど小さい子どもには衝撃が大きかったのでしょう。


原体験②:アイデンティティに助けられた ~小・中・高時代~

父が亡くなった後の私のアイデンティティは「良い子でいる」です。

母一人、子一人の母子家庭。とにかく母に負担をかけない、困らせない。なるべく周りの大人の助けを得られるように、大人の言うことを素直に聞く。

神童の名残そのままにw 勉強も運動もけっこうできた私は、幸運なことに小・中・高と周りの期待以上の良い子でい続けることができました。

その代わり、「自分のやりたいことは何?自分は何者だ?」と苦しんだ経験がありませんでした。なので、いわゆる思春期や反抗期もありませんでした。何か衝動が沸き上がってきたとしても、それを表に出したら母と私が生きづらくなると理性で全てをセーブできていました。

某大学の系属校である私立男子中高一貫校に通っており、その大学への推薦枠がありました。どの学部に推薦で行くにも問題無い成績でしたが、「水越が推薦枠を取ると他の人が行けないだろ。お前は都内の国立に行くって決まってるんだ」と言われ、「それでみんなうまく回るんなら、オレはそうした方がいいんだろな」と納得し、受験勉強をして周りの期待通りに進学しました。


原体験③:挫折その1 ~大学時代~

「自分のやりたいこと」が無かった自分に最初の挫折が訪れます。

大学合格が目的だった私。大学合格はただの通過点で、大学で学びたいことやその先になりたい自分をはっきりと描けている同級生たち。

生まれて初めて「あなたは何がしたい?」で溢れた世界にいきなり放り込まれた私。学業成績も上には上がいて、完全にアイデンティティが崩壊しました。


原体験④:ミッションの伏線 ~フットサル~

何をしていいか分からなくなった私は、とりあえず自分の得意分野=サッカーに逃げました。他大に進学した高校サッカー部の同級生がフットサルチームを立ち上げたと聞いて加入します。(アイデンティティを失い茫然自失だった私は、サークルの「新歓」期を逃し、学内に気の置けない仲間が誰もいない状態でしたw)

ここでのアイデンティティもやはり「良い子でいる」でした。

チームに求められるまま、戦術の勉強/練習メニューの作成/チームマネジメントに没頭。プレイヤーとしての成長よりも、そればかりを考えていました。チーム方針に納得しないメンバーとの衝突はありましたが、私がプレイヤーとしてのエゴを出して周りを困らせることは無かったと思います。

4年間かけて、所属チームは関東圏学生チームとしてはそこそこ有名な存在になり、学内サークルの形ではなくインカレで存続する学生チームとしての基盤を築くことができました。

「良い子でいる」アイデンティティで苦しんだはずなのに、そのアイデンティティでまた成功体験をしてしまう。振り返るとここが変わるチャンスだったかなと思いますが、後悔はしていません。

個のステータスで負けていても、組織としてなら強豪と互角に戦える。強みを磨き上げ、それが刺さる相手の弱点に全力を向ける。(今考えると、ランチェスター戦略の【弱者戦略】だったなあと)

そういった体験の積み重ねは、私の人生ミッション「個と組織を生かす」のベースを作り上げてくれました。


原体験⑤:挫折その2 ~社会人~

そんなこんなで、アイデンティティに苦しみつつ、学生時代までは何とかやってこれてしまいました。

勉強とフットサルだけ一定レベルでできてれば、良い子はキープできました。

それが社会人になって一変します。

■良い子でいなきゃいけない対象が増えた

学生時代までは良い子でいなきゃいけない対象は、親・先生・フットサルのチームメイト、くらいなもんで、正直余裕でした。

それが、上司・先輩・お客様などなど無数に広がっていきました。

■「おまえはどうしたいんだ?」

新卒入社したのはリクルートのグループ会社。新人だろうが、強烈に自分の意志を問われ続けます。

相手の意志に応えることが全てだった私は、ほんとにどうしていいか分からなかった。上司には「Aをやれ」と言われ、協力部署には「Aだけはやるな」と言われたりする。

一見反対に見えても「お客様のフロントに立っている営業の私がどうしたいかを決めて発信して、周りを巻き込んで動かせ」という同じメッセージだったんだと、今になってみれば分かります。

そんなこと当時は全然わからないので、上司にはAをやったと報告し、協力部署にはAをやりませんでしたと嘘をつき、嘘をついたことがばれて上司にも協力部署にも怒られ、お客様には何も提案できず私のあずかり知らぬところで営業チェンジ希望をお客様が上司に伝えてた…とかそんな日々。

心身とも完全に壊れました。

部署や仕事を変えてもらうありがたい配慮をいただきながら、何とか4年半続けましたが、ダメでした。

壊れてもなお、「良い子でいること」しか喪失した自信を取り戻す手段を知らなかったから。

異動のたびに、「今度こそこの人の期待には応えよう」と。それそのものは全く悪いことではないですが、自分不在だと死ぬほどきつい。

「自分は何がしたいかわからないんです」なんて相談は、信頼してくれる人を困らせる最もやっちゃいけないことだと勝手に思い込んでたので、ますますつらいことに。


原体験⑥:自分と向き合うことで気づいた大切な人との関わり ~FXトレーダー時代~

そんな時にふと降りてきた考えが「1人になってしまおう」でした。

周りからの期待や関わりが無い世界にいれば、この苦しさから抜け出せるかもしれない。

石橋を叩いても渡らないくらいの慎重派だった私が、この時ばかりは即決&即行動でした。

まず会社を辞めることを決め。一人で食いつなげることは何だろうと考えて、家にこもってトレーダーでいいじゃんと決め。株はマーケット小さくて素人は情報量で勝てないだろうから、マーケットが大きくてテクニカルだけでも勝負できるFXにしようと決め。すべての時間をFXトレードのインプットに費やす。

ここまで全てがおそらく1週間程度だったと思います。

本当に運が良く、欲を出さなければ一人で食いつなげる程度の収入を5年間継続できました。

そしてこの期間に大切なことを学びました。

■すべては確率
■1回1回の結果にこだわらないが、1回1回ベストは尽くす

「100%勝てる必勝法」みたいな投資の本をたくさん見かけますが、ありゃ100%嘘ですw そんなのあったらみんな大金持ちです。

どんなに優れた戦略でも、いろいろな要素が影響して勝つときもあれば負ける時もあります。(当たり前ですねw)

でも「大数の法則」で、試行回数を増やしていくほど、ある戦略の勝率は一定の値に収斂していきます。

なので「目の前の1回に必ず勝つ!」という意気込み方は間違いで、「戦略を正しく実行する」そして「それを継続する」ことだけが大切です。


コイントスをして表が出る確率って何%ですか?

…50%ですよね。

では、こんなゲームがあったとしましょう。

「コイントスを100000回やって、40000~60000回表が出たら、賭け金の100倍もらえる。はずれたら賭け金の100倍奪われる。ただし、開始して100回までの間なら降りることができて、賭け金を全額バックしてもらえる。」

絶対やりますよね。では、ゲーム開始。

なんと開始から30回連続で裏が出ました。(コインにイカサマはしてませんw)

ここで恐怖に駆られて疑い賭けを降りてしまう人こそが、目の前の結果だけを見ている人、「戦略を正しく実行できない・実行し続けられない人」です。

あるいは、コインの投げ方を研究し始めたり、表を出す天才霊能者にお金を払ってコイン投げをお願いする(≒戦略をコロコロ変える、ブレる)みたいな人が出てきますw


トータルで勝つためには、1回1回の「結果」にはこだわらない。

でも勝つために練り上げた戦略は、1回1回「しっかりとやり切る」。

ある程度の試行回数を重ねた後に必ず振り返りを行い、予想した勝率を収められていない(予想以上でも予想以下でも)時は、
①戦略を正しく実行・継続できていたか
②戦略自体の優位性が無かったのか
③想定していなかった環境変化で戦略が機能していないのか
のどれが原因かを明確にして、修正する。


自己啓発書なんかで「手放す」ことの大切さを説いていたりしますが、本質は同じな気がします。


そして、トレーダー時代の一番の気づきがこれです。

私が良い子であろうと頑張り続けた一番の対象である母が、私が壊れたことと私の決断を一番悲しんだ

これは本当にショックでした。(私が全てを伝えずに突如会社を辞め、家にこもってトレーディングに没頭し始めたことこそ、母とのすれ違いが始まった一番の原因なのですが…)

すぐに再就職しろ、それが嫌なら何か資格を取れ。

他の人の期待に沿って良い子でいるだけの毎日からやっと抜け出せたと思ったのに。

今までの人生、母のためにあれこれ頑張ってきたつもりだったけど、何だったんだろ?

誰に何と言われようと「自分はこれが好きだ」「自分はこれをやるんだ」という強い意志を持ち貫くしか心地良く生きていく道はないと生まれて初めて気づけた瞬間でした。

中高時代にいわゆる反抗期が無かった私は、20代後半から30代前半にかけて遅れてきた反抗期を謳歌しますw こだわる必要のないことまで、文字通りすべてのことに反発してました。ごめんね、母さん。


原体験⑦:真のアイデンティティの確立 ~結婚、息子ができての気づき~

トレーダー時代に今の妻と出会い、結婚を考えて付き合い始めました。

トレーダーという肩書きで肩身の狭い思いを絶対にさせたくなかった(サラリーマンじゃないと信用が無いので、クレジットカード作れなかったりしたのは今となっては良き思い出w)、外野を黙らせるだけの高収入を実現しようと決意しました。

しかし、これが裏目にでます。意気込むほどにどんどんパフォーマンスが落ちていきました。

早く収入額を上げたい。まさに1回1回の結果にこだわって、冷静な戦略実行ができていない状態でした。

その自分に気付くとともに、「扱えるお金の額は、その人の器の大きさに比例する」ということも感じました。

社会人になってすぐに挫折して、満足いく仕事もできずに企業を離れ、たった一人でチャートに向き合う毎日。器なんて広がるはずがありません。

ずっと気付かないふりをしていましたが、「何も価値を生みださないFXトレードというゼロサムゲームでお金を稼ぎ続けることに何の意味があるんだろう?」ということにも、この頃真剣に向き合って考えていました。

トレードは生きていればいつでもできる。今やるべきこと、今自分が本当にやりたいことじゃない。と気づき、5年のブランクを経てサラリーマンに復帰しました。


トレードのおかげで、データを扱うことは得意になっていたので、マーケターとしてキャリアを再スタートさせました。しかし、復帰後の2社をともに1年程度で退職。

原因は「CEOの人に対する価値観」でした。

目先の売上のために、人を使い捨てのモノのように扱う。そばにいる仲間が苦しんでいる。翌日には会社を辞めていていなくなっている。何もできない自分。

その後転職した今の会社もマーケターとして採用されましたが、CEOと対等な立場で経営にインパクトを与えられる「個と組織を生かす」CHROとなるという覚悟は、この時の苦い体験が伏線になっています。


そして、社会人復帰後の2社目を辞める直前に、息子が産まれました。

有給消化をそのまま産休・育休に充てることができ、24時間息子とずっと一緒に過ごす生活。息子の顔をずっと見ているとふとこんな考えがよぎりました。


「自分の意志が分からないまま生きている父親を見たら、息子はどう思うだろう」

「息子も、誰かの良い子になろうとしてしまったら、どうしよう」

「その誰かが、父親である自分だったら、どうしよう」


「パパはこういう人間だ」と息子に胸を張れるように生きていこう。息子のおかげで、自分のMission/Vision/Valueが完全に固まりました。


長くなってしまいました。申し訳ありません。

自分の思いが薄まってしまうような気がして、一度も文章を推敲せず、過去を回想しながら湧き出る思いのままに、筆を進めました。(読みづらいというお叱りを余りにも多くいただいた際は書き直します)

長文・駄文ではありますが、これ以上でもこれ以下でもない、そのままの私を表現しました。


最後まで読んで頂けたあなたへ、心からの感謝を。ありがとうございます。

私のミッション「個と組織を生かす」の【個】にはあなたが含まれ、【組織】では私と繋がっています。

なぜなら、私のビジョンは【社会】の姿だからです。あらゆる人が自分の”好き”に正直に生きられる、あらゆる人の"好き"を認め合える。そういう社会をCHROとして作っていきます。

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