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安楽死マシンについて

日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
今回は、欧州で開発されたという安楽死マシンについて。

最近、佐々木俊尚さんのVoicyを聞き始めました。
新しい物からどんどん遡って聞いているのですが、そこで見つけたのが、『これからの「良い死にかた」のロールモデルが必要だと思う』というお話です。
昨年の12月のものなので、数ヶ月前の録音ですが、そこで紹介されていたのが、医師の手を介さずに安楽死することを可能にするマシン「サルコ」でした。
アニメで描かれる、近未来の乗り物のような形をしたマシンに乗り込み、AIが示すいくつかの質問に答え、自分の好きなタイミングでボタンを押すと、マシンの中に窒素が充満して安楽死することが出来るそうです。

このマシンの実用化はされていないそうですが、この先、自分の死に方までも、自分で選べるようになる時代がくるのだろうかと、考えさせられました。
スイスでは実際に、自殺ほう助団体というものがあり、一定の条件を満たしていれば自死を選ぶことが可能だそうです。

佐々木さんは、死と生、両方への同調圧力について語っていました。
死への同調圧力というのは、この先、日本で安楽死が認められたとして、本人が本当に死を望んでいるわけではないのに、周囲からの死んだ方が良いという圧力に苦しみ、死を選んでしまうのではないかという懸念です。
一方、生への同調圧力というのは、「生きることは素晴らしい」という言説が強くなるあまり、命をいつどのように終えるのかという、個人の最大の選択を、尊重できないことを指しているようです。

個人の意志を尊重することは、大切なことだと思います。
しかし、私は人生で、どれくらいのことを自分の意志で決定してきたかと考えると、完全に自分の意志で決定したと思えることは、ほとんどありません。
自分で決められるようになるということは、自分で決めないということができなくなることでもあると思います。
これはどうしようもないことだったと自分を納得させることができず、命に対する決定の重みを、自分自身で背負っていく。
果たして、それが自分にできるのだろうか。
死を望むほどの苦しみを知らない今の私に、その結論はきっと出せないのだろうと思います。

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