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暇と退屈

日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
今回は、退屈について。

國分功一郎さんの、『暇と退屈の倫理学』という本を読み始めました。
まだ1章しか読んでいませんが、とても興味深いです。
日々、なんとなく不安に駆られたり、食べ物も住む家も着る服もあるのに、どうしてそれだけで毎日幸せに暮らせないのだろうと、思い悩んだりすることがあります。
私は確かに死を恐れているはずなのに、どうして命があるだけで、日々幸せを感じて生きていけないのだろう。
そんな原因の分からない「なんとなく不幸な感じ」に対して、「暇と退屈」という切り口で、様々な思想が紹介されています。

この本を手にとったきっかけは、坂口恭平さんという、作家であり、画家であり、他にも色々なものをつくりながら、死にたい人からの電話を毎日受け続けている方の文章を読んだことでした。
彼は、楽しめることを見つけること、それを続けていくことを、とても大事にしているようです。
なぜなら、人は退屈すると死んでしまうから。

初めて聞いたときは、そんな理由で人は死んでしまうんだろうかと、不思議な気持ちになりましたが、死にたい人の声を聞き続けてきた方の言葉には説得力があります。
それに、思い返せば私自身も、何をしたら良いか分からず、理由の分からない焦燥感に駆られ、生きているのが辛いと感じることがありました。

そこで、退屈について考えてみようと思って手に取ったこの本ですが、やはり、人は退屈に耐えられない、興奮を得るために自ら苦しみを求めてしまう、といったことが書かれています。
しかし、「不幸に憧れてはならない。したがって、不幸への憧れを作り出す幸福論はまちがっている。」という本の言葉の通り、退屈のあまり死を望んでしまうのは、あまりに悲しいように思います。
この本では結論が出ないのだと、まえがきには書かれていましたが、これから読み進めていくなかで、少しでも前向きに生きていくためのヒントが得られたら良いなと思います。


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