エアコンありがとう

ぼんやりしていたら、夜になってしまった。
もう今日が終わろうとしているのに、昨日の日記を書いていない。
日記が周回負けしている。
もう、なんで書いているのか分からなくなってきた。
いや、なんでとか、言い始めたら終わりなのだけど。
それこそ、平安の時代から日記は書かれているけれど、みんなどうして日記を書くのだろう。
別に、誰かに何かを伝えるわけでもなく。

最近、毎日暑い。
エアコンをつけないと死んでしまう。
エアコンを開発した人は、恐らく人の命を救いまくっていると思うので、流行病の新薬を開発した人くらいの評価をされてほしい。
何か、こんなに暑くなる前からあったから気が付かなかったけれど、開発されていなったら、もっと大変なことになっていたと思う。
いや、そもそも工業が発展していなかったら、ここまで暑くないのかもしれず、そこのところは分からないけれど。

なんとなくのイメージだけど、病気を治すことよりも、病気を予防することの方が、評価されにくいような気がする。
壊れたものを直すより、壊れないようにすることの方が、評価されにくいような気がする。
大事なものは、失ってからでないと分からないのか。
なんか、生きることとか、続いていくことが、当たり前の基準になっているけれど、人は、生きる努力をし続けないと死ぬのだ。
基準は、死の方にあり、続かない方にある。
常に、死ぬ可能性も、終わる可能性も隣にあって、それを避ける努力をし続ける間だけ生きている。
そう考えると、何かを回復させるのと、今までをこれからも継続する努力は、同じくらいの価値があるはずだ。

なんか、年を取ると誕生日が嬉しくないとか、よく聞くけれど、それは生き続けることを前提にしているからで、本来は今までずっと死ななかったことが奇跡なのだ。
別れが悲しいとかも言うけれど、やっぱり、今まで別れずにいたことの方が奇跡なのだ。
有り難いことだ。
いや、なんか上手く言えなくて、ずっとなんかなんか言っているんだけど、基準を変えたら、世界が全部奇跡だっていう、そういう話だ。
あれ、そうだったっんだっけ。


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