7/26、今日も雨

初投稿から一夜経った。だれかに読んでもらえればうれしいが別に誰も読みに来ないだろうと思っていたのになぜかすでにいいねが6個もついている。は?という気持ちだがまあありがたいことだと思う。おそらく初投稿とかそんな感じのタグをつけたからだと思うのでこの文章はタグを付けずに投稿してみることとしよう。
世の中ありがたいことだらけだ。ありがたいというのは有難いと書き、有ることが難しいことなのだ、だから感謝をせねばなどという話を聞いたことがある。しかし、有難いとはなんなのかよくわからん。今ふと思ったことだが、仏教的な思想とつながっているのかなあ、そうだとしたら面白いな、など。

特に書きたいことも決まらず駄文乱文をこうして書き綴っている。たぶんこれからもそうだろう。有益なことなどほとんど書かないに違いない。なぜなら自分にとって書くことは楽しいことであり、今のところ書くことは手段ではなく目的になっているからだ。
なんだかツイッターの文字数制限がなくなったみたいなそんな感覚でnoteを書き、他人の文章を眺めている。しかし、なにかが決定的にツイッターとは違うと感じている。たぶんリツイートなどの共有機能がないことだと思う。自分が知らないだけでそういう機能があったら恥ずかしいが。あと人の文章にコメントができない仕組みになっているようだ。これも自分の無知のせいなら恥ずかしい。しかしこうした便利機能がそぎ落とされているというだけで非常に治安のいい場所のように感じる。ツイッターは基本的に下らん争いが絶えない。情報収集ツールとしてはいいかもしれないがどこまで正しい情報かなんてわかったものではない。

文章を書くことは楽しい。ただの自己満足であったとしても書くだけで楽しい。だからこうして書くことも決まらないまま適当に思ったことを文章に放り込んでいる。昨日の初投稿が7/25で、なぜか間を置くことなく続きを書いている。今日も雨。彼は、そして彼女は今どこでなにをしているだろう。この雨をなにを思って眺めているだろう。私は雨が好きだし、梅雨が好きだ。雨のにおい、音、身の回りの雑音を消し去ってくれるようだ。こんな日にはヨルシカのインスト曲を聴き、優雅に恩田陸さんの小説でも読んでいたい。静かな、ゆるやかな時間の流れを楽しみたい。

こんなことを書いていたら、そういえばヨルシカさんの新作アルバムの予約をしていなかったのを思い出した。危ない危ない。もしかしてもう特典は切れてしまっているだろうか。まあいい、本当に欲しいのはその音をいつでも聴ける環境というか、CDが大事なので、特典は些末なものだ。もちろんあったほうがいいに決まっているが。

CDショップに行くかどうか、これもけっこう大きな問題だ。配達なんて味がない。実際に店に足を運んで、その雰囲気まで込みで味わいたいというのがある。以前なら喜んで店まで行っていただろう。しかし今は例のウイルスの蔓延のせいでどうにも賑やかな街へは行きづらい。ううん、困ったものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?