これまでの歩み、そしてこれから。【高校時代からの夢路】

序文

 恥の多い生涯を送ってきました。……あ、入水自殺とかしないですよ。恋人はいませんし。内容は真逆です。さて、最近私のFacebookフォロワーがなんやかんやこのNoteを使って素晴らしい記事を書いていますし、女もかいてみんとてするなり。私は男ですが。あ、あれは男が書いたものでしたね。あまり振り返るのは好きではないのですが、まぁこれからさらに駆け抜けねばならないなと思うので、ここがそのタイミングであろうということで、ここに記しておきます。こんな狂人の戯言など面白くはないと思いますが、暇な方はご覧ください。かなり長いですが。
 かいつまんで要約すると、人生はまぁ大体上手くいかないわけですが、偶然の蜘蛛の糸を掴んで離さなければ、結構面白くなりますよ、というお話です。意識を高く保たなくなんていい。真面目でなくたっていい。そういうメッセージが込められています。だれか、高校生でこれを読む子に向けて。そして願わくば、その子がその子だけの旅路をつくり、大地を踏み鳴らし行くことを信じて。

自己紹介

 さて、簡単な自己紹介を記しますと、スタジオルミナスというサークルを主宰してゲームを作っている人間です。役割は代表兼プログラマ兼プランナー兼雑巾です。雑巾というのは、まぁ大体全部の雑務やらなにやらということで、年末やイベント直前にボロボロになる楽しいお仕事です。また、奇妙な縁で社団法人Willdoor様とつながりがありまして、キャリア教育を行う学校現場にて、へなちょこ雇われ傭兵として使っていただいております。あ、雇われてはいないですが。一応投稿時点での身分としては学生でございまして、ノックアウト義塾大学の大学院で、アルコールとか酸のOとHをビヨンビヨンさせるプログラム開発と、理論基盤の模索をやってます。実名でグーグル検索すれば学会ページが現れるぞ! 個人情報ダダ漏れですね。

スタジオルミナス誕生秘話

 スタジオルミナスって何ですか、という方はこちらのWebページをご覧ください。(近々新しくしたいです)
http://lmstudio.webcrow.jp/
私は小学生くらいからC言語という外国語の学習を始めていて、まぁ背伸びをして色々作りかけては放棄して、を繰り返してきた人間なのですが、時は忘れもしない中学3年生の10月18日。私は部長をしていたコンピュータ研究部で、珍しい人間と邂逅します。そう、本当にあの時にはまさかこんなに長く付き合うとは思わなかった人間……シナリオライター、(彼には5通りの名前があるから、何て呼べばいいのか……)紅野木屋右京(以下シナリオさん)です。彼は中高一貫校では最上級生の高校3年生だったのですが、当然センター試験前。部活に現れることなどありえない。……がまぁ、現れたわけですね。色々と話をして、彼が小説を図書館で書いていたことが分かりました。
 その時私は困っていたのです。一本のRPG(黒歴史)「ファンタジー・オブ・中二病」を大体作り上げ、マップデザインやらプログラムはいいのですが、如何せんシナリオが糞つまらないという事実に直面していたのです。
 そこで私はこういったわけです。

「じゃあ、一緒にゲーム作りましょう。先輩がシナリオを書いて、私がプログラムに乗せる!」

……いや、これはたぶん誇張ですね。こんな漫画のヒロインみたいなセリフは吐かなかったと思うし、バ〇マンか何かですか。大好きですけどね、バク〇ン。でも大体こんな感じのことを言ったのはたしかです。私かシナリオさんを女にすれば、そこそこ面白い青春コメディがかけるんじゃないかな。
 さて、そんなこんなであるプロジェクトが産声をあげます。タイトルはそう……「ミステリイーター!

ミステリーなんてものを書いたことがないシナリオさんに、なんでミステリーものを要求したのかというと、私自身が「逆転裁判」とかが大好きだったからです。あとはNScripterで作られた「ひぐらしのなく頃に」にハマっていて、それっぽいものを作りたいだとか、「怪奇大作戦」ばりの掟破りなミステリーをやりたいとか言ったからです。――最終的にはそんなのとは全く違う、カオティックなものになりましたが。ちなみに、「ミステリーイーター」でもないし、「ミステリイータ」でもないです。ビックリマークまで入れないと彼に怒られます。

震災。

 しかしことは順風満帆には行きません。出会った直後の彼のシナリオはあまり面白くなく、私が「没、書き直せ!」指令を出しまくっていたわけです。さらにそういった出会いの直後に訪れたヤツ、忘れもしない東日本大震災。私は辺境の地イヴァラキに住んでいたため、その被害を大きく被りました。学校はしばらくなくなったし、まどかマギカは10話で止まるし、その間にダンガンロンパを3周くらいクリアするし、まどかマギカは10話で止まるし。当然連絡手段も断たれ、シナリオさんとのつながりが途切れます。ああ、まぁこんなものかなとその時は深くも考えず、新しいゲームとして、シューティングゲーム開発に勤しみます。……今にして思えば、これもかなり重要だったわけですが……。

Side Episode:鬼師匠。

 さて、そんなこんなで高校生活がスタートし、最初の文化祭が訪れます。私の母校は、中学生は文化祭に参加できず、私はこの時をかなり待ち遠しく感じていました。コンピュータ研究部はそれまでパソコンの部品を展示するだけで、それらしい活動はしていなかったのですが、まぁそんなのじゃ納得しない私は、部員たちに1本ずつゲームを作らせ、展示したのです。私の作品は「ファンタジーオブ中二病」。見てくれだけは結構よかったので、クラスメイト受けはそこそこ。(が、大変長い作品のため、全部は遊んでもらえないわけです)他の部員も身内受けはするゲームを作っており、一応作品ディスクを文化祭期間にみんなで焼いて、100部くらいは手渡しできたので、まぁそこそこな感触で終わります。
 が、まぁそれで満足はしないわけです。来年こそは今作ってるシューティングゲームを完成させて、来た人に楽しんでもらおうと燃えます。一方で、ある少年とも出会いました。それが鬼師匠、静かなる鬼才であります。彼のうわさは、実は中学時代から聞いておりました。曰く、私の他にプログラミングができる人間がいる、と。しかし彼は学校にあまり来ていなかったようで、それまで出会うことはありませんでした。そんな彼が文化祭期間に私の元に来て、なんかLEDが光るのを見せてくれたのです。さらに、ノートを持ち出してそれを開くと、自転車を改造して電動で走らせる図面などが書かれているではありませんか。私はもう、彼に一目惚れです。来年は彼と共に、面白いものを展示しようと燃えに燃える自分がそこにいたわけです。――これが、ある戦いの幕開けになるわけですが――

Side Episode:先生。

 私は理科教員を志していたのですが、そのきっかけとなったのが、私が師匠と仰ぐ、O川先生です。先生は自分が化学のことを好きになるきっかけをくれた人なのですが、ゲーム制作にここまで深入りするきっかけもくれたのです。故にこそ、教育に携わろうという強い意志を今も持っているわけですが。
 さて、先生とは中学1年からずっと担任を持ってもらっていたわけですが、高校1年の文化祭が終わって数日後、なんやかんやあってシューティングゲームを作っていることを話します。自慢したがりな私の性格ですから、きっと1からプログラムを組んでいることも言ったのでしょう、先生は私にこう言ったのです。

「じゃ、見せて見せて。職員室にパソコンあるし。」

 職員室に自分から行きたがる生徒は、うちの学校ではまぁ珍しくはなかったわけですが(だからこれが異常だと気付くのは大学以降なのですが)、きっと職員室で先生にゲームをやらせたのは後にも先にも私だけではないでしょうか。しかもそこで、自分のPCでは見られなかった不具合が見つかったのです。(めちゃくちゃ遅い! 自分のPCは自作だったので、当時は結構スペックが高かったのですが、それが規格外だったようです)理由が分からず困惑する私に、先生は笑いながら、まぁそう慌てるなと言い、その場で逆コンパイルみたいなことをして、ソースコードを見てくれたわけです。結果、フォント変更を毎フレーム行っていたのが原因と分かり、それを修正したところ大変軽くなったわけですが。
 以降も更新をしては職員室に持っていき、ゲームをプレイしてもらう奇行を繰り返しました。ある時、敵キャラクタを円運動させたくて悩んでいた時は、物理の教科書やら数学の教科書を持ち出してくれたような。「あれ、円の方程式x^2+y^2=r^2とsin^2+cos^2=1って似てない? ていうことは(cos,sin)ってのは半径1の円の座標になっているから、ってことはつまりつまり!? 三角関数の中の角度を時間で変化させれば!? 時間ごとに円の座標をぐるぐるしてくれるんじゃね!?」という発見は高校1年の自分にはすごく衝撃的で、その実装が完成したときは隣に座っていた数学の先生に大声で説明していたような気がします。数学マニアな友人とも帰り道でその話ばかりしていたような。数学の先生ともそこら辺から仲良くなっていたり。数学Cの教科書とにらめっこしながらゲームを作っていました。

「ミステリイーター!」再燃……そして鎮火?

 秋ごろだったか、彼のシナリオさんが部室に顔を出します。浪人生だというのに予備校で授業を聞かずにシナリオをずっと書いていたようで、呆れながらも読ませてもらうと、なんとまぁ、面白いではありませんか。これはいいなと思い、こちらのゲームも是非完成させたいなと思い立つわけです。しかし、現実は結構難しくて、キャラクターの絵がない。どうしようかなーと思っていた時、部室に現れたある女性の先輩……今となっては悪名名高きN先輩に遭遇します。彼女とはまぁいろいろと会ったのですが、結論から言えば私が帰り道で、唐突に右目付近を水筒で殴られ、喉元を傘で刺され、以降沈黙という結果に終わりました。その時一緒に帰り路を歩いていた、U山という面白可笑しくいつも冗談ばかり言う同級生が、彼女がバスに乗りいなくなってから、かなりマジな顔で僕の肩に手を置いてくれたのは今も忘れません。その時は本気で追撃、そして死を覚悟し、数日間トラウマに苛まれたわけですが、そして今でも⑨という彼女の好きだったキャラクターを見るとその事件を思い出すわけですが。
 さて、シナリオは着々と出来上がりながらも、イラストレーターさんには恵まれません。ある時Iさんという方とインターネット上の掲示板で巡り合いますが、これもまぁ、知らぬ間に連絡がつかなくなり、消えてしまいました。当時はツイッターとかはあったものの、スマートフォンなぞなかったもので、そこまで普及はしておらず、掲示板で巡り合ってはメールでやり取り……というものでした。それ故に、どこまでがプライベートで、どこからがパブリックで、とかの境目が難しかったように思います。Iさんも学生だった雰囲気なので、まぁそこらへんで失敗したのかなと思っております。我々との出会いが影を落としていなければいいな、と願ってなりません。

青木さんとの出会い

 季節は移ろいで、高校2年生へと移り変わる春。3月末に私は、ある掲示板……イラストレーター募集掲示板(直球!)……にて投稿を致します。ミステリイーター!関係ではありません。例の、シューティングゲームです。
(http://arbeit024.progoo.com/bbs/ ちょっと前まで生き残ってたのですが、2019年2月につぶれてしまったようです。ログを取っておけばよかった……!)
 何となく天使と悪魔が戦う、というストーリーを描きながら、プログラミングとして楽しんでいたものの、「これじゃプログラムの練習作にしかならねぇ! 感動する作品には、いい感じのキャラクターがいたはずだ! こんなもん客に出せるか!」という思いがあった故です。震災の頃にペンタブを買い、お絵かきの練習はしてたものの、PCで絵を描く時間はあまりとれず、とても人に見せられるものではありませんでした。一方、シャープペンシルで書く絵であれば、授業中に沢山練習をしていたので(小テストの裏に沢山マンガを描いてました)、そこそこ人に見せられたのです。書き込みには「高校の文化祭用にシューティングゲームを作っています。立ち絵を所望します。こちらがラフデザインを描いて、それを清書してください。お金は1000円まで出せます。〆切は3月31日とします。」と書きました。よりによって1000円! 相場も知らないはなたれ小僧だからできる荒業ですね。
 さて、1通だけメールが来ました。それが青木悠乃さんです。(メールが残っていて日付を確認したら2012年3月22日の18時。きっとうれしかったのでしょう、私はその日中にこんなメールを返していたようです。

ご連絡ありがとうございます。 ゆう です。
まず、質問にお答えします。
タイトル・エンディングの一枚絵の構図はまだ立てていません……
大体の構想は練ってありますので、完成しだいご連絡する形になります。
次に画風についてですが、
もう少し、かっこよく描くことは可能でしょうか?頭身をやや高めに(リアル、というわけではなく何というか・・・)
あと、服のシワや、影……この辺りを意識して描いてみてください……という
と、なんだか上から目線ですね、すみません。
ドット絵をお渡ししますので可能ならまた絵を描いてご連絡ください。
採用・非採用につききましては、4月1日に採用・非採用の連絡を入れます。
あ、エイプリルフールだからって「嘘でしたー」なんてのはないのでご安心を^^;
かしこ。

今過去の自分に出会えるとしたらぶち殺してやりたい文面ですね。なんてひどい。上から目線! アホか! 依頼する側なんだからそんな態度じゃダメだろ! 大体、かしこってなんだ、かしこって。お前それ、女の人が文末に書く言葉だぞ!……と書いていて思い出しましたが、これは確か「ぬらりひょんの孫」の雪女が手紙に書いていたのに影響された結果なので当然ですね。)
 さて、運命的に出会った青木さんとの作業は何の問題もなく最後まで進み、無事にシューティングゲームは完成。文化祭にてお披露目されます。

何の問題もなく進んだ、というのがかなりの奇跡だということが、こうやってNoteを作っていると分かるのですが、当時はもう全力だったので、そのありがたみには気づいていなかったような。なお、文化祭前日になってシナリオさんに、それっぽいあらすじを即興で書いてもらい実装するという荒業にも出ています。思えば、これがプロトスタジオルミナスなわけですね……。この時の制作チーム名は、シナリオさんの発案で「10000%」理由はたしか「君が100%、自分も100%。かけたら1万やろ」でしたが、……いや、100%って1なので、1×1は1なんで、100%なんですが?……と書いていて今、思うのですが。まぁ、気持ち的には今も1万パーセントな感じです。
 ちなみにこのゲームは一般に公開してはいません。プログラムも数周回するとメモリリークを起こす体たらくなので……。きっといつか、リメイクしたいです。ツクールとかに頼らず、本を写すこともせず、1からC言語でコーディングした初めての作品なので。
 ……メールをほじくっていたら、「シューティングゲームのキャライラストを公開してよいか?」というメールが来ていました。それに対して高校2年生の自分は「完全版公開の後ならいいよ! もうちょっと待って!」という返事をしていました。本当に過去の自分をぶん殴ってやりたいですね。公開、してないじゃん

Side Episode:鬼師匠を引っ張り出せ!

 文化祭用にシューティングゲームを作っていた傍ら、鬼師匠が学校に来なくなります。なんかあったのかなーとか色々とうわさが立ち込めるのですが、こちとら作品作ってもらわなきゃ困るわけです。……半分くらいは冗談です。実際、心配もかなりあって、部員を数名連れて彼の家へ。さて彼は……引きこもってなんか作ってました。――ああ、安心した。
 ところがまぁ、上手くはいってなかったようで、定期的に学校に来なくなるわけですが、その時は自分が家を訪ねて、色々と話したり、一緒にピアノを弾いたりとしてました。
 そんなこんなで文化祭用には、スタンガンみたいな危ないモノや、なんかプラズマっぽいのが光るけど触ると危ないでっかい電球とか、赤外線を利用した人数カウンターとか、いろいろと作ってもらってました。一方、コンピュータ研究部の部員、私の同級生である音ゲーマーは、DDRのエンジンを使って自作譜面を文化祭で発表していました。……うーん、面白いのだけど、既存のものだよなー、コントローラー、作れたらなー……。そこで「100均のへぇボタンっぽいアレ、音ゲーのボタンっぽくね?」みたいなことをだれかが言いだしたわけです。誰だったっけ……。

※これらは当時の写真ではないです。当時は段ボールの箱に入れてました。
パソコンにつなぐコントローラーは、市販品があるわけですが、これをうまく繋げられないか……? という発想です。ええ、そこは高校2年生の我々。具体的な方法何もわからないわけです。が、鬼師匠、奇策を思いつきます。

「コントローラーばらして、さ。スイッチと導線でつなげばよくね?」

※これもまた、当時のものではないですが、ゲームコントローラーをばらすとボタンの位置に銀色の接触部的なものがあって、それを直でへぇボタンもどきにつないだわけです。

実験の結果……成功よくわからんがなんか上手くいってしまった! 部員全員は確か鬼師匠の家で大騒ぎ。夜も更け、帰らねばならない時間も忘れ、6つのボタンを作り、翌日の文化祭2日目に持ち込みます。そしてこれが大ヒット。大き目なボタンを作ったおかげで、親子とか友達二人とかで分担して押したりするプレイが可能、という想定外の遊び方も生まれ、結構遊んでもらえました。

そしてスタジオルミナスが生まれる

 一度掴んだ糸は離すな。これは自分の今まで生きた中での教訓なわけですが、これを最初に実践したのがまさしく青木さん。低空飛行中だった「ミステリイーター!」の立ち絵イラストを頼み、快諾を頂きます。そのあとはぼちぼちと作り続けてましたが、埒が明かないので、年末のふりーむコンテストに応募しよう! という目標をたてます。もう年末は必死の一言。大晦日は徹夜で作業で、何とか年内に完成を果たします。……ところが、残念ながらゲーム登録申請が年末だったため、実際に登録できたのは年明け、コンテストには間に合いませんでした。なんてひどい話だ……。
 さて、「ミステリイーター!」公開に当たって、サークル名を決めよう、という話が2012年末にあって、「1万パーセントじゃないの?」と私が聞いたらシナリオさん、「あんなのは没だ、没」といわれ、なんやかんやで彼が「スタジオルミナス」にしよう、と言い出したのでそうなりました。理由は輝きがどうとか? 亜城木夢叶みたいないい感じのネーミング由来はありません。ただまぁ、なんだかんだ気に入ってます。

7徹して栄養ドリンクを担任に渡される

 もちろん、ミステリイーター!の次はずっと考えていました。高校2年生の秋ぐらいから、ノートにキャラクターのスケッチを描きためていたのです。タイトルは、「BloodSchool」当時プレイしてドはまりしていた「コープスパーティー」にめちゃくちゃ影響を受けていました。

ちなみにこの時くらいからFacebookを軽く使っていたので、探せば当時の書き込みは見つかるはず……。

 思えばこの時自分は高校3年生。受験勉強に向けてスイッチオンしなきゃいかんというのに、いったい何をしているのか。ただまぁ、文化祭は6月にあったので、それまではいいかなとか思っていたわけですね。ミステリイーター!の完成からすぐにBloodSchoolに取り掛かって、製作期間はなんと6ヶ月に満たないわけですが、青木さんは何とメインキャラすべての立ち絵に加え、エンディングイラストまで作ってくれました。シナリオさんも割としっかり作ってくれて、結構いい感じに。しかし、素材が潤沢な分、実装は一苦労。文化祭が近くになっても終わらないわけです。
 文化祭前1週間、私は徹夜をし続けました。授業中は意識がもうろうとするし、クラス企画で映画も作っていたもので、その編集も平行。終わらない、終わらない、終わらない! 朦朧とする自分を見たせいか知りませんが、職員室に呼ばれ、先生にアスパラドリンクを手渡されました。今にして思えば笑い話ですが、当時はものすごく必死でした。結局映画はできたものの、BloodSchoolは文化祭1日目になっても終わらないでついに当日泣いたわけですが、なんか母親が来ていて、なんか軽く説教されたのだけは覚えてます。すごいな、かーちゃん。公衆の面前で発破をかけられた私はなんとか持ち直し、1日目終了後にシナリオさんと友人数名が私の家に来て、一緒に必死に組み上げて、CDを焼いて……そしてBloodSchoolは無事に出来上がったのでした。
 他、文化祭では鬼師匠のおかげで色々といいものが出来上がってました。いつか紹介記事を書くかもしれませんが、写真だけ載せておきます。特にDDRもどきコントローラーは部員たちの協力の結晶であり、音ゲーマーな同級生のお墨付きの力作でした。矢印ステッカーは業者とつながりを持っていたS君のおかげだったりしますし。

誘惑に負ける。

 さて、文化祭も終わったし、パソコンも封印、受験勉強頑張るぞーとなっていたのですが、12月。もうすぐセンター試験という時期に、ある衝動にかられます。ふりーむコンテスト、あるじゃん。昨年の泣きを未だに覚えていた自分は、BloodSchoolをコンテストに出そうと決心。しかし何を思ったか、「もっとよくできるはずだ! イラストを追加しよう! ハードモードを作ろう!」と、パソコンを起動。数点のイラストを発注し実装します。
 まぁ、無事実装もできたわけですが、コンテストの結果は振るいませんでした。しかし、奇妙な縁で、このBloodSchoolは大学1年の時にフランスのJapan Expoにて出展されます。

そのあとは、また別の話。

 さて、これまでが高校時代の私なわけですが、本当に目の前しか見ていなかったため、将来像とかは何も考えてませんでした。ただおぼろげに、「ゲームずっと作りたいな、年とっても、学校の先生になっても」という思いがあるだけでした。大学に入ってからも波乱万丈……というか、そっちの方が長いのですが、それはまたいつか書こうと思います。(本当は書く気だったが、あまりにも長すぎるし手が疲れたし、夜も明けてしまったのでまた次回。)ここでは一応、大学・大学院で頒布した作品の画像を貼っておきます。高校時代から、まぁちょっとは進歩したのではないでしょうか。

結論

 最近出会う高校生たちはみんな真面目で、優秀で、いろいろなことに精力的ですごいと思います。しかしどうも、私は時々、「それ本当に君のしたいことなのか? 先生とかに喜ばれるからそういう活動してるのではないのか?」と、不埒にも思ってしまうのです。というか、後輩たちみんな、きれいすぎるというか。すごくいいのだけど。すごくよく将来のことを考えていて、なんだか怖くなります。そんな輝く彼らに自分は何をできるだろうか、と考えた時には、まぁなんか少しでも自分の像を明かすくらいしかないだろうなと思うので、こういう記事を作成しました。まぁ、
 泥臭くてもいい、思い・願い・野望に純粋でいていい、とにかくチャンスだけは逃すな! 
 
言葉にするとそういう教訓しか生まれなかったわけですが……ただ、その道筋ではなくて、それを辿ってきた自分の背中には、多少なりとも価値があるのではと、最近は思うのです。輝く彼らの夢路に、少しでも寄与ができればいいなと願ってやまないのです。私が教員にならない道を選んだのも、私が進み続ける背中を見せる方が、きっと彼らのためになるかなと思ったからなわけで。なので最後は、この言葉で締めくくりたい。

俺たちにはたどりつく場所なんていらねぇ。ただ進み続けるだけでいい。止まんねぇかぎり、道は続く。俺は止まんねぇからよ、お前らが止まんねぇかぎり、その先に俺はいるぞ!だからよ、止まるんじゃねぇぞ・・・。
「鉄血のオルフェンズ」より。

……冗談のつもりで、これで締めくくる腹積もりで書き始めたのですが、意外とハマってるのでは?

Suara「君だけの旅路」を聞け!

 ここまで私の文章を読み切った奇特な方は、きっとこの曲が響くはずである。歌詞をここに引用させていただく。

遠い記憶をたどれば 夕暮れ走る小さな君
抱えきれない不安を 募らせて家路を急ぐ

足跡だらけの近道を ただ辿ればいいと信じていた
息を切らして森を抜ければ 丘の向こうへ
見上げた坂を上り切ったら 突然広がる世界

猛々しく空に昇る 炎のようにきらめく夢
大地を踏み鳴らし行け 君だけの旅路をつくれ

弱虫な君は眠れずに 風の音に怯え震えていた
木の葉を揺らす優しい風は 木々をも倒す
凡て受け止め味方にすれば 君の追い風に変わる

心を乱す静寂 嵐のように激しい夢
空白な地図の上に 君だけの旅路を作れ

猛々しく空に登る 炎のようにきらめく夢
大地を踏み鳴らし行け 君だけの旅路をつくれ
心を乱す静寂 嵐のように激しい夢
空白な地図の上に 君だけの旅路を作れ

君だけの旅路をつくれ

蛇足:ハンドルネームについて

 ちなみに、名義のうち「ゆう」はサークルにおけるハンドルネームであり、「ぬのひと」とはストラガーデンという今は亡きオンラインゲームにおけるハンドルネーム「Nu:」から来たあだ名です。(化学系の人には伝わるはず。)ストラガーデンは運営会社の夜逃げという形で終わったので、きっとそのゲームのキャラクターは殺されずに今もネット空間をさまよっているという妄想を抱いているのですが、そこに立脚し「Nu:」は女の子としてキャラメイクしたので彼女のことは「ぬーちゃん」と呼称。ぬーちゃんは手裏剣を投げるためだけに盗賊として産み落とされ、忍者にクラスチェンジしたわけですが、事実上の最終話にはたどり着かず、終わってしまいました。もうもはや私の手元を離れたこの娘とは、私とは別人格で、きっとどこかで出会えることでしょう。私とぬーちゃんの足跡はストラ日記にて。以下の画像は、そこで出会ったパセリさんという方から頂いた誕生日プレゼント。

愛すべき(?)我がアルターエゴ、ぬーちゃん。

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