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小さい頃から、ずっと死にたかった

 先日、大学で行われている健康診断に行ってきた。そこで心の健康を確認するためのチェックシートを記入し提出すると、「今すぐカウンセリングを受けに行きなさい」と指示された。「死にたくなる」という項目にチェックを入れたのがよくなかったらしい。カウンセラーは、「死んだら両親が悲しむとは思わない?」と聞いてきた。そんなこと考えたこともない。私の命だというのに、他人の悲しみの責任を取れというのか?「死にたい」と思う自由すら否定されたようで、思わず涙が溢れそうになった。しかし、ここで涙を流せば、この無神経なカウンセラーとの話し合いはますます長引くことだろう。私は努めて平静を装い、当たり障りのない回答をしてその場を乗り切った。


 はじめて「死にたい」と思ったのがいつだったか、明確には思い出せない。いじめられたとか、勉強ができなかったとか、それらしい理由があったわけでもない。ただ、小学生の頃の夢は「パティシエ」ともう一つ、「一人暮らしをして誰にも気づかれず静かに死ぬこと」だった。最も「パティシエ」はただの憧れであって実現する夢だとは思っていなかった。自分の将来を夢想するときは、どんな死に方にするか、どこで死ぬか、何歳で死ぬか、そんなことばかり考えていた。「自殺」の方が「パティシエ」よりよっぽど現実的で、魅力的だったのである。

 大人になると自由になれて、自分の好きな死に方を選べるんだと思っていた。死んだらどんなしがらみも綺麗さっぱりなくなって、幸せになれると思ってた。私にとって自殺は希望だったのである。

 しかし、今、なんでか私は生きている。子供の頃の計画では、高校1年生で一人暮らしを始めて、高校2年生で引きこもって食事を抜いて餓死する予定だったのに。

 痣ができるまで自分の腕に噛みついた。自分の手で自分の首を何度も何度も絞めた。

 しかし、今、なんでか私は大学に通っていて来年には就職しようとしている。一方で、死にたい気持ちはずっと心の真ん中で燻っている。自分で定めた「享年予定17歳」をとっくに過ぎて21歳、目的地を過ぎた航海をダラダラ続けている気分だ。

 私はこれからどこに向かえばいいのだろう。正直、こんなに長く人生が続くとは思っていなかった。これから先の目標なんてない。だというのに、死にたい気持ちを抱えながら今までの数倍の時間を生きなければならないのか。自殺願望を抱いてることに後指を指されながら生きていくのか?

 どうか、死にたいと思う私を認めてほしい。認められないなら、そっとしておいてほしい。小さい頃からずっと、死にたい気持ちは変わらない。今更この気持ちを捨てられるとも思わないから。


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