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本当の知を願う

共同体感覚は、本当に生きる糧になる

しかし、人々の教育によって、無意識下に備えられているだろう部分を、刺激し、さらなる無意識下または意識下に、特定の共同体の共同体感覚を強化する働きかけは、なんとかならないかと思う

なぜ、特定の共同体のその感覚だけが、こと更に通達されようとするのか……それは、その団体が不安に一層駆られているからなのかと、思う

なぜ不安なのか……それは、言い切ってしまうと物事の重要性よりも、彼らが不安であるという、不安の感情を伝えたいに尽きるのではないか、と思う

どうしてそこまで、不安を伝えたいのか

1つは、役職等社会的立場からくる責任を、個人的に背負わねばならない苦痛を、少しでも緩和したいのは、人間誰でも言えることかもしれない

2つめは、不安であってほしい、不安の功名とでもいうのだろうか。世界的な動きは、何も分からない。しかし、それを正当化する多大なメリットがあって、取り組んでいるのだとしたら、私たちは一体どんな人間なのだろうか

また心理の分野では、不安は、共同体を堅固にする作用をもたらすと言われている

ますます、不安を用いることこそに、人間の知の過ちを感じてしまう

もっと違う、共同体感覚の浸透を、人々に願うばかりだ···