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キガエル家

子供の数だけ寝室があって、夫婦の主寝室があって、日当たりのいいリビングがあって、その横にダイニングテーブルがあって、セミオープンのキッチンがある。1坪くらいのユニットバスと洗面があって、トイレが隣接している。
そんな図面を今まで何枚みてきたことだろう。エクステリアの仕事は建物あってこそなので、自分が提案したエクステリアの数だけ住宅の図面をみたことになる。多分大げさではなく、1000を超える数の住宅の図面をみてきた
そしてそれらの9割以上が子供の数だけの部屋数と夫婦の寝室がある、○LDKという型に収まった家だった。

もともと3LDKや4LDKといった住宅のスタイルというのは戦後の復興期にあまりにも劣悪だった住環境から最低限の暮らしができるようにと当時の公団住宅が言い始めたことだっと記憶している。戦後のバラックや、アパートといえばトイレは共同でお風呂は銭湯に行くのが当たり前だった昭和30年代から40年代前半にかけての時代に3つの個室とリビング、ダイニング、キッチンがあり風呂やトイレもちゃんと付いている住居は最低限というよりむしろ憧れのライフスタイルだったことだろう。

ワンルームマンションでさえおしゃれなコンパクトキッチンとユニットバス、独立したトイレは当たり前になってもう30年以上。平成も終わろうとする現代に、○LDKというスタイルはそんなに大事なのか? ダイニングは本当に全ての家庭に必要なのか? 子供部屋は居るのか?

例えば本が好きな家庭では図書館のような部屋でご飯を食べて、本の印刷の匂いに包まれて寝てもいいのではないか。もっと自由に住宅をカスタマイズする考えがあってもいいんじゃないか? そんなことをずっと思っていて、トップのスケッチは、あるとてもチャーミングな女性のために描いた「夢の家」の図面とスケッチだ。

靴と洋服とインテリアが大好きで猫のような瞳でコケティッシシュな魅力の彼女は外資系の証券会社に勤めている。

「着替えをするための家が欲しい」

それが彼女の第一声だった。それから10通を超えるメールのやり取りの末、生まれた彼女の週末の物語を綴ってみたい。

週末、読みかけのほんと画集を数冊助手席に載せて愛車のアクセルを踏む。都会の喧騒を抜け、高速で1時間半。高速を降りるとまずは窓を開ける。空気の匂いを感じたいから。霧の中、林道を走ると20分で「そこ」へたどり着く。ゲートも表札もない。ここは私がリセットするための家だから。

車を停め、玄関のドアを開ける。ホールで最初に着てきた服を全て取り払う。ブランニュー……。身も心もまっさらにするための儀式。裸、素足のまま「服の回廊」へと進む。そう、ここは私の服が色彩のグラデーションも美しく展示品のように整然と掛けられている。回廊を歩きながら、洋服のコーディネートを選んで行く。次の週の予定を考えながら、今の自分の気持ちと向き合い一枚一枚服を選んで行く。服を選ぶこと、その服と自分の気持ちを重ね合わせることだけに集中できる家。一糸纏わず、時間にとらわれず、服を選ぶことだけに集中するとき、それは安らぎというよりある特別な高揚感を味わえる。服の回廊は少しずつ階を降りて行く、スキップフロアになっていて、全ての服を選び終わると1階のホールにたどり着く。


一階のホールの中央には大きめのソファが1台と小さなテーブル。
そして観葉植物、それだけ。
ソファに身を沈めると目の前は湖の絶景。
すっと橋のようにデッキが伸びていて、その向こうにはガラスの箱。
その箱は私専用のメンテナンスルーム。
エスティシャンを呼んで念入りに手入れをし一週間の疲れをとるための
空間だ。
ガラスの箱の先には湖が開けている。
そして、忘れてはいけない絶景がもう一つ。
メンテナンスルームに続くデッキの手前の大きなガラスの壁には私の靴のコレクションが1足ずつ、まるで美しいオブジェのように並んでいる。

ガラスの棚に飾られたルブタンの靴底の赤が床の大理石に反射してまるで
赤い大きなルビーが転がっているようだ。
至福の時……。


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