Yu

話を聞く専門家。今までの経験、悩みからあなたの得意を整理して「理想の人生を編集」するお手伝いします。

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    • 「悔しい」は成長を加速させる燃料

      仕事でたまに、すごく悔しい思いをすることがある 私の場合多いのは 自分に自信が持てなくて 言いたいことを言えない時 その場面になった時に 「今言わないとあとで後悔するな」 とわかっているのに 結局タイミングが悪かったり 話が途中で違う方に流れていったりで 言い出せないまま 後から思い返して どうすればよかったんだろう、なんで言い出せなかったんだろう と後悔する だけど同時に思うのは その悔しさがあるから成長できるのだ、ということ。 基本楽しく仕事をしているからこそ 時にマ

      • 私は私でしかないから。

        午前中、エアコンの効いた実家のリビングで 愛犬の寝息を聞きながら 自分の過去のことを振り返っていた。 私にはずっと憧れの女性がいた。 中学生の時に知り合った同級生だけれど 向こうは覚えていないくらいの薄い知り合いで。 でも彼女の良い意味で自信のある雰囲気とか やりたいことをどんどん実現していく力とか 側から見ていてずっとすごいなと思っていた。 高校入学後の進路はバラバラで 連絡も取っていなかったけれど 大学生になって共通の知り合いを通じて 彼女のブログを知った。 相変わら

        • 動けないと思ったその瞬間も大事。

          私がこうやって外に出す文章を定期的に書けるようになるまでには 長ーい長い時間がかかった。 10歳の時、アンネ・フランクの存在を知って衝撃を受けてから 「親愛なるキティへ」を「親愛なるアンネへ」に変えて 私は日記を書き始めた。 私にとって文章を書くことは自分を吐き出すことで、向き合うことで、 そこには誰にも見せられない、 恋に舞い上がる自分も、親に反抗心をむき出しにする自分も、 ああなったらこうなったら・・・と妄想する自分もたくさんいて。 赤裸々に綴った文章を人に公開すること

          まずは50:50の世界で

          私が小さいころ母は厳しくて (と私は感じていて) 友達の悪口を言ったり愚痴を聞いて欲しいことがあっても 「でもそれはあなたにも原因があったはず」と言われていた 当時の私が「絶対に私は悪くない」みたいな 頑なな態度だったから 母もそう言っていたのだと思うが それにしてもフラストレーションは大きくて 最初は私も余計頑なに「私のせいじゃない」と思っていたのだった それでも言われる機会が増えてくるとだんだんと 「私は本当に悪くないのかな」と疑いを持つようになる これっぽっちも自分

          まずは50:50の世界で

          過去を無駄にしない

          どんな時でも、場所でも、 置かれたところに合うように努力しなければいけないのだ と思っていた時期があった 間違いなく苦しいけれど、その苦しみこそが 自分に何かを与えてくれるのだと信じていた 今振り返ると 大人になってから苦しかった時期は 就職して最初の3年間。 学生時代にアルバイトはしていたものの 正社員で働くことがどういうことか分かっていなかった私は 中途採用しか雇っていない会社に例外的に採用してもらったことで 解雇されるのではと怖くてたまらなくて ベテランの社会人たちと

          過去を無駄にしない

          もったいないを手放した時に起こること #2

          前回から引き続き「もったいない」を手放すことを意識しているが ここでまた新たな気づきがあった。 「もったいない」を手放してみると 自分がやりたいことを優先するので なぜだか自分の選択肢やできることが増えるように感じる ああ、私これもできるんだという感覚が自信を与えてくれると同時に 「もったいない」を手放すだけではまだ手に入らない、 遠いゴールへの道筋が見えてくるような気がするのだ それは多分「自分が本当にやりたかったこと」を 掴み取った自分に対する自信が生まれて 一っ飛び

          もったいないを手放した時に起こること #2

          事態は因数分解して考える

          何か自分に不都合なことや好ましくないことが起こっている時 事態を因数分解して考えることは有用だ。 一緒に旅に出ていた友達が 出先から2日間、リモートで勤務しなければならなくなった。 朝起きた時彼女は「わー」とうめいて 「働きたくない・・・」と呟いた。 私は気にしていなかったが その前日から仕事に対する不満を口にしていた彼女は 私に不快な思いをさせることを恐れたようで 「愚痴ってばっかりでごめん。本当は働くのが嫌というより寝続けられないことが嫌だった」 と弁解した。 彼女に

          事態は因数分解して考える

          答えを外に求めない

          何か困ったことや悩むことがあった時 自分の外に答えを求めようとすることがある。 友人に話を聞いてもらったり、 参考になりそうなSNSや動画を見たり 関連のありそうな本を読んだり 占いを見たりする。 でも例えば友人に相談していると分かりやすいのだが 自分の中での答えや「こっちがいい」みたいなものは予め決まっていて 心の中で密かにそう言ってくれるのを待っていたり 望んでいる答えをくれそうな人やものを探しに行ったりすることも多い。 その時に「相手や対象に何かを期待している自分」に

          答えを外に求めない

          生きるとは生きることである

          先日友人たちと話していて 「生きるとはどういうことか」という壮大な話になった。 アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞したある監督が 「生きるとは生きることである」と語っていたとのこと。 そもそも後者の「生きる」がわからないから 前者の「生きる」の意味もわからない。 「生きるってどういうことですか?」となったのだ。 その後別の話の流れで 死ぬまでに手に入れたいと思うことは何か、と聞かれた。 そんな重要な問いに自分がその時なんと答えたのかを 恐るべきことに忘れてしまったのだ

          生きるとは生きることである

          果てしない理想から悩みを考える

          先日後輩の相談に乗る機会があった。 上司との関係に悩んでいて それをきっかけに、自分が今の会社でやりたいこともわからなくなってしまったという話だった。 相談内容自体はもっともだと思えた。 自分が彼の立場にいたら同じように思うだろうし むしろ彼より先に音を上げてしまうかもしれない。 かといって私が彼の上司に何かを言える立場でもなく 私が他の誰かに相談したことで 彼が余計いづらくなっても困る。 彼が会社に必要な人材であることも確かだから 人間関係だけで会社を辞めてしまうのも惜

          果てしない理想から悩みを考える

          今があるのは、何かを少しずつ重ねてきたから

          千里の道も一歩から、とはよく言ったものだ。 私は料理が得意ではないので、普段自宅でも簡単なものしか作らないのだが 実家には外食の習慣が一切ないため 帰省するたびに母が料理をする姿を見ることになる。 その母も実は料理は好きでないらしく ため息をつきながらキッチンに立つことがほとんど。 そんな疲れた母を見て「たまには私が料理したほうが良いよな」と思いつつも 自分に料理の習慣がないから重い腰が上がらない。 結局せいぜい母の料理を手伝い、後片付けは私がやるというのが帰省した時の定番

          今があるのは、何かを少しずつ重ねてきたから

          「もったいない」を手放した時に起こること

          最近「もったいない」を理由に何かを使ったり買うことを渋るのをやめた。 引っ越しのとき、あまりの物の多さに手伝いに来た両親がドン引きしていたことがあった。 私自身「こんなの買ってたんだ」とか「同じ本が2冊ある」とか自分の持ち物を把握していなくて愕然とした。 家に来る人には「モノが多いようには見えない」と言われる部屋なのに、なぜそんなことが起こるのだろう。 自分の生活を観察してみると、二つのことがわかった。 一つは、床にモノを置きたくないがため、あらゆる収納にモノを仕舞いこみ

          「もったいない」を手放した時に起こること

          ロートレックに基礎の大事さを学ぶ

          何事も基礎から始めていくことの重要性を改めて感じている。 情報も方法もネットで探せば簡単に手に入るこの時代、 何かを身につける経験も苦労も無意識にスキップしようとしがちだったと、自分の経験を振り返っても思う。 実際なにごとも習得しやすくはなっているんだろうと思う。 何かを好き、と思った時それを極めるためのツールも環境も きっと昔よりは開かれているはずだ。 だからこそ自分のスキルも経験も 少し見たり学べば身についたような感じがして なのに実際やってみると思った以上にできなく

          ロートレックに基礎の大事さを学ぶ