性別で判断すること

この話をnoteに投稿するにおいて、まず私の考えている結論から言わせてもらうと、物事を性別で判断することはクソだと思う。というか判断の一因に入れるのは構わないが性別を判断の軸にしてはいけないのではないかと思っている。

かといって私は世の中の、例えば男尊女卑だとか性差に関する話題だとか、に対して憤りを覚えるほど深く関心を持ったことがない。よく人から言われるのだけれど私は怒りの閾値が高すぎるらしい。もっと細かく言えば興味をなくすのがとても早いらしい。このあたりの話は前に書いているので興味があったら覗いてみて欲しい。

そんな私が最近感じている「性別で判断すること」についてだらだらと話していこうと思う。

私が所属している研究室にはいわゆる「先生」と呼ばれる立場の人間が3人いる。これらを仮にA先生、B先生、C先生と呼ぶことにする。特にこの中でこの研究室の代表というべき先生がA先生である。
この先生は公私混同が嫌いで教授になるくらいなのでとても頭も良く仕事もでき、というふうに基本は尊敬できるとてもいい先生だと思っている。お酒が好きで飲み会が好き。昭和の人付き合いを連想させる(私は昭和の特色に詳しいわけではない)と常々思っている。
A先生は女の子が好きだ。こういうと誤解しか生まれないのでちゃんとした言い方をさせていただくと、女の子に甘い(と私が感じている)。
女の子に甘い、とふわっとした書き方をしているけれどとどのつまり感情ベースで物事の採点をした時、女の子は持ち点100から減点方式が行われるがそもそも男の子は持ち点80から始まる、というのが一番わかりやすいだろうか(先生の名誉のために言っておくがあくまで”感情”の点数の話であり、”大学生の成績”の話ではない)。

女の子と話しているときは露骨に機嫌がいい。特に飲み会のときは、隣に座って適度にお酒を飲みながら、先生の話を聞いているだけでとても上機嫌である。アホらしい、とも思うが扱いやすくて楽だな、と思うこともある。

こういった話の時に各々思うところがあると思う。こういうことが嫌な人からしてみれば「男と女で態度を変えるなんて嫌な人」とか「女性を馬鹿にしてる」とか?あるんだろうか。

私は女の子が隣にいれば上機嫌になってくれるなら、「とりあえず横でお酒飲んでおくか」という気持ちも「男と女で態度を変えるなんて」という気持ちも理解することはできる。そう言われればそうか、と思うし嫌なことを嫌だと言えるのはいいことだ、自分しか自分の生きやすい世界はつくれないんだから譲れないことは主張していくべきだと思う。

でも、最近はその「譲れない」の閾値が低い人間がすごく多くなっているような気がする。相手との関係がどうなってもいいというか、どうもなってない人に自分の理想だけを押し付けているような。
わかりやすい話でいうと、男性上司と女性部下の間であった嫌なことは簡単に「セクハラです」「パワハラです」と言えるようになり、それは違うのでは?ということすらも、声をデカく上げた方の勝ちというような構図があるように感じる。
嫌なことが多少でもあったならまだいい。「あの上司むかつくから貶めてやろう」というような冤罪じみた声のあげ方もあるように散見する。

話が逸れてしまったけど、”性別で判断する”っていうことは判断する側にとってはすごく簡単なことだけど判断される側にすごく複雑な可能性が秘められていると思った方がいいのではないかとまずひとつ結論づけたいと思う。

それで”声を上げること”の話なんだけど、自分の中に浮かぶ賛否を全部集めて並べた上で”つかれるから順応する”という結論に至るなと考えている。

例えば先の「女の子に対して甘い」A先生のことをちょっと嫌だな〜変わってくれないかな〜とふんわり思ったとする。いろいろな手段があると思うけど、直接言いにいくにしろ間接的に手続きを取るにしろ、改善にはまあ時間がかかると思う。そうなった時に私が声を上げる労力とその嫌な気持ちを我慢する方、どちらに傾くかなって思ったら私は我慢すればいいか、と思えてしまう。しかもこの場合の嫌、は「私が傷つくこと」ではなく「誰か(特に正当に評価を行われていない可能性がある男の子)が傷ついているところを見ること」である。
確かに今言わなかったらこの先A先生が退職されるまでずっと誰かが同じような感情を抱きながらA先生と接するのかもしれない。かといってじゃあ対策が取れないかといったら別に取れる。女の子がA先生に話を合わせてあげればいいのだ。

これがもっと深刻ないじめやセクハラ、アカハラのようなものが入り混じってくるものだったら私だってこんなにふわっとしていない。ただ良くも悪くも”機嫌の良し悪し”なのだ。はじめに言ったが「女の子が好き」だから隣に女の子がいて話を聞いてくれる環境が好きで、だから機嫌が良くなる。その時に別に男の子のことを貶しているわけではなく、単純に今じゃなくていいだろ(飲み会の時は特に)、の気持ちがあるのだと思う。

再三いうが、これがいいことだとは全く思っていない。ただ、これに文句をいって評価制度の方を変えようとするのは些かコスパが悪いと思うのだ。文句を言うことも怒りを感じることも、決して間違ってはいない。嫌だと思ったら嫌だと言っていい。でも文句だけいって改善をしないのはとても損だと思う。この場合の改善とは、評価制度を変えてくれと言いにいくことではなく、減点されないように最善を尽くすことだ。だってあくまでも下げられているのは”感情”の点数で”成績”ではないのだから。今後もうまく付き合っていくために必要だろうと思う。

そしてこれはただの経験則なのだが、こういう人間は他人に指摘されるのを死ぬほど嫌う。ので「評価方法を変えてくれ」なんて言いに行った日には感情点はマイナスであろうと思う。そういった面も含めて”処世術”だなと思うのだ。処世術、で済むうちはこちらが順応していくしかないのではないだろうか。

初めの方を書いてからかなりの時間が経ってしまった。そういえばこの記事を書き始めた時、私が思っていたことは「男女で対応変える先生がいる」という事実と、「その状況を理解し切れていないちょっとニブい男子がムカつく」であった。前者は言葉通り、後者は「せっかく私がにこにこ相槌をうって上機嫌にしたのにマイナスにするなバカ」である。

タイトルも中身も全体的に穿った見方の文章だなと我ながら思うけど、自分の感情の整理のために残しておこうと思う。


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