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 先日、誕生日を迎えた。年々、昔感じていたようなワクワク感のようなものなどなく、実感すらなくなっている。歳を重ねるということは、様々な人生経験を重ねても、その一方で忘れてしまってゆく何か大切なものもある、ということなのだろうか。

 いつからか、毎年誕生日を迎える度に、こんな人間になってしまって申し訳ないという気持ちを親に対して抱くようになった。本来は感謝すべき日にも関わらず、だ。昔から勉強ができてエリート街道をいった兄と比べて、本当に同じ兄弟なのかというほどの出来損ないの自分。全く根拠はないが、中学生あたりの頃から、「きっと自分は社会に出たらフィットできずにとても生きづらいだろうな」という思いがあり、実際その通りになった。

 人がそれをネガティブと言うのならそれはそれで構わないのだが、常に自分に対して謙虚でありたいと思う。自己評価が低い、自分に厳し過ぎるとも周りからよく言われることも、自分自身認識している。もう少しズボラになれたら、もう少し自分を労ってあげられたら、もう少し生きやすくなるのかな?とは何度となく難局に遭遇する度に感じたり言われたりするが、分かっていてもなかなか変えられない。歳を重ねるごとに、頭も固くなり、頑固になり、新しい何かを取り入れることに執拗に慎重になっていたりもする。

普段自分が感じていること考えているあれこれを、こうやって言語化しようと思うのは、たまたま誕生日というひとつの節目を迎えたこともあるが、大切な友人のセッションを聞く度にまざまざと反省させられ、感慨深くもなり、自分の中の何かが大きく揺さぶられるからだ。C君、本当にいつも有難う。これまでどれだけC君の存在に救われてきたことか。

今日拝見したライヴ配信の中で、参加者の方がお話しされていたことについて少し拝借させて頂いて、以下、思考進行。
私達は、「医者」とか「先生」とか「芸術家」といったような資格やカテゴリーに縛られてしまっているがゆえに、たとえ医師免許がなくても誰かの心を治癒する能力を持ち合わせた人がその才能を塞ぎ混んでしまったり、何かを教えるのがとても得意で上手なのに自分は先生じゃないからとその能力を閉じてしまったりすることによって、自分の可能性を無意識に閉ざしている、と。

たしかに、法律も大事だし、ブラックジャックのような人間(人間じゃないのかな?笑)が世の中に溢れ出したら混乱するが、免許や資格はなくても、何かその人の得意とする才能を活かす環境を作ることができたら、幸せかもしれない。今思えば私の周りにはこれを実践している素敵な方々がたくさんいるではないか!

私自身、「仕事」ということに対してこれまでどのように向き合うべきか10数年悩み続けて転々としてきたが、ここ数年、やはり自分のやりたいこと、好きなこと、得意なことを仕事として活かすことができている人は輝いているな、と感じる。

板前、執事、ココアマイスター、その他、人にあまり言わない仕事もしてきた自分の人生を振り返り、最近この歳になって漸く、もしかしたら自分に向いていて、フィットするのは、ああいうものなのかも知れないな、とぼんやりと輪郭が見えてきた。それは、これまで数人の私の周りの素敵な友人達から、「悠さんはこういうことやった方がいいよ!」「悠さんはこういうのが向いていると思う!」「悠さんはいつか必ずこういうことをやることになると思う!」と言われてきたことに概ね重なるものだった。

この歳になって漸く、というのは私個人の正直な思いだが、何かを始めるのに遅過ぎることはない、人生は何度でもいつからでもやり直しすることができる、とよく聞くとおり、自分次第だと。自分の人生は自分でどうにかするしかない。正直、何度もやり直すのはかなりエネルギーを要して参るが。

そんな自分に一体何ができるのか? 何が得意で何が苦手か? ライヴ配信を見ながら考えてみた。

◾得することはないが絶対音感がある。
◾感情表現は言語より、旋律の方が得意かも。
◾資格はないがピアノを教えようと思えば教えることができる。
◾バリスタの資格はないが、その辺のバリスタ(失礼)よりは美味しいココアを作ることができる。
◾情報処理能力はまあまああって、数字に苦手意識がない。(先日友人の年間収支まとめのお手伝いをした、嫌いじゃない。)
◾パソコンを現在持っておらず長らく触れていないのでパソコン、デジタルに弱い。(しかしとある方の動画配信、および編集の仕事を頂いたのでこれを機に勉強する!)
◾元板前で多少料理はできるが、得意でもなければ、あまり向いていない。
◾人に好かれることは殆どないが、動物にはなぜか好かれる。ペット看護士の資格は昔通信で取得したものの、全く身についていない。
◾コミュニケーション能力は著しく低く、不器用。

まだ思いつくが、このへんで。

もしこれを、読んでいる物好きなお方がいらっしゃれば、ご自身の得意不得意、好き嫌いについて一度考えてみてはいかがだろうか?

私は、もしコロナが終息して、自分の中でGOできる諸々が整ったら上記の中のいくつか(一つかも知れないが)を仕事にしようと思い、準備をし始めた。
周りの人間や環境のせいにしていては、何も変わらない。全ては自分に責任がある。

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