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自主退学

昨日、通勤電車の中で、ポチリ、とエリー学園を自主退学しました。迷いがなかったわけではありませんが、あまり未練もなく。

理由は2つ。
ひとつは、仕事再開してから、時間管理ができなくなり、当初のマインドで登校できなくなったこと。

ひとつは、短期間で2期生、3期生と学園生が増えていったこと。当初は少人数のゼミのようなものを想定していたのですが、コロナもあり、オンライン主体となりました。学園サイト内でのみなさんのアウトプットが溢れかえり、オフ会イベント立ち上げや、みなさんでエリーさんの個展に行きましょう、その後はyuさんが教えてくれたお店にココア飲みに行きましょう。

こういった流れに私自身が参ってしまったこと。私のことを御存知の方はわかると思いますが、まさに上記のような、「みんなで一緒に」とか、「みんなで楽しみましょう」みたいな風潮が、だめなんですね。一言で言えば、「協調性がなく」、「枠組みが嫌い」。

小学生時代の私が「協調性」という言葉を知っていたかはわかりませんが、当時から集団生活、団体行動というものに疑問を感じ、馴染めずにいました。

なぜみんな一緒でなければならないのか? 

みんなは、みんなと一緒でなぜ楽しいのか? 

気持ち悪くないのか? 普通ってなんなのか? 

自分の普通は、みんなの普通とちょっと違う、とか。

そんなことを、オンラインの学園サイト内でも感じてしまい、段々不登校気味になってゆきました。他の学園生のブログに興味を持てないのに、なぜ私がブログを書いたりタイムラインにココアや犬の写真を挙げるとこんなに反応があるのか、わからず。
そんな状況で毎月11000円の御月謝をお支払いする価値を、私自身が見出だせなくなってしまいました。全ては自分自身の問題。



ここ数年、エリーさんの人柄、本、絵画、詩、など、彼女が生み出す世界観にどっぷりはまっています。代官山で名刺交換をしたり、募集していないにもかかわらず、エリーさんのサイトからマネージャー立候補メールを送ったりと。

今年の3月にエリー学園の情報を知ってわくわくして、代官山の説明会にも参加し、願書提出して4/1から一期生として入学することができました。

今年の3月は自分の置かれている状況がかつてないほど災難が重なってハードな時でした。だからこそ、自分の内面と向き合う時間が長く、旋律にしたり、言語化したりしていました。
長らく眠っていたこのnoteも、エリー学園入学を機にリスタートしました。

しかし、6月から仕事が始まり、毎日終電帰りで、それまでとは生活が一変し、オンタイムで講義を受けられず、アーカイブが溜まってゆく一方となり、休みの前日深夜から明け方に1.75倍再生で受講。正しくは「受講」と言えるものではなく、溜まっているものを一つでも「減らさないと」というそんな気持ちで臨んでいました。

クリエイティブマッスルを鍛える、という学園の方針とは少しずつずれ始めていました。

エリー学園を離れても、スナックエリーは水曜日にありますし、また個展でもエリーさんにはお会いできるでしょう。

あくまで私の最終目標は、

エリーさんの原画を手に入れることです。

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