積ん読3 山下格『誤診のおこるとき』みすず書房

積んでる本に命を吹き込みましょう。まだ未読だけど。

山下格 『誤診のおこるとき』

名著と名高い書である。著者の誤診例を集めたものである(と聞いた)が、その誤診には精神科診療における診断・治療の動的な過程が反映されているに違いない。精神科の診断・治療は、実は、相互に絡み合いながら進むものである。治療が動き出してから診断が固まってくることも多い。必然的にそこには当初からの診断変更という事態が起こりうる。誤診は治療が進んでいることの反映である場合もあるのである。

伝統的診断では、「外因性→内因性→心因性」と鑑別を進める。外因とは物質中毒や外傷、原因のはっきりした器質的疾患のことであり、内因とはいわゆる躁うつ病、統合失調症とその類縁疾患群であり、脳器質的原因が想定されているがいまだ未解明だとされているという意味合いである。心因とは心理的要因のことで、もともとの性格の偏りとの相互作用によって通常とは異なる反応を示しているとされるものである。(こう書いてみるといかにも偏見を助長しそうだなと感じる。)外因にはその治療、内因には薬物療法、心因には精神療法が適応される。

一方、操作的診断基準というものがあり、DSMとICDがその代表である。上述の伝統的診断の曖昧さ、信頼性の乏しさに業を煮やしたアメリカ精神医学会が、「チェックシート」式の診断基準表を作り、診断の標準化を試みたDSM-Ⅲというものに端を発する。操作的診断基準では、各基準に物質使用などの他の原因の除外項目があるものの、各疾患のあいだに階層性はなく、基準を満たせば疾患が併存することもある。操作的診断を経て、疾患ごとの統計的調査に基づき、最適な治療法が選択される。

現代は操作的診断基準を共通言語としているのであるが、実際には折衷的である。思考のフローとしては「外因→内因→心因」に近いが、随所に操作診断と身体疾患の鑑別のチェックポイントを通過させてふるいにかけ、結果を操作診断に従った形で出力している。場合によっては、内因性かなと思って始めつつ、経過とともに徐々に明かになる外因(器質性精神障害)を除外していく。というか自分はそうしている。他のお医者さんはどうだろう。つまり、順に階層的なふるいにかけていくので、途中で新たに診断のチェックポイントにひっかかるというケースも出てくるのである。これもある意味では誤診から始まる例であるだろう。

誤診ないし診断変更の可能性は常に考えていないといけない。診断の難しいケースについて知識を増やすことが必要である。鑑別診断全般に言えるが、鑑別としてあげられる疾患をいくら知っていても鑑別診断はうまくならない。どういう徴候で立ち止まるか、どんな情報を新たに集めるか、その過程にどの程度の時間がかかるか、など時間的広がりのある動的な過程であるから、症例形式で追体験することが大きな糧となる。確か本書は症例形式だったはず。

精神科の診療においては、患者本人の疾患の体験が重要な意味を持つ場合が少なくない。うつ病では、患者がうつ病という「疾患の物語」に巻き込まれ病者役割を引き受けることが回復の契機となる。逆に統合失調症ではその過程は非常に繊細な作業となる。統合失調症者は世界に満ちる気まぐれな他者に翻弄されている。医療という強い制度の力は彼らにとって大きな侵襲である。医療者は決して患者を籠絡しないという慎重な姿勢が必要とされる。うつ病では患者に「意味」を与え、統合失調症では患者に「存在」を与えることが目指される。

疾患体験は医者患者関係の中で形成されるナラティブである。鑑別診断の過程が進むこと自体がナラティブを形成し、治療をさらに前へ進めるのである。誤診はないに越したことはないのだが、常に可能性を考えておくべきであるし、診断変更の機会は治療の深化の場面でもあると言える。通常の医療的側面と、ナラティブメディスンの側面。それらの交差する結節点が誤診という契機であろう。

名著だし、読まずに好き勝手書いてないで早く読むか。

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