見出し画像

♯19 序列化、そして冒瀆の罪/ルカによる福音書第11章37-54節【京都大学聖書研究会の記録19】

【2024年1月16日開催】

1 今回読んだ箇所

ルカ福音書11:37-54をみなさんとともに読みました。この箇所は、ファリサイ派、律法学者批判がまとめられているところです。「あなたたちファリサイ派は不幸〔禍〕だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ」といった具合です。この調子で、ファリサイ派と律法学者が別々にいくつもの内容にわたって批判されます。

マルコ、マタイにもこれと同様の記事があります。両福音書においては、エルサレム入り後にその批判がなされたことになっていて、ルカとは状況設定が異なります。ルカではエルサレム入り(19章)のはるか以前の話になっています。三つの福音書(マルコ、マタイ、ルカ)を比べてみると、マタイ福音書の長さが目立ちますし(23:1-36)、内容の激しさも際立っているように思います。「白く塗りたる墓」といった、よく知られたフレーズが出て来たりもします。律法学者とファリサイ派は外側はきれいにお化粧しているが(「白く塗りたる」)、中身は穢れに満ちている(「墓」)というほどの意味です。三福音書間の資料問題はなかなかに複雑のようですが、私の手に余るので、ここではふれないことにします。

マタイでは「律法学者、ファリサイ派よ」というかたちで、両者がまとめて批判されているのに対して、ルカでは、ファリサイ派批判(37-44節)と律法学者批判(45-52節)とが区分されています。ただ両者(ファリサイ派と律法学者)に関する批判の内容はほぼマタイ福音書と重なっていて、ルカ独自のものはほとんどありません。マタイの内容を適宜ダイジェストして、ファリサイ派と律法学者ごとに批判内容を振り分けて記した、といった印象です。

というわけで、今回は、ルカのテキストに即してルカ固有の問題をどこに見出すかが、気になるところです。マタイのダイジェストなら、マタイを読めばいいじゃん。たしかにそのとおりで、そこに固有の問題がなければ、ルカのテキストを丁寧に読む気力がそがれます。

2 ファリサイ派との食事

ルカのテキストは、ファリサイ派がイエスを食事に招いたというエピソードから始まります。ほかの福音書にはないこのエピソードを手がかりに、ルカのテキストを読む際のポイントを考えてみたいと思います。

ルカ福音書では、たびたびファリサイ派とイエスの交流をうかがわせる記述が出てきます。「あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願った」(7:36、新共同訳、以下同)とか、「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」といったイエスのことを心配するファリサイ派の言葉(13:31)とか。11章の今回の箇所も、イエスとファリサイ派の日頃の「交流」が前提となっているようです。その日頃の交流を根拠にファリサイ派のある人がイエスを食事に招いた。イエスは招待されたわけで、その招待された食事の席で、招いてくれた当の人が属するグループ(ファリサイ派)について根本的な批判を行ったわけです。ルカのテキストには何も記されていませんが、座が凍りついたにちがいない。根本的な批判を繰り返しながら、凍りついたことを意に介さず、イエスたちは食事を続けたのだろうか。何も描写がない以上、舌鋒鋭くホストを批判しつつ、最後まで食事をした。そう考えるしかない。イエスを招いた人は日頃から仲良くしていたから招いたわけで、その招待客に徹底的な批判を展開されたのだから、困惑はマックスになったことだろう。

ルカのこの箇所では、食事に招かれたイエスが食前の清めをしなかったことが記されています。マルコ7:3-4にあるように、「ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔からの言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない」。身を清めるとは、全身を洗うという意味だろうと思います。ルカでもそのことが問題になっている。招待された客が、その場で沐浴することが当時現実にあったかどうかはわかりません。あるいは入念な手洗いが儀礼的に清めの意味をもっていたのかもしれません。ルカのこの箇所における「身を清める」を「事実上は手を洗うこと」と解する解説もあります(岩波版『新約聖書』2004年、240頁)。ともかくファリサイ派にとっては、何らかの「清め」が、食事が成立するための必須の条件だったわけです。それをイエスは無視した。招待者側は驚いた(7:38、新共同訳は「不審に思った」)。彼らからすれば、食事というイベントが成立するための必須の条件がなくなったわけで、驚く以外にない。どういうつもりか、何を考えているのか。


3 「何であってもよい」イエス

聖研の話し合いの中で、ファリサイ派批判・律法学者批判という文脈をいったん棚上げして、純粋に食事の作法の問題として考えた場合、「清め」が「入念な手洗い」といった儀礼的なものだとすれば、イエスはそれをしてもよかったのではないかという意見が出ました。手を洗うことは簡単なことであるし、あまりこだわらずに先方の期待、求めに応じてもよかったのではないか、という意見です。たしかにイエスは行動の形式にはあまりこだわらなかったように思います。「これでなくてはいけない」とはあまり考えなかった。弟子72人を先遣隊として派遣するときに(10:1-12)、イエスは「その家に泊まって、そこで出されるものを食べ、また飲みなさい」と語った(10:7)。これは、食事は報酬として当然であるという文脈で語られた言葉ですが、この発言を文化(行動の形式)の問題として読むことも可能です。

こういうことです。君たちは、異邦の地、異教の地、慣習のちがうところに出向くこともあるだろう、そのときには、その土地の慣習に従って出されるものを何でも食べるべきだ、あれを食べてはいけない、これもダメ、などとは考えずに、その土地で食されているものは何でも食べる。そこで行われている食事作法についても同様だ。郷に入れば郷に従う。そのようにしてその土地の人と同じものを同じような仕方で食べる。「これでなくてはいけない」などというものはないのだ。先方に合わせる。それで初めて、先方つまり土地の人と話ができる。肝心なことつまり神の愛について話しができる。

このように、イエスは72人を派遣するにあたって、形式にこだわらないことを勧めていたように思います。何であってもよい。これがイエスの文化(行動の形式)に対する基本的な態度だったように思います。いうまでもなく「何であってもよい」は「これでなくてはいけない」の対極にある態度です。イエスには形式へのこだわりはなかった。


4 イエスの厳しい反応

イエスの形式一般への態度がいま述べたようなものだとすると、今回の食事の場面でのイエスのふるまいは、異例ということになります。ここに登場するイエスは確信犯的に「清め」の儀礼を無視します。先方の求めに応じてとか、先方の期待に即して、とはまったく考えていないようだ。「何であってもよい」という態度とはひどく異なります。ふだんのイエスとはちがうこの確信犯的な、厳しい態度はどこから来たか。

ファリサイ派は食事の際の清めの根拠を律法に求めていたようです。文字で記されたモーセ律法というよりは、「口伝律法」がその根拠だったようです。「口伝律法」とは、「聖書の規定を目の前の時代においても通用するように解釈し直したもの」(前掲書、29頁)とのこと。となると、その「作法」は単なる作法ではなく、「聖なるもの」の意味合いが強くなります。その行動パターンは、たまたまそうなっているといった程度のものではなく、絶対に守るべきもの、決して変えてはならぬもの、といった意味をもつことになります。正月におせち料理を食べるのは、歴史的な経緯でそうなっているだけで、食べなくてはいけない、などということはありません。たまたまそうなっているだけです。ファリサイ派にとっての清めはそうではない。それは神の命令だからです。口伝律法の指示とはそういうことです。

イエスが行動の形式(パターン)に関して「何であってもよい」というスタンスをとっている、と先に述べました。だとすると、ファリサイ派のこのガチガチの律法主義に合わせることもできたのではないか。先方の硬いこだわりに柔軟に付き合うこともできたのではないか。72人に教えたように、自身も、先方の食事作法に倣って出されるものを食べてもよかったのではないか。しかしイエスは、今回は柔軟な態度はとらなかった。「何であってもよい」とは言わなかった。なぜか。

「何であってもよい」イエスが、いわば「らしくない」反応に終始したわけです。その理由は、このケースに特有の事情の中に見出せるのではないか。特有の事情とは、問題となっているパターンが聖なるものの性質を帯びているということです。一般論(「何であってもよい」)で説明できないときには、個別の条件(この場合「聖なるパターン」)に目をつける。この思考の進め方には無理がないと思います。では行動の形式が聖なるものの意味合いを帯びると、いったいどのような変化が顕在化するのだろうか。

5 序列化、そして冒瀆の罪

聖性がもたらす効果をここでは二つに分けて指摘しておきたいと思います。一つはそのパターンを守る側の態度の問題です。聖なるパターンということになると、人はより真面目になります。どんなときにも一貫してそれを守るようになります。聖なるものは状況一貫的に聖なわけですから、状況ごとに態度を変えるなどということはないわけです。またそのパターンそれ自体が命じられているわけですから、「これでなくてはいけない」といった思いは、(あたりまえですが)当然強くなります。「何であってもよい」といった余裕はそこにはありません。このように、行動パターンが聖性を帯びると、自分がそれにより強く拘束されるようになります。そこまではあまり問題はない。その人自身の問題にとどまるからです。

ところが、真面目になればなるほど、それだけでは済まなくなる。その形式が大事なもの、取り換えの利かないものになればなるほど、そのことをわかっていない他人のことが気になって仕方がない。聖なるものは、自分にとってだけではなく、共同体内のすべての人にとっての聖なるものだから、他人の動きが気になって仕方がない。みんなが自分たちのようにならないとおかしい。そう思うわけです。あるパターンが聖なるものであると自覚することと、それを守らぬ他人が気になることとは、表裏一体の関係にあるようです。少なくとも、ファリサイ派にとってはそのような事情だったらしい。他人が気になるとは、決まりを守らない他人が気になるというわけですが、そのとき自分は一貫してそれを守っているという自覚がある。そして聖なる決まり(行動パターンの指示)を守っている自分は、当然ながら、守れない(守らない)人々の上に立つ。他人が気になるとき、その他人はいつも自分より下にいることになります。

自分たちが聖なるパターンの担い手と思っている限り、他人はどうしても下に見えてしまう。行動形式が聖性を帯びることと、序列化が進むこととは切り離しがたく結びついている。聖書が語られる場所(「会堂」)では自分は重鎮。オレほど律法について詳しく知り、かつそれを遵守している者はいない。重鎮として遇されて当然。みんながオレに挨拶して当然。下の者が上の者に挨拶するのは当然じゃないか。

行動の形式が聖なるものの性質を帯びると、聖なるものの側にいると自認する人間の側はこのように変わってしまう。ただ真面目になるだけでなく、序列化の自覚の下、他人を下に見る。軽蔑する、馬鹿にする。そして自分を上に置く。イエスはその点をとらえて、「杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている」(39節)とか「会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好む」(43節)などと語った。

行動形式が聖性を帯びることのもう一つの効果として、そのパターンを破る人間が、冒瀆の罪を着せられるということがあります。たしかに神の指示を無視してしまえば、その人は神の聖性を毀損したことになる。神の指示を無視するということは、指示を出した神そのものが聖なるものでないと暗に告げるものだからです。だからこうした事件に接すると、聖性の立場に立つ人間は、冒瀆した人間を徹底的に攻撃する。聖性の純度が高いほど、そしてその聖性を強く信じる者であればあるほど、冒瀆者への攻撃は激しくなります。9:47-51に描かれる預言者の殺害は、このことを語っているような気がします。神の言葉を伝えた預言者は冒瀆を理由に殺された。それゆえ「天地創造のときから流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われる」(9:50)。

6 愛なる神との出会い

「何であってもよい」と考えるイエスが、特定の形式にこだわるファリサイ派や律法学者に対しては、きちんと線引きをし、先方を鋭く批判した。その理由について考えてきました。それが神の指示であることが、彼らのこだわりの理由です。指示どおりにすればするほど神は崇められる。それが彼らの主張です。

そこには崇められ、持ち上げられる神はいるかもしれませんが、彼らに直接働きかける神はいない。だからこそイエスは彼らに「できることを施しとして与えなさい」(11:41、聖書協会共同訳)と言い、「正義の実行と神への愛は疎かにしている」と批判したわけです。愛のわざが勧められています。愛のわざは、愛なる神との出会いによってしか生まれない。つまりこのイエスの言葉は、彼らに、否応なく自分たちに最も欠けているものを自覚させてしまう。愛なる神との出会い、愛なる神に働きかけられる経験。ルカ福音書にしか記されていないこの二つの発言(「できることを施しとして与えなさい」、「正義の実行と神への愛は疎かにしている」)は、ファリサイ派、律法学者の存在の中心を射抜く言葉だったと言えそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?