♯33 暗殺されたアブネルとは何者だったか/サムエル記下第3章2-39節【京都大学聖書研究会の記録33】
【2024年7月9日開催】
今回で今年度前期の聖研は終了。しばらく休んで、10月から再開します。
今回はサムエル記下第3章2-39節を読みました。ダビデ側とサウル側に分かれて内戦状態が続く中での話です。今回読んだ箇所の主役は、サウル側の軍人アブネル。アブネルの働きでサウル側とダビデ側の統合が図られることになります。しかしそのアブネルは殺害されてしまう。弟アサエルの仇をとろうとした兄ヨアブの仕業です。王権が確定しない中での公私入り乱れた展開です。
登場人物
今回は人の名前がたくさん出てくるので、まず登場人物を確認しておきます。
サウル側の人物としては、いま名前を挙げた司令官アブネル、それにサウルの子で現王のイシュ・ボシェト、加えてサウルの娘で以前ダビデと結婚していたミカルとその現在の夫パルティエル。
ダビデ側には、ダビデのほか、ダビデの姉妹ツェルヤの3人の息子のうちヨアブとアビシャイ(彼らの弟アサエルは戦場でアブネルに殺された)。
あらすじ
これらの人物が出入りして目がちらちらしますが、物語の骨組みは以下のとおりです。3章にはこのほかダビデの子どもたちのことが記されていますが(2-5節)、ここでは省略します。
①はじめにサウル側の内情が語られます。王イシュ・ボシェトが父サウルの側女と通じたことを理由にアブネルを責める。アブネルはそのことに憤慨し、イシュ・ボシェトは王の器ではないと見切りをつけたようです。「私アブネルは、主がダビデに誓ったこと、すなわちダビデが次期王となることのために働く。王権はサウル側からダビデに移り、ダビデが全イスラエルを統治するようになる」。アブネルはこのように宣言します。王イシュ・ボシェトはそれを聞いても怖くて何も言えない。サウル側を実質的に支配していたのは、アブネルだったことがよくわかります。(6-11節)
②アブネルは早速ダビデと連絡をとり、契約を結ぶことを申し出る。それによって全イスラエルがダビデにつくことになる、という。契約を結ぶにあたって、ダビデは条件をつける。元の妻ミカルを連れて来い、という。また妻にするつもりなのだ。(12-16節)
③アブネルはサウル側の長老たちにこの話をして了承を取り付けた後、ダビデのいるヘブロンに向かう。そこで酒宴が開催され、歓迎される。ダビデ王国樹立に協力する意思を伝えて、帰途につく。(17-21節)
④アブネルを送り出したところにヨアブが戻ってくる。アブネルの話を聞いて、それはまずいとダビデに進言する。あの男はこちらの事情を探りに来ただけだ。なぜ何もしないで送り出してしまったのか。ヨアブはこの認識に基づいてアブネルを呼び戻し、不意打ち的に殺害する。弟アサエルの仇をとったわけだ。報告を受けたダビデはひどく落胆し、ヨアブ一族に呪いの言葉を投げかける。(22-30節)
⑤ダビデはアブネルの葬儀を執り行う。哀悼の歌を詠み、断食をする。その様子は民の共感を誘った。(31-39節)
王国統一に向けて働くアブネル
サムエル記上には、サウル王の就任以降の様子が記されています。かたちの上では王国となっていますが、王権は少しも安定していない。これまで読んできたとおりです。サウル王はダビデという異分子の排除に躍起になるが、なかなかうまくいかない。そんな状況が続いていたわけです。
サウルの死後、内戦状況は顕在化し、王としての自覚を深めたダビデが本格的にサウル側と戦い、次第にダビデ側が優勢となっていったようです(3:1)。このまま内戦が続き、サウル側が敗北してダビデ王国誕生に至るわけではありません。そうではなく、サウル側とダビデ側双方の合意で統一王国ができることになります。今回読んだのは、その第一歩に何があったかを記した箇所です。
本文に明らかなように、合意形成にあたって大きな働きをしたのは、サウル側の司令官アブネルです。この人が大車輪の活躍をして、長年の対立に終止符が打たれることになった。アブネルはこれまでサウル側の中心人物でした。その彼が、ダビデ王国樹立に向けて舵を切ることを決意したわけです。アブネルにとってサウル側の王権の正当性は、王イシュ・ボシェトがサウルの子であるという点にありました。血統による正当性です。しかし①で記した些細なことをきっかけにして、その正当性の信念が揺らいでしまったようです。血統はあるが、中身がない。アブネルは王イシュ・ボシェトをそのように見切ってしまった。このことが決定的な意味をもつことになります。
イシュ・ボシェトを見切ったアブネルは、ダビデ王国樹立に向けて精力的に動きます。ダビデに和解の意思を伝える一方で、サウル側の長老たちの意見を束ね、ダビデに対する彼らの好感触を背景にしてダビデと直接会い、和解に向けてのロードマップを提案します。全イスラエルが恭順の意を表すことが予定されているようです。ダビデもアブネルのこの提案を歓迎している様子です。ここまで来れば、サウル側とダビデ側の合意形成(手打ち)まであと一歩です。
ヨアブの思惑
ところがアブネルは王国の樹立を目にすることなく殺されてしまう。犯人はヨアブとアビシャイ。弟アサエルが殺されたこと(下2:23)への復讐、と聖書は記しています。「ヨアブと弟のアビシャイがアブネルを殺したのは、ギブオンの戦いで彼らの弟アサエルをアブネルが殺したからであった」(3:30)。戦場は殺し合いの場ですから、そこで人を殺したとしても、ふつうは復讐の対象にはならない。アブネルは自分が復讐されようとはまったく考えてもいなかったでしょう。つまりアブネルにしてみれば、ヨアブとアビシャイの一撃は不意打ちでした。
「復讐のために殺した」と書いているのは、聖書記者で、むろんヨアブはそんなことは言わない。ヨアブは、アブネルは信用できない男だから殺した、と言うに決まっています。ヨアブはアブネルを信用していないのは事実で、その見解をダビデにも伝えています。アブネルはダビデを欺いて王の動静を探りに来たのだ、スパイみたいなものだ。だから彼の言うことをまともに聞いてすんなりと帰したりしてはならない。ヨアブはそのようにダビデに進言します(24-25節)。これらの言葉は、血の復讐を粉飾するための言辞という側面をもつことはたしかですが、ただそれだけのものと考えることは誤りだと思います。
ヨアブは要するに弟の仇をとりたかっただけだ、そのためにアブネルがスパイなどというフェイクニュースをでっち上げたのだ。こういう理解は誤りだと前段で述べました。つまりヨアブはアブネルがヤバい人間だと本気で信じている節がある。単に自らの私的暴力に公的な意味があると騙っているわけではないのです。
ダビデはアブネルを信用した
他方ダビデは、アブネルの提案を正面から受けとめています。裏を読んだりはしていない。そしてアブネルの死に際しての哀悼の言葉には、真実がこもっている。日本語で読んでも、そのように感じられます。ダビデは、サウルとヨナタンの死を知らされたときにも、「勇士らは倒れた」のリフレインが印象的な哀悼の歌を詠みました(サムエル記下第1章)。それを読むと、サウルとヨナタンに対する敬意、愛、それに彼らが殺された無念さが伝わってきます。この言語表現は芸術家のものでしょう。ダビデはまさに詩人でした。
詩人ダビデは、今回サウル側の司令官アブネルの死を悼んで全力で表現している。サウル側とダビデ側の和解実現のために精力的に動いてきたアブネル。そのアブネルが不当な暴力の餌食になってしまった。志半ばで倒れねばならぬアブネルの無念さはいかばかりか。ダビデはアブネルの墓の前で号泣したとありますが(「王〔ダビデ〕はその墓に向かって声をあげて泣き」3:32)、哀悼の歌を詠むと、まさにその無念さが言葉からあふれ出すようです。
ともかくダビデはアブネルという人物を信用した。彼の和解提案には嘘がないと思ったわけです。
ヨアブとダビデ
となると、ヨアブとのちがいが気になります。ヨアブはアブネルをまったく信用しなかった。奴はスパイかもしれないとダビデに進言したほどです。さきほどの仮定に従えば、その言葉に誇張や捏造の思いは含まれていない。ヨアブは本気です。ダビデ王よ、そんなに簡単に奴を信用してはならない、と言っているわけです。
ダビデとヨアブのちがいは明らかです。そしてそのちがいの理由もまた明白です。ヨアブは弟をアブネルに殺されているわけですから。アブネルという人物の把握にバイアスがかかるのはやむをえない。「信用できない」とヨアブが考えるのは、その色眼鏡のせい。これは十分に合理的な推論だと思う。
ともかくヨアブについてはこのように把握することが可能です。不思議なのはダビデの方です。ダビデはヨアブに同調しうる条件下にありながら、まったく同調していない。それが不思議です。ヨアブはダビデの姉妹(ツェルヤ)の子、つまりダビデの甥です。ダビデはヨアブの弟アビシャイと一緒にサウルの寝所に忍び込んだのでした。ダビデはヨアブ、アビシャイの兄弟とは親しい。少なくとも近いところにはいる。だから弟アサエルが殺害された彼らの無念さも、よく実感できるにちがいない。アサエルのこともよく知っていただろう。となれば、彼らの無念は私の無念、となるのがふつうです。ダビデの場合もそうだったかもしれませんが、ただそこからさらに進んで、彼らのバイアスを共有するところまでは行っていません。まったく行っていない。アサエルを殺したアブネルだからダメ、とはなっていない。坊主憎けりゃとは思わない。それはそれ、これはこれと考えているようです。
ダビデの現実主義
ダビデの非同調の理由を考えてみます。ダビデはヨアブらに同調しうる条件下にありながら、なぜ同調しなかったのか。一つ考えられるのは、彼の現実主義です。現実主義とは、いまの場合、状況を利害損得の観点から評価しながめる態度、と考えておきます。
アブネルの提案に乗ったのは、ダビデなりの現実主義的判断ではなかったかと思います。アブネルをとおして労せずに全イスラエルの恭順が確保できる。これほどありがたいことはない。これで「ダンからベエルシェバまで」の支配が可能となる。当時の政治状況をめぐるこうした現実主義的判断が、ダビデを動かしていたわけです。そしてそれがアブネルを信用するという態度と結びついていたのではないか。
ミカルの問題
ダビデの現実主義についてひと言付け加えます。あらすじ②でもふれましたが、ダビデはアブネルの和解提案(契約を結ぶという提案)に対して、元の妻ミカルを連れてくるように要求します。ミカルは「ダビデを愛していた」(サムエル記上18:20)人ですが、かつてサウルはそのことを利用し、ミカルをダビデと結婚させようとしました。結婚の条件としてペリシテ人の陽皮100枚をもって来い、という。この条件を出しておけば、ダビデはペリシテ人と戦って殺される、と踏んだわけです。ところが予想に反してダビデはこの課題を簡単にこなしてしまう。という次第でダビデとミカルは結婚しますが、その後、ダビデがナバルの妻アビガイルと結婚。それを見たサウルが、ダビデとミカルの婚姻関係を破棄し、ライシュの子パルティ〔今日の箇所ではパルティエル〕にミカルを与えた(上25:44)。
その後10年くらい経っています。この時点で、ダビデはミカルをいま現在の夫パルティエルから離し、連れて来い、と言う。この話が実行に移されたとき、夫パルティエルは「泣きながらミカルを追い」かけたとのことです。ダビデもずいぶんなことをします。聖研の話し合いでは、ダビデのミカルへの気持ちは不変だった、あるいは添い遂げよう(?)という気持ちがあったといった意見も出ましたが、ここでは、このミカルに関する提案は、ダビデの現実主義の表れととっておきます。どういうことか。
サウルの娘ミカルが再び妻になれば、ダビデはサウルの女婿の地位を獲得する。イシュ・ボシェトのような直接の血統ではないが、血統要素の一つを手に入れたことになり、王権の正当性の不足を多少は補うことになる。こういう現実主義的な判断がミカルを連れて来い、という命令の背後に働いていたと考えます。
ダビデとアブネル
アブネルに対するヨアブとダビデの態度のちがいは、ダビデの現実主義的態度に起因する。そのように述べてきました。利害損得の観点からアブネルの提案に乗った。そこまでは十分ありそうなことですが、ダビデのアブネルに対する態度には、この観点からだけでは把握しきれないものも含まれているように思います。
ダビデのアブネルへの哀悼の歌を読み、葬儀の際のダビデの態度を見ると、ダビデはこの人物に相当深く共感しているような印象を受けます。ダビデはアブネルと利害損得の観点からつながっていただけではない。もっと深いつながりが二人の間にはあった。そんな感じを受けます。これが、ダビデがアブネルを信用したことの背景にあったように思います。しかしこのつながりはいったいどこから来たか。両者は、内戦とはいえ、敵と味方に分かれて互いに戦ってきた者同士ではないか。
サムエル記を遡っていくと、ダビデとアブネルが出会う場面が記されているところがあります。私ははっきり思い出せなかったのですが、話し合いの場で聖研のメンバーから指摘され、改めて気づいた次第です。サムエル記上26章です。ダビデがヨアブの兄弟アビシャイらとともに、深夜にサウルの寝所を奇襲したあの事件が描かれているところです。そこでダビデは、サウル側を代表するアブネルと、遠く離れたところから大声でやりとりをします。「お前たちの王警備は甘い。おれたちは簡単に忍び込めたぞ」とダビデは主張したのでした(上23:13-16)。
ダビデとアブネルの接点については、これだけしか情報がない。大声でやりとりする中で何か響き合うものがあったのかもしれない。しかしそれは聖書に記されていないので、まったくの想像の域を出ない。
主が誓ったこと
アブネルはイシュ・ボシェトからサウルの側女の件で、難詰されたとき、反論してダビデ側に加担するという意思を表明します。その際、「主がダビデに誓ったことに私が加担しないわけにはいかない」という趣旨のことを言う。ヤハウェはダビデを王にするつもりだ。それに加担しないなら、ヤハウェに背くことになる。アブネルにとっては、仕える対象を(イシュ・ボシェトからダビデへと)変更するのは、現実主義的な判断や自分勝手な判断ではなく、「主の意思」なのだ。あるいはイスラエルの長老たちの意思を確認したときにも、主が「僕ダビデがわたしの民イスラエルを救う」と語ったことに言及している。つまりここでもダビデへの王権移行が「主の意思」であることが強調されている。
このようにアブネルは、今後の方針を他人に説明するとき、自分の判断というよりは、主の判断、主の意思であることを強調します。それは当の話し相手(イシュ・ボシェトやイスラエルの長老たち)を説得するためのレトリックという側面もあったかもしれない。しかしやはり第一義的には、アブネルがそう受けとめていたからだと思います。アブネル自身がそのように受けとめていたからこそ、「主」という言葉が出てきた。このような把握が自然であるように思います。
「主」という言葉が、大事な局面で出てくる人物、そういう人物が、「主が共にいる」ダビデと共振しないはずはない。そのように感じます。ダビデははじめの出会いからそのことを感じ、今回出てくるような政治的な面談においても、ますますその感じを強めていったのではないか。アブネルの死を悼むダビデの言葉(哀悼の歌)、様子(号泣)、ふるまい(断食)を見ると、そう思わざるをえません。
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