エビデンスに基づく教育政策を実現したい


僕がnoteを書く目的

は、たぶん次の3つ。①考えてきたことを残し、思考の整理整頓をすること。②エビデンスに基づく教育政策について外に発信すること。③暇つぶし。


初回の本記事では、実際に行われた教育政策に関する研究をまとめる。

The price of forced attendance - Kapoor - 2021 - Journal of Applied Econometrics - Wiley Online Library
論文のurlです。↑

今回は初回なので、中学生にも理解してもらえる感じでまとめていくよ。


The price of attendance

 直訳すると、「参加の価格」です。けど、本論文の文脈では、「出席の価値」と訳したほうがいいです。
 この研究では、『オランダの大学で行われた追加授業に、大学生は出席する意味あったの?』をRDDという分析手法で調べています。
難しいので、補足しつつ進めていきましょう。


RDD(回帰不連続デザイン)とは、

 ある閾値前後で違いを比較する手法です。

 例えば、高校受験でのテストの点数について考えてみます。ある年のA高校の合格者最低点が5教科合計で350点だったとしましょう。A高校に受かりたくて一生懸命頑張った太郎君ですが、残念ながら太郎君の合計得点は349点でした。また、同様に一生懸命頑張った次郎君は、見事に合計得点350点を取り合格しました。このような状況を考えましょう。もし、太郎君の点数が1点高かったら、次郎君の点数が1点低かったら、、。

 では、この太郎君と健太君の"学力"に"違い"があったのかを考えてみましょう。「その1点は毎日の努力の差なんだ!」という意見、確かにそうかも。「筆記のテストだけでは"学力"なんて測れない!」という意見、僕も同意します。

 しかし、試験前日緊張して眠れなかった、受験した教室がちょっと寒かった、机がガタガタしてた、隣の人が臭かった、などなど、当日の点数って揺れている、本人の学力ではどうしようもなく変化してしますことがありそうです。

 ここがRDDの大事なところです。つまり、試験当日に多少のバラツキが出てしまうが、350点付近の生徒の学力は、統計学的に同じであるとみなせるのです。たまたま惜しくも350点に届かなかった生徒と、たまたまラッキーなことに350点に届いた人、みんな合格させてあげたいのですが定員というものがありますので、どこかに基準を設けなければなりません。"生徒の意思とは関係なく"、ほぼ同じ学力であるにも関わらず350点未満の人は不合格となるわけです。
 この350点のことを「閾値(しきいち)」と名付けてみます。

GPA7未満の生徒に追加授業を強制させた

 論文に戻ります。「GPA」とは、大学での成績のことです。中学、高校でいう内申点みたいなやつです。
 あるオランダの大学で、大学1年生をGPAを基準に3つのグループに分け、それぞれのグループに異なった施策を行いました。

 グループ1(7-forced)・・・GPAが7未満であった学生に対して、追加授業を強制受講させました。(forced-強制された)
 グループ2(7+recommended)・・・GPAが7以上の成績だった学生に対して、追加授業の出席をお勧めました。(strongly encouragedって論文に書いてありました。強めに勧めたみたいです。)
 グループ3(7+voluntary)・・・GPAが7以上の成績だった学生に対して、学生になんの介入もしませんでした。自由に参加させました。(voluntary-自発的)

・補足説明
 追加授業は、学年が1つ上がって2年生の時に参加するものです。
 (7+rec)か(7+vol)かの割り当ては、ランダムっぽいです。
 (7+rec)と(7+vol)とも出席しないことのペナルティはありません。
   (7-for) に割り当てられた学生は、2年生の1年間で追加授業250時間の70%は出席しないといけませんでした。


分析方法


前述したことを利用しましょう。本研究で、閾値は7です。
論文では、GPA7前後で、ある幅において、学生の成績に有意差がないことを確認(カットオフで生徒の特性が連続的かを確認(確率密度が連続的か))しています。つまり、GPA7の近くの学生について違うことは、出席強制されてるかどうかだけ、ってことです。
後は、強制された学生とされてない学生の点数の差を見ればいい。


一回休憩+結論予想time


ここまで、短くまとめたつもりが長くなってしまいました。
さて、結論を確認する前に、予想してみましょう。追加授業をした政策に効果はあったのでしょうか。
実際に、7-forcesの学生について、授業の出席率は高くなっていました。

なので、「7+の学生よりもたくさん授業聞いてるからテストの点数高くなるかも」という予想ができそうです。
また、「自分から積極的に授業聞かないと意味ないでしょ」という意見もでてきそうです。


結論

出席率50%増加、成績0.16~0.26 s.d.減少。
出席はするようになったけど、追加授業に成績を上昇させる効果がなかった
どころか、成績が下がった。

考察、感想

 論文では、この追加授業を行う政策が、学生が希望する学習インプットの組み合わせの達成を妨げたことで、成績が減少したと考察しています。学習インプットの組み合わせとはここでは、授業と自主のバランスのことを指しています。
 授業ばっか聞いて、自主学習してなかったら身につかないでしょう。反対に、自主学習だけよりも、授業で教わると理解がしやすいというのも分かります。この大学が行った政策によって、学生の学習のバランスが崩れてしまったのでしょう。

では、全ての学校の授業を自由参加にすればよいのでしょうか。自由参加にすれば、全ての学生の学習インプットの組み合わせは最適化されるのでしょうか。理屈ではそうなんですけど。

 非現実的ですね。全部自由参加にしたら、僕はなんも勉強しなくなったと思います。「ある程度の強制は必要だ」という意見に賛同する人は少なくないのではないでしょうか。

 僕たちは意識せずとも、最適化しようとしてます。国語の授業中に内職で英単語テストの勉強したり、受験で使わない教科のテストで赤点ギリギリを狙ったり、数学の授業で進みが遅いから自習してたり。逆に、授業たくさん聞いたほうが自分に合ってるよ、という人もいるでしょう。
 大学生くらいになってくるとだいたい感覚でわかってきます。この授業を聞くことでテストの点数がどのくらい上昇し、授業を聞かずに自主学習をすることでテストの点数がどのくらい上昇するか、
 でも、中学生・高校生がそんなこと無理です。そんなことを考えながら受験勉強してほしくないです。

 授業(強制):自習=3:7がいい人もいれば、5:5が最適な人もいる。これを最適化するのが教育政策の役割であり、最適化する方法を見つける方法もまた教育政策の役割です。

この成功とは言えない教育政策と論文のおかげで、学習インプットの組み合わせを最適化することが重要だと考えることができました。また、大学生に勉強しろって言っても意味ないよということもなんとなくわかったわけです。(過言)





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