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#49 飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群

この記事を書いている時点ではまだ世界遺産委員会への推薦書の提出もなされる前なのですが、順調にいけば2026年の世界遺産委員会にて審議される予定の『飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群』の構成資産を巡ってきました

1.石舞台古墳

1辺50mの巨大な方墳で、墳丘の上部が失われたことで石室の天井石が露出しているという古墳です
写真では分かりにくいのですが、現地に行ってみるとそれとは築かないほどの方墳の上を歩いて石舞台に近づいていくこととなります
一般的には蘇我馬子(そがのうまこ)の墓であるとの説がよく知られていますが、この古墳の築造に際しては周辺の小規模古墳を壊して整地したということですので、蘇我馬子でなかったとしても相当の権力を持っていた人物の墓ということになりますね
露出している部分も巨大なのですが、石室の中にも入ることができ、中から天井を見上げると更にその大きさを感じることができます

2.橘寺跡

7世紀に造営された百済式伽藍を採用した尼寺の跡です
文献資料や発掘調査から日本最古級の尼寺跡であることが分かっています
百済の影響を受けた直線上の伽藍配置を持ち、境内から出土した塼仏(せんぶつ・粘土で型抜きして形成した板状の仏像)には唐の影響も見られるそうです
複数回焼失したのちに修理再建されており、現在の本堂は1864年に再建されたものです
聖徳太子の生誕の地とされ、太子建立の七ヶ寺の一つとされます

3.川原寺跡

7世紀中頃、亡き母である斉明天皇のため天智天皇が建立した仏教寺院跡です
飛鳥宮の西に対峙する位置関係にあり、宮殿と寺院の関係を示す代表例となります
朝鮮半島から導入したこれ以前の寺院とは異なり、仏堂を中心とした一塔二金堂式の伽藍配置を持ちます

4.高松塚古墳

7世紀後半から8世紀初頭に築造された、藤原宮の南の墓域に位置する壁画古墳です
壁画には中国の伝統的な思想に基づいた、男女それぞれの人物群像や四神、星宿(せいしゅく)図(星座)が描かれ、高句麗や唐の影響が顕著に表れています

明日香村観光の目玉の一つですね
高松塚古墳の脇に復元された壁画を展示する「壁画館」があり、修復前後での壁画の様子などを見ることができます

5.キトラ古墳

7世紀後半から8世紀初頭に築造された、藤原宮の南の墓域に位置する壁画古墳です
東アジア現存最古の天文図を伝える墳墓で、この天文図は、現代天文学の成果から中国で観測されたことが判明しています
天文図のほかにも四神や十二支、日月が描かれた壁画は、保存修理のために一時的に取り外され厳重に保管されています

高松塚古墳と並ぶ観光スポットですね
高松塚古墳からは1.5kmほどの距離なのですが、かなりの坂道を登るので自転車で移動する際は結構体力がいるかもしれないです
こちらも古墳の脇に壁画の展示施設(四神の館)があり保存修復の様子などを見学することができます
年に4回、修復中の壁画の実物を公開しているのですが、今回のタイミングでは期間外でした

6.檜隈寺跡

(写真撮ったはずなのですが誤って削除してしまったようです)

塔をはさんで南北に金堂、講堂を配し、西門(中門)から延びる回廊が金堂・講堂に取り付いて囲むという独自の伽藍配置を持っていた寺院跡です
有力渡来系豪族である東漢氏が氏寺として造営を開始した仏教寺院で、講堂の基壇外装に百済の寺院でよくみられる瓦積基壇が採用されていることからも、東アジアとの交流を背景として、有力氏族が寺院建立を進めたことが判ります

現在は、於美阿志神社という神社があるのみで当時の建造物は残されていません
訪問当日も他の観光客の方は見掛けませんでしたが、高松塚古墳とキトラ古墳の間の位置にあるので、世界遺産巡りをされる際には訪れやすい場所です

7.天武・持統天皇陵古墳

7世紀後半に築かれた、藤原京の造営を計画した天武天皇と皇后の持統天皇が合葬された陵墓です
飛鳥時代の天皇陵のみに許されたといわれる八角形の墳形を採用しているそうなのですが、この写真からでは分かりませんね

8.飛鳥水落遺跡

660年に造られた日本最古の漏刻台(水時計台)の遺跡です
濠に囲まれた石貼りの基壇とその上に建つ総柱建物、さらに基壇内部には木樋が走り、基壇中央には漆塗りの木箱が据えられていました
7世紀後半には廃絶し、近江大津宮への遷宮にともない漏刻も飛鳥から大津へと移されたとみられます

屋外で、柱の位置を示すような展示のみなので、想定される施設の復元模型の様なものも見られると、よりイメージが湧きやすいのかなとも思います

9.飛鳥寺跡

飛鳥寺跡は、日本で最初の本格的伽藍を持つ仏教寺院(596年完成)の遺跡です
地下に良好な状態で埋蔵されている寺院跡の遺跡(遺構・遺物)と、地上に表出している中金堂基壇、中金堂に配置されていた釈迦如来坐像(飛鳥大仏)の土壇、中金堂、講堂の礎石などで構成されています

現在の本堂は1826年に再建されたものですが、位置は創建時に金堂が建てられた位置と同じだそうです
中には日本最古の仏像とされる釈迦如来坐像(通称:飛鳥大仏)が祀られています
法隆寺の釈迦三尊像の作者としても知られる鞍作止利(鞍作鳥)の手によるものなのですが、損傷が激しくどの部分がオリジナルでどの部分が修復なのかは今も研究が進められているようです
一般的には本堂内のご本尊は写真撮影不可というところが多いのですが、飛鳥大仏は撮影OK(むしろどんどん撮ってくださいと言われました)です

10.酒船石遺跡

亀形石造物
酒船石

国家形成の宗教的側面を示す7世紀中頃に造営された祭祀遺跡です
丘陵の周りを囲んだ石垣、丘陵の上の酒船石、丘陵裾には亀形をした石槽や地下からの湧き水を地上へ導水する湧水施設があります
湧水施設の発見以前は、酒船石の使途は謎に包まれ、酒の醸造などの諸説が唱えられましたが、湧水施設の発見により、その構造や立地などから天皇による国家祭祀遺跡と推定されるようになりました

丘下の湧水施設、亀形石造物は明日香村のグラウンド整備の工事の際にたまたま発見されたそうで、この発見がなかったら酒船石の用途も判然としなかったというお話は面白いですね(ボランティアガイドの方からお聴きしました)
湧水施設と酒船石のある丘陵一体は、自然の丘陵ではなく斉明天皇が土木工事による作り上げたもので、斉明天皇が好んだ道教の影響を強く受けているとも考えられているそうです

11.その他

今回の訪問では回りきれなかったのですが、『飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群』の構成資産(候補)となっている施設は今回ご紹介のもの以外で、
・飛鳥宮跡
・飛鳥京跡苑池
・藤原宮跡
・大和三山(耳成山)
・大和三山(香具山)
・大和三山(畝傍山)
・山田寺跡
・大官大寺跡
・本薬師寺跡
・菖蒲池古墳
・牽牛子塚古墳
・中尾山古墳
があり、全部で

訪問した際の動画はこちらにてご覧いただけます

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