キティちゃんのバッグの謎ついての考察

 「藤さんは、人間不信から銀行さえも信用できず、普段からキティちゃんのバッグに札束をいくつもいれて持ち歩くようになっていた」と言われています。人間不信はよく聞きますが、銀行さえも信用できないとは余り聞きません。銀行さえも信用できないと思われたのは、普段からキティちゃんのバッグに札束をいくつもいれて持ち歩くようになっていたからだと思われます。

 では何故、銀行口座を使わなかったのでしょう。藤圭子は2000年に役員報酬2億円を確保しています。そのほか、当時、娘の個人事務所の役員待遇であった藤には、黙っていても年間1億7000万円ほど報酬が入ってきたと言われています。2002年まで役員報酬を受けたとしても、軽く4~5億円の現金が手元にはあったと考えられます。当然、このお金は娘の個人事務所であるユースリーミュージックから藤圭子名義(正確には宇多田純子名義)の口座に振り込まれていたと思われます。

 銀行口座を使わなくなった理由は、2002年の宇多田ヒカルヒカルの結婚とその夫から個人事務所の役員を降りるよう迫られ、手切れ金を藤圭子名義の口座に振り込まれそうになったからではないかと推測しています。2002年年4月ヒカルさんに卵巣嚢腫が見つかります。そして手術後の9月に宇多田ヒカルさんは紀里谷和明さんとの結婚を正式に発表しています。宇多田ヒカルさんは当時19歳でしたので紀里谷和明さんとの年の差15歳差の電撃入籍でした。

 ヒカルさんは、「ヒカル・マネー」が両親の争いを生む元凶と思い、自らヒカルマネーを管理をしようと、夫となった紀里谷氏から圭子さんに「役員を外れてほしい」と申し入れがありましたが、結局、圭子さんは、役員は外れなかったそうです。「家族からそんなこといわれると思わなかった。それから人間が信じられなくなった」と言っていました。「ときには少し涙ぐむ様子で「ヒカルは冷たい」と何度も何度もいって...家族からもう完全に孤立しているという感じでした」といいます。(芸能関係者)

 その手切れ金は2003年、ヒカルのプロデュースに口を挟まないことを条件に支払われたものと思われます。実際、2004年の納税額は5966万円からの推定年収は1億6800万円であったと言います。そして、2005年 ユースリーミュージックから藤圭子の名前が消えるのです。

  この手切れ金は、藤圭子にとって素直に受け取れるお金ではなかったようで、それが支払われる前に、これまでの現金を全て口座から下ろし、一部を貸金庫に、当面必要なお金をバッグにいれて持ち歩くようになっていたと思われます。

  歌手封印をし役員を降り、ただの宇多田純子になった藤圭子は、時折、夫の照實氏に「3人での生活」をもとめ電話をしますが、機嫌よく話していたかと思えば、罵声を浴びせこともあり、 精神的に病んでいると思われ取り合ってもらぬまま、2006年3月のニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される事件が起きるのです。

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