藤圭子歌唱の「母子舟/恋して母は」について

 藤圭子の未発表曲に、シングル盤「母子舟/恋して母は」がある。関係者によると、一人娘の宇多田ヒカルが生まれた翌年の1984年に録音されたというが、お蔵入りになっていた曲である。(圭子さん34歳、ヒカルが2歳4か月頃)

 母子舟(おやこぶね) https://www.youtube.com/watch?v=Bj9jmgmvCrI。 また、「 恋して母は」  https://www.youtube.com/watch?v=AW7568RLinA ともに作詞:石坂まさを 作曲:平尾昌晃である。
この2曲について、考察してみたい。

 藤圭子は1983年に娘のヒカルが出産し、家族を支えるため懸命に仕事をしていた。
 だから、育ての親だった作詞家の故石坂まさを氏(享年71)が藤の再起のために「母と子をテーマにした作品はどうか」と提案。自ら作詞し、当時テレビの「必殺シリーズ」のテーマ曲を手掛けていた平尾昌晃氏(享年79)に作曲を依頼したというのが一般的で、この歌「母子舟/恋して母は」は、石坂まさをが藤圭子に贈った歌とされているが、筆者はそう思えないのである。
 むしろ恩師石坂に弟子である藤は、歌を歌って差し上げたのでは思うのである。だから、はじめから「売り物」ではなく、いわば石坂本人の「宝物」ではなかったのかと思っている。

 まず、「母子舟(おやこぶね)」を考察したい。
 歌詞は、1番から3番まである。
 一番目は、
 「川の名前は 悲しみ川で 漕げば艪が泣く 胸が泣く
  浮世荒波 女手ひとつ  越えて行こうね 今日もまた
  それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ 母子舟」
 とあり、石坂の母千江を髣髴させる。

 石坂の母千江は、夫(石坂の父)の澤ノ井音次郎が看板業を営み、石坂まさをが生まれる前には商売が繁盛し、十数人の職人を雇う程までになっていた。生活に余裕ができてから音次郎は女遊びにふけるようになり、千江のほかに8人の愛人を持つ。千江は子供を生めない体で、音次郎は愛人との間に6人の子供をもうけている。
 石坂は4番目の愛人の子で、愛人が子供を育てられなかったので、千恵が引き取り育てたのである。石坂は、子供ができなかった母千恵から、実の子以上に愛情深く育てられたと書いています。(「きずな」より)

 二番目は、
 「岸に咲く花 思いで花は 怨みつらみの 棘ばかり       
  生きて別れて おまえの為に 私ゃ水面(みずも)の花となる
  それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ 母子舟」
 とあり、ここにも、石坂の母千江を髣髴させるのだが...。
 
 藤圭子は水面を「みずも」と発音し「みなも」と発音しない。「みずも」は「水藻」(すいそう)を連想する。何か意図があったのかそれとも誤読だったのかは不明だ。どちらも土の上に咲く花ではなく、浮き草のように生活が不安定で落ち着きがない状態を表し、「おまえのためなら命も惜しまない」と言う強い意志が感じられ、尊敬と感謝があふれ出た詩である。

 しかし、石坂は母千江とは「生きて別れて」はいない。そうすると、一番の歌詞は母千江であり、二番の歌詞はむしろ生みの母親、つまり父音次郎の4番目の愛人(映画館の切符売りの女性、名字がナナメギと言う女性)を詩ったのではともとれるのである。
 もしかしたら、4番目の愛人が「我が子」を正妻千江に差し出す心情を唄ったのではないか。千江は石坂にこの経緯を教えたのかもしれない。

 三番目は、
 「誰かが浮かべば 誰かが没む 月と木の葉の人生さ       
  可愛い おまえの指さす彼方 夢があるのさ いつの日も    
  それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ 母子舟」
 とあり、石坂の母千江、生みの親、そして藤圭子をも髣髴させる。

 「浮き沈みは誰もが経験するものだけど、子どもがいるじゃないか、夢があるではないか」と自分に言い聞かせ、母たちの想いを藤圭子に説き聞かせ、純ちゃん(藤圭子)には「ヒカルちゃんがいるじゃないか」頑張れよと言う感じもあるのだ。

 藤圭子の歌唱は、これらの語句を力強く唄っている。石坂の胸に何が残り、圭子の胸には何が残ったのであろうか。

 次に「恋して母は」を見てみよう。
 内容は、「母子舟(おやこぶね)」とはかなり違っている。

 歌詞は、1番から3番まである。
 一番目は、
 「可愛い おまえに 化粧がが少し 派手になったと 
  言われりゃ辛い 隠すつもりは 更々無いが 
  口にゃ出せない 貴方の事は 
  ごめんね ごめんね おまえの幸せ願いつつ
  母は女の恋に泣く」とある。

 この詩は母子家庭での母と子が主役で、母が恋をしてしまい、何故か子どもに謝っている。
 この歌は完全なフィクション(作り話)とも思えるが、そう思えないところもふんだんにある。
 普通、母子家庭の母が恋をすれば、子どもと母親と恋人との家庭を希求し、子どもに謝ることはしないはずだ。それなのに子どもに母が「ごめんね」と誤っている。だとすると、禁断の恋なのであろうか。

 二番目は、
 「雨の降る日は 裏窓灯り しのび逢うほど 二人は燃える
  帰らないでと 甘えていても 酔いが冷めれば 心が痛む
  ごめんね ごめんね おまえの寝顔を想う度 母は女の恋に泣く」とある。
 「雨の降る日は 裏窓灯り しのび逢うほど 二人は燃える」とあるから、この母子家庭の母親のもとに恋人が訪れ逢瀬を重ねている様子がうかがえる。しかも、「酔いが冷めれば 心が痛む」とあるから、普通の恋愛でないことがわかる。

ここで疑問が出てくる。
 第一に、完全なフィクション(作り話)であれ、何故藤圭子に歌わせるのかと言う疑問である。こんな歌を藤圭子が心を込めて歌えるのかという点であり、歌わせて良いのかという点である。ヒカルさんを産み希望を持っている藤圭子には、絶対に歌わせるべきではないと思うのである。筆者はいかに「怨歌」の名手と言えども可愛い娘を持つ母に歌わせべきではないと思うのである。

 第二に、フィクション(作り話)であれモデルがあるはずだ。例えば「銀座の女」とか「ネオン街の女」とか主人公の顔がみえるものだが、ここにあるのは、母と子それに母の恋人であり禁断の恋をしていることだけである。しかも、この恋人と子どもの間には親子感が全く感じられない。何故なのか?

 三番目は、
 「他人の噂や世間の指は 耳と この目を 塞げばいいが
  肌に残った貴方の匂い 嘘はつけない おまえにだけは
  ごめんね ごめんね おまえの幸せ願いつつ           
  母は女の恋に泣く」とあり、「肌に残った貴方の匂い 嘘はつけない おまえにだけは」とあるから、子どもへの背徳と恋人への男女関係の執着が感じられる。そして一番から3番まで「ごめんね ごめんね」と我が子に謝り、「母は女の恋に泣く」で終わっている。

 例えばこの歌がお妾さんの詩で、パトロンの間に子をもうけるが、その後この女性が本当の恋愛に目覚め、妾の立場を捨ててでも、女の愛に生きようとするとき、パトロンの間にできた子どもへの不憫さ詫る女の姿なら理解できる。(「愛人が子供を育てられなかったので、石坂を千恵が引き取り育てた」ことも肯ける)
 私には確信はないが、父音次郎の4番目の愛人(映画館の切符売りの女性、名字がナナメギと言う女性)、つまり石坂の生みの母親を詩っているのではないだろうか。そう考えると腑に落ちる。育ての母親への絶対愛と産みの母親の憐憫さを踏まえた歌なら、藤圭子も納得し歌うはずである。

 以上、想像の域をでないが、もしそうならこの歌たちは、石坂まさをの作詞の原点なのかもしれない。そして、自らのために弟子の藤圭子に歌っていただき、自らの「家宝」にしたに違いないと思えてきたのである。それならば義理堅い藤圭子に似つかわしく、師弟愛の「誠」を感じる歌たちなのだ。

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