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古富士道を舐めたらあかん!

旧甲州街道、旧中山道と踏破したから次は旧東海道だ!そう思い立ったが吉日。ガイド本買って地図アプリでルートをトレースしたりしてモチベーションが上がる。江戸時代に整備されたいわゆる五街道というのは今で言う国道。宿場も単に泊まる場所というだけではなく軍事的な砦の昨日もあっただけに記録もたくさん残ってるし、沿道の人口も多いので、新しい道ができても生活道として使われてきた。なので保存状態が良い。峠越えとか山の中の道は生活道ではないが近隣の集落の人達が歴史遺産として保存してることが多い。なので旧道、古道を辿るのはそんなに難しいことではない。古富士道もそんなノリで考えていたのだが・・・

そもそも「古富士道」と呼ばれる古道を知った切っ掛けはというと、日本のワラーチ界の大御所木村東吉さんの発案で「富士五湖を繋ぐトレイルマップを作って多くの人に富士五湖の魅力を知ってもらおう、そして楽しんでもらおう」という最近始まったプロジェクト。その企画zoomミーティングの時にメンバーの一人が「富士古道というのがあるんだよね」と言う。旧道とか古道と聴くと瞬時にスイッチが入る。早速ネットで調べると「古富士道」のいうのが見つかる。富士古道ではないけど確かに古道だ。大月で甲州街道から分岐して富士吉田の北口本宮浅間神社まで。富士五湖からは離れちゃうけどまぁええか。五湖の外と中を繋ぐ道も大事やろ。とは言え実際にその道を辿るにはルートガイドが必要不可欠。調べてみると一冊の本に辿り着く。即購入。

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中を見ると地図と写真ばっかりで文章はほとんど無い。マニアックな本だ。古甲州道もむっちゃ気になるが・・・

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地図は国土地理院の2万5千分の1の地図がベースになっていてルートが赤線で書いてある。写真は古道の証でもある神社や石仏。その位置が地図にマーキングされてる。ガイド本を手にするといつも思うんだけど、歴史書を読んだり、実際に歩いて口コミ情報を入手したり、膨大な時間を費やしてこの本を出版社してくれたことに感謝しかない。この本を見てその道を辿る苦労など、この本を書く苦労に比べれば無いに等しいとさえ思う。

これまで旧道、古道を辿る時は「キョリ測」というロード地図ベースのスマホアプリにガイド本を見ながらルートそのものを埋め込むんだけど、マイナーな山道はロード地図には書いてない。五街道クラスなら山道でも道としてしっかりと保存されてたりすることが多いので、ほとんどのルートはロード地図で追えるんだけど、今回はかなりマイナーな山道を含むのでロード地図では追い切れないことが分かる。そこでやり方を変えて登山で使っている2万5千分の1の地図がベースのGeographicaという地図アプリに、主要な分岐点をマーカーとして埋め込む。マーカーだけだとルートが分かりにくいのでネットから2万5千分の1の電子地図をダウンロードして紙に印刷しルートを色鉛筆でなぞっておく。これで完璧、絶対辿れる!

6月19日、始発に乗って大月駅に7:55に到着。あいにくの雨。レインウェアを着て出発する。しばらくは甲州街道を甲府に向かって進む。甲州街道は“鳥の旅”で3回走ってるので通ったことあるはずだけど通過するのはいつも深夜だったから景色の記憶が希薄。

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大月追分発見。久しぶりの旧道に萌える。追分というのは街道と街道が交わるところ。ここを曲がると谷村路。その先で古富士道と合流する。今回は古富士道を辿るので曲がらずに甲州街道を進む。ほどなくして下花吹宿の立派な本陣。

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さすが五街道の一つ甲州街道だ。

しばらく進むと尾曽後峠(鎌倉街道)の案内板。ここからがいよいよ古富士道だ。

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古富士道なのに鎌倉街道なの? 後で調べたところ鎌倉街道とは鎌倉時代の「いざ鎌倉へ」の号令で四方八方から鎌倉へ向かう道のことで関東周辺に鎌倉街道と呼ばれる道がたくさんある。古富士道と重なってはいるがどこからか離れて鎌倉へと繋がる道があるのだろう。いつか辿ってみたいなと思う。

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案内板を確かめつつ峠を目指す。旧道というより古道の趣き。

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案内板の示す先は薄暗い森の奥。多少恐怖を感じるが行くしかない。

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それなりに踏み跡があるので一安心。と思ったのも束の間。

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道を見失う。道らしき踏み跡はあるので進んでみるが途中で切れてるし方角が異なる。五街道並みに道が保存されていると思ったら大間違いだ。戻ってやり直し。道は無いものとして考える。道なき道はOMMで慣れてる。こういう時は地形と方角を確かめてルートを考える。次のマーカーは尾曽後峠。峠というのはピークとピークの鞍部(コル)にある。また谷と谷が両サイドからぶつかるところでもある。現在位置は谷と尾根の間のキツめの斜面の中腹。GPSで現在位置がわかるって本当に有り難い。谷から行くか、尾根から行くか、そのままトラバースするか。植生も見ながら判断する。経験的に谷はなるべく避ける。トラバース気味に尾根の方へ上がりつつマーカーへアプローチすることにした。雨で泥濘んで滑りやすい斜面なのでワラーチと足裏の間に泥が侵入していてワラーチが安定しない。足とワラーチが地面に対してバラバラに動くので全体重がワラーチの紐に集中して物凄いテンションが掛かる。そして右足のワラーチの紐がプチっと切れる。久しぶりにやっちまった。

過去のそんな経験を元に改良を加えた革紐のワラーチ。紐が切れることはないと過信していた。走った後もたいしてメンテナンスもせず放ったらかしだったし経年劣化して切れやすい状態だったに違いない。新しい紐に交換してたら切れてなかったはず。大いに反省。切れてしまったものはしょうがない。立ってるのもやっとの急斜面で荷物を下ろして予備ワラーチを取り出すのも面倒なので両足のワラーチを脱いで裸足になる。

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泥濘んだコンディションだとワラーチより裸足の方が地面を掴めるし冷やっとした土の感触が気持ちいい。ようやく峠に辿り着いて予備ワラーチ(トレイル用ではない)に履き替えるも今度は外踝側のソールの穴が切れた。元々の加工が悪く穴が端に寄り過ぎてたせいだけどよりによってこんな時に切れるとは。しょうがないので最初のワラーチを補修する。巷で井関結びとか呼ばれてるのだけど、鼻緒と踝と踵まわりの紐が全て二重になってるので解くとかなり長い。一般的な結びで150cmのところ井関結びでは180cmくらい。なので二重のところを一部一重にすると、切れたところを結び直してもまだ紐が余るくらいの余裕がある。と偉そうに言ったけどその時にその効用に気づいた。特別なポシェット革紐で単価が高い上に長いから高コスト。でも切れた時に結び直せるから価値あるなと自画自賛。

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峠の看板を見ると「国道20号(難路)」って書いてある。確かに難路。いや路(道)が無いんだから「難所」やろ。次回は「むすび山経由大月駅」ルートにするのが無難かも。

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峠の近くにあった「御内裏神社」。けっこうヤバかっただけに道中の無事を本気で祈願。

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峠を下ると墓地が見え視界が広がる。いきなり想定外の難所でどうなることかとヒヤヒヤしたが何とか切り抜けることができて胸を撫で下ろす。

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集落に降りると稲村神社という渋い佇まいの神社がある。こうした歴史建造物は一つ一つ立ち寄ってゆっくり確かめたいところだが峠越えでだいぶ時間をロスしたので先を急ぐ。

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集落の道の脇に水路があって清らかな水が流れていたのでワラーチを履いたまま足を洗ってリフレッシュする。ワラーチならではの快楽。

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集落を離れ再び山へ入っていく。途中リニアの高架の下をくぐる。最高速と最低速が交差する。

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山の斜面をトラバースして舗装路が続く。途中に小さな社があった。古道を感じる瞬間。平坦な桂川の川筋を通らずにわざわざ山側の道を通ったのは、桂川がたびたび氾濫して渡れないことが多かったからだそうだ。

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途中で視界がパッと開け都留市街を遠望する。

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いにしえの人々も同じように脚を止めて眺めたであろうと思うと感慨深い。

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7人の仏さんが彫られた珍しい石仏がある。領主の非法を幕府に直訴した7人の庄屋が処刑され、そのことを哀れんだ農民が祀ったそうだ。

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その先を少し進んだところに石仏がずらっと並んでいる場所がある。新しいものは昭和の年代が記されている。大正、明治もある。古いものは浸食されて何が書いてあるかわからないけど、これだけたくさん並んでるということは相当な年月の積み重ねなんだろうと思う。どの時代の人も神様を大切に思う気持ちは同じ。無宗教とかって揶揄される日本人だけど石に宿る神を信じる気持ち、平和を祈る気持ちはいにしえの時代から変わらず受け継がれてるのだ。きっとこれからも。宗教が原因で殺し合うならそんな宗教は要らない。石にも木にも水にも空気にも万物に神は宿る。それでいいじゃないか。

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ようやく桂川に近づく。氾濫したら怖いんだろうけどそうでなければ川は癒しだ。

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再び集落に入る。この集落にも道の脇に水路があって清らかな水が物凄い勢いで流れている。この辺りで気づいたけど富士古道は大月から日本一高い富士山に向かってるんだから基本的にずっと登り坂なんやね。走る前に気づけよって感じだけど、平面の地図を凝視しながらも距離が長いだけに等高線では高低差を読み取れず・・・いやいやそういう問題じゃないか。

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集落を抜けて峠越えの山道に入る。入口がブッシュになって分かり辛かったが地図を信じて突き進むと明瞭なトレイルがあって一安心。

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心地良いトレイルだ。時々不明瞭なところがあるのでGPSで現在位置を確認する。逆に明瞭なトレイルの上にいるのだけど地図の破線ルートから外れてたりするから戸惑ってしまう。トレイルが無くとも地図の破線に沿っていれば間違いないと思って進むと低木が生い茂り不安になって元に戻ったりもした。

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結局、明瞭なトレイルを進みつつ目的の方向から離れ過ぎないことを何度もGPSで確かめながら前へ進む。

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地図に破線があるからと言って、そこに道があるとは限らない。地図読みの世界では基本的な知識だけど惑わされてしまった。

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峠を越えて集落に差し掛かったところに御嶽神社という立派な古刹がある。ガイドブックによると秩父御嶽神社の御分霊を祀っていて木曽御嶽山を本山とする山岳信仰だとのこと。古富士道は秩父からの古道(秩父大道)と繋がっていて交流が盛んだったため道筋に御嶽神社がいくつかあるそうだ。

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川筋の集落を離れ再び峠越え。舗装路なので問題無いだろうと思ってたらゲートが閉まっていて立ち入り禁止の看板が。この程度のことで諦めるわけにはいかないのでゲートが切れたところから中へ入って先へ進む。

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しばらく行くとトンネルに遭遇。照明は無く仲は真っ暗。出口の光も見えずなんだか嫌な感じ。本当の古道は山を越えたはずなんだけどトンネルの上はゴルフ場(私有地)なので通れない。怖いけどここを通るしかない。もしかしてこの世とあの世の境界線だったりしてここで消息を絶ってしまったらどうしよう。マジでそう思ったのでfacebookに足跡を残そうと投稿しておいた。

「難易度高くて時間掛かる。
今ここ。
天神トンネル入る前。
漆黒の暗闇。
ヘッデン減らすけど恐ろしい。
行くしかない😓」

「今ここ」ってGoogle mapで現在位置のリンクを貼ったつもりでいたようだけど実際は貼ってなくてほとんど意味無かったみたい。天神トンネルと書いたってそもそも使われていない道のトンネル名なんか地図に書いてないし。

覚悟を決め、ヘッドランプを点灯してトンネルに入る。思いの外、短くてすこし進むと出口の光が見えた。

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しかし想像力というのは厄介なもんで出口が見えてるにも関わらず背後から何かが追い掛けてくるんじゃないかと思えて鳥肌が立ってしまう。小走りでトンネルを抜ける。

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無事にトンネルを抜けて舗装路を行くと今度は行き止まりの看板。はぁ?って感じ。ずいぶんと立派な舗装路なのに何で? まぁ舗装路じゃなくてもトレイルはあるだろうと思いきやどうも途切れてる。

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地図を見るとこの先が崖になってる。もうちょい手前で舗装路を離れて地図にある破線ルートに入ろうとかと思ってたけどそれらしき入口が分からなかった。古道は夏狩集落にある神社の方に続いてるのは確かだろう。行き止まり地点から崖に沿った方向の破線ルートを辿る。

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しかしのっけから藪漕ぎ。大丈夫かと不安にになる。

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藪を抜けたら今度は崩れかけた斜面をトラバースしなきゃならない。斜面の下は崖。これは命掛けかも。木の根っこや枝を掴んだりして崩れた箇所を山側から迂回してクリア。もし枝が折れてたら・・・恐るべし古富士道。距離が短いからって舐めたらあかん。

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夏狩の集落に入ると個性的な建物の神社がある。十二天神社というらしい。立て看板の説明書きによると、入母屋造りの正方形の一間社で彫刻が素晴らしいとか。じっくり観察したいところだが時間も押しているので旅の無事を祈って先を急ぐ。再び辿る時にはじっくりと鑑賞したい。

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毎度のことだが水路で足を洗ってリフレッシュ。

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古道というより旧道という感じの素敵な道が続く。しかしずっと登り坂なのでペースが上がらない。

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道に沿って小さな田んぼが連なってる。道の両脇にはやはり水路があっていちだんと勢いを増して水が流れている。水路に板を立てて水を堰き止めて田んぼへ水を引き入れる。この辺りの田んぼにはポンプは無縁だろう。そして一年中、水が絶えることがない。富士山の恵だ。

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富士吉田に近づき集落が街に変わるにつれ、道沿いの石仏(馬頭観音、道祖神など色々)や道標が増える。

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風雨雪を耐え抜いた石仏。行き交う人々をずっと見守ってきたのだ。これからもずっと。

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旅もいよいよ大詰め。浅間神社へ続く長い長い一直線の道。写真だと分かりにくいがダラダラと続く登り坂。走っては歩き、歩いては走る。前に進みさえすればいつかは辿り着く。

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でっかい鳥居が見えた。金鳥居と呼ばれている。立て看板の説明によると俗界(日常的な世界)と神聖な富士山の「結界」として建てられたそうだ。神の山の門。

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晴れてたらこんな風に富士山を拝めたのだろうか。

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宿場町の風情が残る上吉田には、五街道の宿場では見かけない「御師」(おし)という文字がやたらと目立つ。立て看板の説明によると「御師」とは、富士山への登拝者へ宿泊や登山の世話をし、さらに祈祷によって神の仲立ちをする宗教者の役割を果たした人たちのことを言うらしい。この宿場は、富士山という神の山を参拝、登拝するためのベースキャンプとして栄えたのだと知る。

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宿場のメインストリートを登り詰めて左へ曲がると間も無く、北口本宮浅間神社の大鳥居に到着。山門には「富士山」の文字。ここからまっすぐ富士山に向かって登山道が続いている。

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まるで花道のような本殿への参道をゆっくりと噛み締めるように歩く。旅のクライマックスだ。

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本殿に一歩一歩近づく。

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ついに本殿に到着。ヤバいところもあったけど無事に踏破できたのは神の山、富士山の御加護也。

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本殿の左右には樹齢千年の御神木が圧倒的な存在感で佇む。いにしえの人々も自分と同じように、この御神木を感慨無量で仰ぎ見たに違いない。

Geographicaのトラッキングデータ

距離 30.8km 

累積標高(+)1301m(ー)799m

所要時間 7時間24分

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