久しぶり。
9/12
僕って本当に自分勝手。って思ったここ最近。人と関わる量が周りの24歳と比べて確実に少ない。友達がいない、とはまた違う。贅沢な悩みと言われるかもしれない。しかし僕にとっては大きな悩み事なのである。人なんてないものねだりの連続で生きている、そんなことはわかっている。けど自分に降りかかればそれは話は変わってくる。結局どんだけ理屈を理解したって悩むんだから。
どう説明すればいいのか。言語化するのが難しいが、簡潔に言うならば、周りと違うといったところだろうか。大人になればなるほど人間関係は浅く広くなるんだと思う。職場で会う人間。嫁や旦那の知り合い。飲み屋でいつも一緒になるおじさん。そうやって自分の中の世界が広がる。よく言えばそういうことだろう。だが、人はそれを浅く広くなんて言う。悪いことかのように。でも気づいた。誰も悪いとは思ってないんじゃないか?って。人間関係において狭く深くはみんなの理想である。でも理想論なんだから裏を返せば社会はそれを迎え入れてないのだろう。狭く、深く人と密になれば人々はそれをメンヘラだの、執着深いなどと貶す。初対面の人間とは打ち解けるのが時間がかかるし、かと言って仲良いフリをするのも我々のポリシーには反するからできない。それを見れば人相が悪い、協調性が無い、ソシオパスだ、なんて論点が違う悪口を言い始める。言っていないかもしれない、いや、多分そんなことは人々は思っていない。けれど我々にはそんなふうに言われているように思ってしまうのだ。なぜならみんなと違うから。
そんな自分を認めていいんだよ、そういう優しさを持ち寄ってくれる人だっている。しかし認めたところで何があるのか。認めたって何も起こらない。彼らのようにはなれないのだから。いっそのことお前ら、早くこっち側の人間のフリして楽に生きろよ、と強く言ってくれ。自分をイジってくれたような気がしてまだそっちの方が楽かも。誰かが言ってた。少数派と多数派、交わって多様性に変わるが、少数派同士で安心感を得る、と。結局は似たもの同士でかたまりたいのが人間の性なんだろう。最後は家族に助けを求めるのだってそうだ。親の事がいつまでも好きなのは似たもの同士だからだろ。
友達がいたって孤独感を味わうものだろう。孤独感とか焦燥感って何から来るのかな。社会から、僕は人間社会の平均点って考えてるけど、その平均点から離れれば離れるほどそういう感情を抱くのだと思ってる。人間社会においての点数が低いのももちろんだし、高すぎても孤独に感じる。友達が多かったって、金持ってたって、いい家に住んでたって。友達がいないこと、貧乏なこと、毎日やりたくない仕事に行くこと、それと同じ。社会はお金持ってたり、いい家に住んでることの方が良いって教えてくれるけど、心にはそれは通じない。みんなの平均点から下振れしてる人、上振れしてる人、みんな孤独を感じてるのかもね。そんな事ないって人だっている。絶対にいるよ。それを「金で買えないもの」って言うんじゃないかな。金で買えないものを見つけるのは努力なのかな。奇跡なのかな。違う、似たもの同士を見つけた時なんじゃないかな。
産業革命が起こり、全世界と本格的に膨大な交易ができるようになってまだ200年も経っていないこの日本で、お金で人の心が動いたり、満たされたりというのはそう簡単にはいかないし、まだまだそんなのは先の話だと思っている。もっと本能的というか、直感に従った方がいい人生が送れるのかもしれませんね。
最近特にこんなことばっかり考えている。答えは死ぬまで出ないと思う。というか出ては困る。パターンができたらもっと生きづらい世の中に感じてしまうから。冒頭に言った自分勝手という言葉。こんなことを言って誰も得しない。相手に言わせて見れば俺だってそう思ってるよ、私に言われても、状態であることは容易に想像できる。僕の心は僕にしか分からない。僕がどういう人間なのかは僕にしか分からない。人が評価する僕は僕には関係ない。けれど、この社会では人が評価する僕には価値があるみたいなのだ。高いのか、低いのか、それは知らないが。みんな人それぞれだ、と自分に言い聞かせていながらも、みんなみたいになりたい、そう思って生きている自分がいる。自分勝手だ。そんな葛藤を人にぶつけることがあれば尚更な自分勝手だ。最初に具体的な例を挙げてモヤモヤを言語化しようとしたけど何を言いたいのか、どうして良いのか、まだ分からない。みんなと一緒が良い、平均点に近づきたい、そう思っているのには間違いは無い。こんな考えても考えても答えの出ない悩みを僕はいつまで抱えるのか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?