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戦う理由。

最近、自分自身を見つめる時間が多かった。

ちゃんみなの曲にハマっていた2ヶ月ほど前、急に自分の過去に嫌気が差した。

いや、急じゃなかった。ちゃんと前触れはあった。

12月に仕事でクライアントに「50万の損失出てるけど御社払ってくれるの?」と言われたことがあった。

毎日毎日年末年始なんて関係なく、管理画面を見つめていた。先方に詰められて、感情がなくなった。何も思わなかった。

仕事納めの次の日に、カラオケオールで行ったディズニーは死ぬほど泣いた。

おかしい話だが、クリスマスもお正月もディズニーも幸せを願うものだと気づいていなかった。ディズニーで遊んでいる人がみんな幸せを願っていてとても尊く見えた。こんな自分でも幸せになって良いのか、あのミッキーマウスは私の幸せを願っているのか、と思うと嬉しくて泣いてしまった。

1月に入って仕事が落ち着いた。なんなら自分のペースで仕事ができるようになった。

その時、大学時代にインターンをしていた場所を訪れた。大学3年夏にTwitterでDMを送って上京した過去、1畳のスペースにベッドもなく寝たあの日々、シャワーは水だったあの日々を思い出していた。

おかしいと思った。

いつからディズニーに行って泣くような精神状態になったんだ。

いつから感情がなくなったんだ。





そう、上京してからだった。

愛媛の人と仕事をしていると思う。純粋だなと。

尊かった。

良いなと純粋に思った。

こんな感情にならずに過ごすことができた人生があったのかとおもうと、自分の人生は正解にできなかった。

上司に時々、「芳野ちゃんは肝が座っている」「頼もしい」「人前で話すのうまいね」と評価いただくことがあるが、それはとても嬉しいがあまり嬉しくないという複雑な感情になる。

私はもっと可愛くてか弱い女の子として生きていきたかった。恋愛もたくさんして幸せな人生を送ってみたかった。何もできてなくても日々を幸せに生きることができるような人になりたかった。

しかし現実は、"頼もしい"だ。上京してから今まで頑張ったことに、いつも自信をなくす。自分が欲しかったものとは違うものが手に入って、それを評価されているのだ。

友人は「それもそれでとても素敵なことなのに」と言った。
そうだが、それでは私の欲しいものではない。

しばらくて、自分の日記を見直すことがあった。

そこには、こう書かれていた。

私が他の人より劣ることに気づいたときは、劣るその部分を愛してくれる人を見つけなさい。そしてその部分を愛し、努力を惜しまず一生懸命に生きなさい。人を妬んだり、人のことを言ったりしなくて良いから、自分のやる事なす事に一生懸命に生きなさい。

響いた。さすが、自分だ。自分がこうなることを知っていたかのように、書かれていた。

人生は、社会や出来事から受けた影響と自分の感情との折り合いをつける日々だと思っている。

社会や様々な出来事は、時に自分の想定外期待を下回ることが多い。傷ついたり、不安になったり、怒ったり、悩むことだってある。そういったときに、また前を向けるように自分のものにしていく。これが折り合いをつけるという意味だ。

ー第一章 終わりー

こうやってまた折り合いをつけたわけだが、あるアニメを見ていたときに「人は自分を救済するために生きている。死ぬ間際にそれがわかるだろう。」という言葉を発していた。

私は特にそうだが、自分自身に自信がない。そして希望もない。
そんな思考だが、生きなければならない。

「生きるなんて行為に、何か価値があると思っているの?」

この言葉もそのアニメで言っていたが、共感できた。生きることも仕事をすることも意味を見出す必要はない。死ぬまでの時間を過ごしているだけだ。

でもこの言葉を聞いた時に思った。

じゃあなぜ頑張っているんだろう。なぜ上京もして私は戦っているのだろう。





答えは、あった。




母だった。

私は、母を幸せにしたいからだった。他にも理由はあるが一番の理由はそれだったんだろうなと思った。

私の母は、メンタルが弱い。おそらく鬱の可能性がある。だけど、看護師だから「病院に行ったら鬱って言われちゃうでしょ。」と診断を拒んでいる。

気持ちはわかる。だって親子だから。

私の祖父もそのような傾向があり、脳が萎縮し認知症でこの世を去った。

母は、学生時代によく「辛い」と言っていた。何が辛いとは言わなかった。こういう「辛い」はいろいろな意味が含まれていることを知っていた。

でも、私からしたら大好きな母だ。毎日幸せに日々を送ってほしかった。
前を向いて日々を過ごせるようになってほしかった。

だから、ピアノも頑張った。大学中退した兄の代わりに私立大学だけど絶対に卒業しようと思って卒業した。仕事も自分で見つけたし、できるだけ独り立ちして両親に心労をかけまいとしていた。

兄が大学留年したとき、両親二人はとても飽きられたような、諦められたような顔をしていた。あれは失望の顔なのだろうか。

私はその顔を見るのが一番嫌だった。

両親に失望されるのがどんなことよりも一番嫌だった。

だから、頑張った。迷惑はなるべくかけないようにしようと思った。

頑張れば、戦えば両親は、精神的な意味でそばにいてくれると思った。


以前、友達にあることを話したことがある。

私は、仕事を頑張らないと何も価値のない人間だから、みんなが離れていってしまうと思っている。と。

本気でそう思っていた。

私が、相手に何かプラスの影響を与えないとみんな離れていくと本当に信じていた。

相談を乗ったり、褒めたり、良い人だと思われないと誰も居なくなってしまうと思っていた。

その時に友人は、「私たちは、ゆきが頑張っているから一緒にいるわけではない。ゆきそのものが好きだから一緒にいるんだよ。」と言ってくれた。

嬉しかった。

本当に、嬉しかった。


今はもう母も実家で一人で楽しそうに過ごしていて、あまり心配はしなくなったが、愛媛に頻繁に帰る理由はメディアもあるが、母やルル(犬)に会いたくて帰っていることのほうが多い。

迷惑をかけると嫌われると思っているし、メンヘラだと思われたくないから、思考が深いことはあまり言わないようにしている。

この思考の深さは、時に怪物で時に私を幸せにする。


私は、それでも生きていかなければならない。


私が行動力の鬼になったきっかけ、吉田松陰の「あなたは人生の中で何を志していきますか。」という問いに対して、私はこう言うだろう。


大切な人を幸せにしたいと思うから。


ここでいう大切な人というものは、母だけではない。

BTSのRMの言葉で「あなたの苦しみや悲しみが100とするならば、私達が99,98,97...少しでも癒やすことができればいいなと思っている。」という言葉があるが、私もそう思う。


私の関わる全ての人の苦しみや悲しみを少しでも癒やすことができるように。


そのために私は戦う。



20220314.






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