徒然なるままに。後輩が休んでしまった、

後輩が休んでしまった。

そう。後輩が休職した。

個人的に、社内のメンバーが誰が休職しても何も思わなかった。休職する女の子を見て、そんな女の子の休んでいるストーリーを見て良いなぁ、と思うほどだった。

後輩は、入社する前から新大久保に遊びに行ったり、ノリも良かったので上下関係が嫌いな私は、いつもフラットに関わっていた。いつも誰とでも仲良しになって笑っている明るい子だった。

私たちの仕事

私たちの仕事は、流動性が高い。瞬時に対応を求められることも多いし、クライアントと未熟ながらに〇〇が要因で御社の広告の成果悪いです。ここを直していけば、成果改善します。と言わなければならない。

そして、逆も多い。クライアントから「なぜ成果悪いんですか?」とほぼ毎日聞かれる。この成果状況に関する見立てと要因、改善策をいただけますか。とすぐ言われる。

そんな切迫した環境の中で、夜遅くまで作業に追われ、土日も広告は配信しているので、なかなか気も休まらないのがこの世界だ。

もう気づけない、という喪失感と哀しさ

ある時、後輩とMTGをしていた。私から引き継いだ案件で、後輩がメインの案件があった。
カメラオフにして、きっとあれは今覚えば泣いていた。夜に資料作成を行なっていた気がする。

でも、泣いているの?と聞くに聞けなかった。後輩には後輩のプライドがあるから、こんな内容で泣いてるの?と煽っているように聞こえるかもしれないからだ。(私も泣きかけたことがあるが、その時励まされて無駄に腹が立ったから)

後日、後輩はちょっともう無理です、と上司に打ち明けていた。そりゃそうだよね、というところが私の心の声だった。仕事の量が、新卒の子に任せる内容ではないからだ。

その時に、私はすごく変な気持ちに襲われた。

ここからは揚げ足に聞こえるように感じるかもしれないが、本当に正直な気持ち。

このタスク量で、無理ですって声上げて良かったんだ。
ずっと騙し騙し仕事をしていたけど、この量で嫌だと言って良かったんだ。

そんな風に思ってしまったのだ。あまり良くないと思う。他人と比較することは良くないことだから。ただ、私は騙し騙し仕事をしていて、後輩は早めに声を上げた。その事実だけ。

ここで私は、後輩が涙を流していたほどの「辛さ」であることを、もう認識できなくなっていることに気づいた。そして、その「辛さ」に気づいてあげられなくなってしまっている(いや大丈夫でしょと判断する)ことに、とても哀しくなった。

仕事は誰のためにどれくらいやったらいいのだろう。

最近、それを悩んでいた。

ある人は、私の80%だと思っているパフォーマンスで「辛い」と感じることもあると思うし、なんなら、仕事なんてサボってなんぼでしょ、って思う人もいると思う。

人には重要視する価値観がみんな違うから、恋愛を一番大事にする人もいれば、仕事を一番大事にする人もいるから、皆が皆仕事に本気ではないことは知っているし、本気でない人がいるのは当たり前だと思っている。

じゃあどのくらい仕事をすればいいんだろう。

個人的にやっているメディアは、100%やれば100%自分に返ってくるし、やらなければ何も発生しない。

仕事は、やろうがやらないであろうが給料が毎月入ってくるのだ。

それならサボる方が賢いと思う。自分のエネルギーを浪費して労働の搾取をされるより。

ではなんで世の中の人がサボらないかというと、きっと仕事をやっている中で達成感だったり、チーム感だったり何かしら感じているから、そのためにやっているんだと思う。

そんな風に悶々と考えていて、ある人に相談した。

答えはスッキリとシンプルだった。

仕事を他人の評価や相対評価でするんじゃない。自己評価で仕事しなさい。

そう、自分が思う100%の仕事量をすればいいだけだった。120%できるなら120%できそうな時は、その基準を上げればいいし、無理、今日はサボるという時はその基準を下げれば良い。

自分の満足いくところで、仕事の基準を決めなさい、という話だった。

自分のキャパオーバーな内容なら、チームに相談すれば良い。そういうことだ。

でもまだ悶々とする理由

それは、誰かの、相手の100%を見極めるには、相当な眼力が必要なんじゃないか?と思った。

誰かの100%を見極めるには、どうしたらいいのだろう。

後輩を一番近くで見ていた、私が救えなかったのはなんでなんだろう。

そんなこと考えても無駄だし、そういうことは役員が考えることだと思うけど、
人は何よりも大事にすべきだから。

入社前、希望に満ちていた後輩をなぜあんな目に合わせてしまったのだろう。

どうやったら希望を持って仕事ができるんだろうと思っている。

騙し騙し生きることは正解なのか。

私は、社会人になってたくさんの試練を受けてきたが、読んでくださっている社会人の方もそうだと思っていると思うが、どんなに挫けても心折れても、明日には仕事に行かないといけない。

そのためには、捉え方を変えるしかない。そのために今までも捉え方を変えて、度重なる試練に立ち向かってきた。

さてはてそれが最近正解なのか、わからない。何のために、やっているのかわからない。

昔インターンしていた時に、「この選択が正解になりますように」とよく祈っていた。
将来の自分が正解にして欲しい、と。私も今そう思う。

今の選択や行動を、将来の自分が正解にしてほしい。

そう願っています。
ちなみに、今までの選択はほぼほぼ正解だと思う。

だからきっと、今の選択もこれからの選択も正解になりますように。


終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?