【スイクラ】14:古橋誕生日2022のツイート解釈

◆ 古橋さんお誕生日おめでとうございました。

当事者であることはさておき、今年の御礼ツイートですが。

美 艶 怖 何

威力がすごい。すごすぎて読み返さなくてもふとした瞬間に衝撃が蘇り続けて2週間が経ちました。なんだこの王子様。なんだこの表現力。「言葉にするのが苦手」(深愛小冊子)とは。

まだ呆然としてて細部まで見切れる自信がないし、見たとして幻覚だろうし、言葉にしてしまうと台無しなのでは……感もありますが、書きながらじゃないと思索が進まないタチなのと、古橋の魅力は遍く世に知らしめたいので、いい加減じっくり向き合いましょうかね……。

◆ 1ツイート目

美。

いやもう言葉を失うわ。推しが尊すぎてしんどい。もう帰りたい。すいませんがんばります。

誕生日については過去にこう証言されていますが、

誕生日が「嬉しい日」という経験を積めて、脳に焼き込まれて、「待ち遠しい」という気持ちが恐らく自然と湧くまでに至った古橋旺一郎、悦びを素直に言葉にできるようになった古橋旺一郎、それでも相手への気遣いを忘れない古橋旺一郎、末永く仕合わせでいてほしい。

待ち遠しくて「仕方なかった」、「本当に」嬉しかったと、強調の言葉が見られるのがまたHAPPY度の高さを伺わせてくれるし端的に言ってかわいいですね。古橋イズかわいい。100点満点中10000000000点ですありがとうございました。えっまだ2ツイートある。嘘でしょ……。

◆ 2ツイート目

なるほど赤い服の王様、人のハートを爆発四散させる御力は健在であらせられる。オーバーキルって言葉をご存じか、誰かお尋ねください。いや、この朴訥なお言葉で攻撃力が高すぎるのも面白いからこのままの古橋さんでいてほしいな。

生きる以上は苦しみも哀しみもつきまとうわけですが、そういうものに見舞われた時に慰めとなりうるものを手にできたなら、おつらい時に孤独の冷たさに震えずに済むようになったなら、私はこの日を記念日とせねばならない。誕生日は記念日だよ。そうだったね! すいません動揺している。

慰めになるものが手紙というのがまた良いなぁと思うんですよ。人の想いの込められた言葉の蓄積ですからね。

人の心ない言葉で傷つき、人を厭うようになったとはブログで言及されていたと記憶していますが(再公開してくれないかな……)、そんな古橋が「好き」と思える言葉に出会えたならこれ以上のことはありません。

恐らく匣の放つ言葉はまさに慰めにもなっていたんでしょうけど、開いた結果はアレでした。対して手紙を開いて得られる言葉は木漏れ日に喩えられるそうなので深愛グッドまっしぐらです。良かった良かった。TAKUYOサービス良すぎない?

ところで言葉に人格が宿るなら「君の言葉選びは(略)好きだよ」は「君の人格が好き」という意味になるし、「柔らかくて、そしてとても繊細」はもしかしたら女性性を指摘しているのかもしれず。となればこれは性的指向の対象だと告げている可能性もあり実質「Te queiro.」になります。古橋さんちょっと。なんという爆弾を。四散。王様。サービスが良すぎる。

※「Te queiro.」については0.9周年合同企画をご参照ください。

作中、あとツイートでも何度か、笑われると不機嫌をお見せしていたのはプライドの高さの表れと思われさすがは王子様。そんな古橋の「君になら笑われるのも悪くはないよ」は完全なる降服宣言ですし、視覚情報化するなら光差す中庭で手を取り跪いての尊敬のキスで古橋 オーバーキル

「気が滅入るようなこと」という表現と「柔らかくて、そしてとても繊細で」という言い回しがめちゃめちゃのめちゃに好きですね……。特に後者は読点と「そして」が溜めになってて「とても繊細」が効くんですわ…………美…………えっまだツイートあるの

◆ 3ツイート目

最後のツイート、昨日やっと嚥下できました。締めはともかく前半は物品の感想に終始してて随分あっさりしているような、と思ったら全然ですね。むしろ本領発揮じゃないですか。

・ トマトジュース

トマトは禁断の果実とされる説もありました。

スラブ語の中にはトマトを、「rajčica(rajとは楽園を意味する)」や「paradajz」など、楽園に関連する語で呼ぶ場合もあり、これを禁断の果実だとする地域もある。トマトは新世界からの渡来当初、毒のある実だとみなされていたこともあり、実際に「禁じられた果実」であったことがこの説の傍証ともされている。

Wikipedia「禁断の果実」

禁断の果実の話を簡単にまとめると、こんな感じ。

神のお膝元たる楽園で無邪気に暮らす、アダムという男とイヴ(エヴァ)という女がいました。
神は2人に「楽園にあるこの木の果実だけは食べてはならない」と告げますが、イヴは蛇にそそのかされ、アダムと共にその果実を食べてしまいます。
すると2人は自身が裸であることに恥を覚えて身を隠しますが、神に禁忌を犯したことを知られて楽園を追放されました。つづく。

果実は善悪の知恵の実とされ、食べたことで得たものは性やその快楽への自覚とも言われます。少なくとも楽園から追放された2人は夫婦となり人の祖先として子をなすというこの神話になぞらえると、女から男へ禁断の果実を贈るのは誘惑か求婚、あるいは両方に当たりそうです。

余談ながら、柘榴も禁断の果実とされる向きもあるようです。柘榴は作中でも語られたペルセポネによる黄泉戸喫の印象が大きいのですが、冥界の王ハデスが己の妻にするため与えたことを踏まえれば結婚式におけるファーストバイトや三々九度にも通じますし、夫婦関係構築のきっかけとなった禁断の果実と同質の物とも見なせます。

たしかブログで「トマトは味が好きだが色が」と言っていた記憶があるので(再公開されないかな……)、ツイートにもある通り赤くないから問題なくお召し上がりになれるよ良かったね! とだけ初見では思ってたんですが、安心して愉しめる禁断の果実って大丈夫なのか?

「透き通った」という表現は作中で何かあった気がするんですが、善性とかマリス対策とかだったっけ……? ちょっと思い出せないです。反省して復習してきます。

・ 蜂蜜

蜂蜜酒はギリシャ神話で「神々の酒」と尊ばれ、ヨーロッパでは1ヶ月家にこもって新婦が作る「催淫酒」で、ハネムーンの語源でもあるそうで。ここでも夫婦関係構築アイテムが出てきた。

またもや余談ですけど、いつぞやの誕生日の朝に蜂蜜入りホットミルクを飲ませようとしてたのもこの辺なんだろうなぁ。

・ 薔薇

薔薇と言えばロッサさん。弟を彷彿とさせるものを好みと言えるの良かったなぁ、なら薔薇の紅茶も赤いけど好ましく飲めてたのかなぁ、ということはこいつも弟をおいしく喰い物にするやつか相似的人格……イメージイラストで緑の布を踏みつけていただけはある……という思考なら城で出された飲食物≒黄泉戸喫かと思われますが、さすがに入浴剤は食べられないものだし、何となくしっくり来ない。

で、ちょっと調べました。この流れならむしろキリスト教と薔薇の関係ぽいですね。

4世紀の聖人アンブロシウスは「トゲは、アダムとイブがエデンの園で犯した原罪を忘れぬよう神が新たに加えた。一方、楽園を表す気高い姿と香りは残された」と説教したと伝えられている。

ばらの来た道「12. 聖母マリアとの出会い」

つまり自ら罪を数え棘を突き刺して来て、楽園を思おうにも赤い姿を見ることはできず帰ることはもちろんできなかった古橋さんが、贈られた香りでやっと楽園とつながるよすがを得られたし、苦難の多い地上であっても「君のお陰で日日が愉しい」し「君の笑顔で楽園と同じ悦びを得ながら生きていける」という解釈が成り立ちますね?

トマトが禁断の果実を示すという説の根拠が「楽園」を示す語で表されるからなら、薔薇の香りとセットで楽園そのものを手にできたと解すこともできそうです。

・ まとめ

ならば3ツイート目は求愛(誘惑)への受諾、感謝、そして求愛(誘惑)返しですね。すっご。すっごいな古橋。衝撃の艶。むせ返りそうなほどの色香。何だこの美しき罠。

さすがに恣意的な解釈に過ぎる気もしつつ、あまりに綺麗にまとまったのでこれで行こうと思います。しかしこれ読解力と知識を要求されすぎでは。でも明らかにスペイン語がわからない柘榴ちゃんに「Te queiro.」とのたもうて他者の解説を聞かせまいと耳を塞いだ前科があるので、さもありなん。大好物ですありがとうございます。

・ 「だから早く俺の側においで」

今回の古橋さん語録MVPは堂々のラストを飾った「だから早く俺の側においで」です。

内容はもちろん「早く」とかどこか急かすような響きがあるのが印象的で、3ツイートがんばって言葉にしたけどやっぱり行動で伝えたくてウズウズしてるような、かわいさと色気のハイブリッド、これぞ古橋旺一郎! と感じるところもなんですけど。

何より、口ずさんでみるとめっちゃくちゃ気持ちいいんですよ。

それもそのはず、すべて3音の文節の連続でリズム良く、文節の頭は「da/ha/o/so/o」と韻を踏み、しかも「だから早く」「俺の側においで」と内容ごと(?)に揃ってる。反対に文節の尾は「ra/ku/no/ni/de」とすべて母音が変化するので表情が豊か。それもア段から始まり、ウ段→オ段、イ段→エ段という流れはどちらも口をきつく締める形から弛緩させた形へと移行してるので響きの印象が柔らかくなる。はず。

特に最後の「おいで」は弛緩した母音の「o」と「de」、「い」はイ段に見せて発音はjで表される半母音と思われるので、すべての音が柔らかい。

まとめると、3音の連続と文節頭の韻で畳みかけつつ、文節尾の母音の変化でくどくさせず、柔らかい響きで伝えられます。芸術。

・「側」

あと気になったのが「側に」という表記ですね……作中だと「傍」で統一されていた気がするので。

漢語林で用例を確認したところ、

「傍」は、漢字1字の右半分(偏に対するつくり)……という意味だと半身感があるものの、物理的近くを差すものの感情は伴わない印象。橿野弟があまりに不憫なんですがそれはさておき。

「側」は、人が生きるうえでそばに置き活用するルール・物差しといった意味があるらしく。側近、側用人など、距離以上に信頼など感情面の近さを感じます。

文脈も踏まえると、ただ熱源として(寂しさを紛らわすために)横にいて欲しいんじゃなくて、自身が人として生きるための価値基準、あるいは信頼できる相手として共に在って欲しいという意味になってやはり求婚では?

と思ったら昨年も似たようなことを仰ってたし、

「側に」は過去にも用例がありましたね。

邂逅初日で神を否定した古橋さんが神の子の生誕日に「側に」いることを求め、そして己が生誕日のお祝い返しとして、神の懐に抱かれた始原の男女を引き合いに出しながら再度「側」を求めるの尊すぎてしんどい。

もっと言うと最後の言葉は明確に誘惑です。誘(いざな)う男と言えば日本の始原の男女ことイザナギとイザナミも彷彿とさせて、日本神話好きとしては五体投地案件に他ならない。ほんと末永く仕合わせでいてください。

◆ 全体

見逃せなかったのが2ツイート目と3ツイート目の「笑」に対する言及です。

「……君になら笑われるのも悪くはないよ」

「俺の悦びは君の笑顔だよ」

昨年の誕生日の解釈記事で私は、古く笑いには「悪意のわらい」と「仕合わせのえみ」の2種類あったと書きました。

「君になら笑われるのも」、つまり君の悪意なら受け入れられる。けれど「俺の悦びは君の笑顔」、つまり君との仕合わせが俺の悦びだという表明は、悪意と(恐らく性善説に基づく)魂の2軸が重要である『スイクラ』においては意義が深い。

でもですね。自分の手紙を木漏れ日に喩えられて、笑うとしたら悪意であるはずなくないですか。

昨年、私は「もっと古くは3種類という説もありそちらは置いておきますが、」と書きました。ここで3つ目の笑いの話をしなければなりません。

その笑いは「ゑらく」と記されました。読みづらいので以下は現代仮名遣いに直して「えらく」とします。

「えらく」は主に宴会のシーンで使われる語で、みんながどっと盛り上がっている時の笑いを表します。声をともなう笑いという意味では「悪意のわらい」と形は同じですが、その本質は「仕合わせのえみ」と同じ親和であり、さらに規模も大きいものです。

このツイートは大勢の見守る宴席での公開処刑ではないでしょう。基本的にはふたりの世界(概念)だと思いますが、木漏れ日は万人に降り注ぐ開かれた世界のものです。

そんな世界で笑うとしたら、間違いなく「えらく」でしょ。

何なら中庭の木陰でふたりで話していたらそんなことを言われて、嬉しくてくすぐったくてつい声をあげて笑ってしまった。その声に釣られて外野がふと目を向ければ、なんかふたりとも仕合わせそうだなと、つい笑顔になるかもしれない。そうやって仕合わせを広げる「えらく」なんじゃないでしょうか。

弟の乱暴に傷ついた姉・アマテラスは岩戸に閉じこもり、世界は暗闇に包まれてしまいます。そこでアメノウズメが踊ると神々が笑い、その声が気になってアマテラスは岩戸から顔を覗かせて外に引きずり出され、世に光が戻る……というのが天岩戸神話です。ここでの神々の笑いは「わらう」と振り仮名を振られがちですが、「えらく」とするべきではないか。という考えがあります。たしか。

さらに、アメノウズメはトリックスターで、太陽神・アマテラスの相補的存在とみなす人もいます。相似的人格の柘榴ちゃんと古橋、対存在たる王と道化師、半身などを思わされます。

これらを総合して古橋さんの「まるで木漏れ日のようだなんて言ったら、君は笑うかもしれないな」という言葉を鑑賞すると、

「たとえ君がまた朝の来ない城に閉じこもってしまうような悲しみに襲われても、君を慰め君だけの願いを叶えるオフレンダとして、君の柔らかく繊細な光を取り戻してみせる」

になるんですけど大丈夫ですかこれ。あまりに優しい世界なんですけど大丈夫ですかこれ。持てる知識をフル動員して解釈してるだけなんですけど都合が良すぎて正気を疑っている。けどこのまま行くしかない。

「脳が覚えてしまった」に始まり「俺の側においで」で終わるのは、「ぼうしつしたらどこへいく / けしてどこへもいけやしないよ」と対になっています。俺の脳が覚えてしまったので君の行くべき場所は俺の側だよとばかりです。

そして古橋の側にいればきっと笑顔でいられて古橋に悦びを与えられるし、時に「えらく」なら、幼き頃の彼が切に願った「皆の仕合わせ」も叶えられるのかもしれません。

美しい。美しい。今年も古橋は美しく深愛グッドは愛おしく『スイクラ』は素晴らしい。ありがとうございました。

<参考文献>
・ 三浦佑之『改訂版 神話と歴史叙述』
(わらい、えみ、えらくについて)
・ 『河合隼雄著作集 第2期 第6巻 神話と日本人の心』
(アメノウズメがアマテラスの相補存在という解釈)

◆ 補記:ロッサ

薔薇の棘は罪の責め、姿と香りは楽園の思い出とは、つくづくロッサですね。棘でひたすら兄の罪を責め、けれど古橋はちゃんと向き合わないし本人も姿は失われているから楽園に繋げない。ロッサと向き合いロッサが「消える」古橋深愛グッドでだけ、面影を匂わせるような残滓によって兄を楽園へと「帰還」させられると。

人は故人の声を真っ先に忘れるとのことですが、香りはよく記憶に残るそうです。

ロッサさん、お誕生日おめでとうございました。兄の隣で対存在として生き、兄と兄が心を砕いた皆を笑顔にしたいというあなたの願いも、どうか叶う世界でありますように。

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