【スイクラ】13:第4版(深愛グッド)感想

■古橋が尊すぎてしんどい。(挨拶)

Switch版はまず古橋編だけまとめて読み、それからVita版発売時に公式が提案していた密原→久瀬→日之世→古橋の順で各版を追ってきました。「飛ばしたら版ごとの違いに気づきにくくなるのでは?」との思いですべて通読したためえらく時間がかかってしまいましたが、発売からおよそ4ヶ月経った11月下旬にやっと心の故郷こと古橋深愛グッドに帰り着き物語もひとつの終わりを迎えました。

「真相グッドは?」という声は聞かなかったことにします。

長かった。実際にかかった月日はもちろんなのですが、唯一無二の我が終の棲家を離れる日々は心細く、公式の提示順で辿る道は険しく、Vita版から6年の歳月を経た目に映るものはかなしく、本当に長く感じたし「終わり」を向かた時の安心感よ……。

と、放っておくと延々と古橋の話をしてしまうのでそれは後にして。ええ後でもしつこく語りますが、その前に深愛グッド全体の感想をつづっていきます。

■心地よい闇もありつつ光あふれすぎて飲み込みづらい、いつものTAKUYO作品だった

第4版こと深愛グッドは一言でいうと「なんだこの光属性作品は」でした。スイクラはどうしても禍々しさとか狂気とか闇とか毒とかそっちばかりを注視してしまっていたので本当に驚いた。時として(というかおよそ古橋編以外)煙たくすら感じるほど善意に満ちた綺麗なお話で、いや煙たく感じる人間性だからこそ禍々しさとか(略)にばかり目がいってたんだろうな……。

第4版を目指すに当たって私は方針を、悪魔に抗うこと、オフレンダとの信頼関係を築ける……要はオフレンダに気に入られる言動を選択することと定めました。それはもちろん自分や、自分のイメージする橿野柘榴像と合わない選択をすることも含まれてます。そのため、始めた時は疑問が頭に過ぎっていました。

自分を欺き、相手にとって都合の良い存在になるしか、人としての仕合わせは得られないのだろうか? それは結局「男に媚びないと攻略できない」「ジェンダー規範の再生産」という乙女ゲーへの偏見を肯定することになるのでは?

けど初手である密原編でいきなり否定されました。相手の都合の良いお人形にならなくていい、それをやめた時にやっと人間関係がスタートする。おもねるのではなく、相手の好意を受け入れて好意を返すための言動を取る。ふたりで築いた仕合わせを周囲にも、悪魔にさえも向ける。それこそが人として悪魔に勝つ術なのだと。

いやはや眩しい。眩しすぎて根が陰気な私は「綺麗事を並べるんじゃない」と反発すら覚えた。もっと言えば親との関係の落とし所にも違和感があって、「親にこだわっちゃうのも子供だから」と結論づけちゃうのもどうかと思ったしそれを言葉にするのもなんかプレイヤーへの押し付けがましさを感じたし、それで同居生活を始めちゃうのかー……っていう……。悪いこととは思わないし、きょうだい関係が修復されてるのはほんと喜ばしいんですけど。

道化師も感謝されこそすれ、そして感謝されたことで彼自身が救われた部分もあれど、「もういらない」とばかりに訣別を選ばれてしまっているので彼は孤独のままなんじゃないかってのがやりきれなくて。

けど、だからこそ古橋編の良さが際立つようにも感じました。

■古橋深愛グッドはいいぞ(※いつものやつ)

まず道化師ことロッサが兄と和解できるのは言うまでもないのですが、柘榴ちゃんに受け入れてもらえるのは古橋編だけなんですよ。溶けて消えるかもしれないけど、それは冷たい孤独の中でじゃない。初版の転こと日之世編で道化師の心中に気づきずっと気にかかってたので、ここに至れた時は「やっと彼を救えた」と泣きじゃくってしまいました。

そして古橋編だけ、柘榴ちゃんは恋人との同居を始めない。それどころか現世での生活は何一つ変化が訪れてないんだと思うんですよ。でも遠く離れて暮らす古橋とのわずかな繋がりだけで、きっと日々を過ごす心境は全然違っている。その状況の変わらなさにこそ「彼女の人生において否定されるべきものなど何一つ無い」という“赦し”を感じられてほっとするというか。

柘榴ちゃんと親の関係も遠ざかっていないから、いつか王族双子のように和解できる日が来るんじゃないかなぁとか思えるんですよ。きっとその時は、あの日柘榴ちゃんがしたように、古橋が静かに見守りながら仲立ちをして。

あとはまぁ、喋らない古橋だからこそかもですけど、彼らの問題解決とそこに至った心境が変に語られずただ体現してくれるから、素直に見届けられたしここを目指したいと思えてありがたい。古橋深愛グッドはつくづくfor meだな……for meすぎて話し始めるときりがない……また改めてじっくり話すとして、『スイートクラウン』という作品全体を振り返ってみます。

■総括『スイートクラウン』と私

橿野柘榴は悪魔に呪われ神経をすり減らしながらも、そして他者への拒絶のためであったとしても、何でもない風に笑顔を浮かべて生きてきました。

その振る舞いはかつて、もしかしたら今なお、この国では美徳とされるものでした。けれど城に来てその美徳は否定され、仮面の下を暴かれ、仕合わせへの道を歩み始める。

属する社会の規範を否定するものは魔や邪とみなされるのが人の世の常です。そうした意味では橿野柘榴の「貼り付けたような笑顔」を否定するオフレンダ達もまた「悪魔」であり、どこをどう見ても『スイクラ』は「悪魔の物語」なんだな……と謎の感慨に浸りながら、このどこまでも厳しくて優しい物語を一旦閉じようと思います。

けど今度は改めて特定キャラだで全編まとめて読むという「縦断プレイ」でもまた新しいことに気づけそうだなとか、公式から新しく示された古橋→久瀬→密原→日之世でしたっけの順で眺めても面白そうだなとか、まだまだ見たいものはたくさんあるし、何せ古橋深愛グッドは我が人生の指標なので、年に1回は目を通して『スイクラ』という物語と自分とに向き合いたい。

実はVita版『スイクラ』はプレイ当時に抱えていた苦しみを終わらせてくれたものでした。終わりの先に進まねばならない私は『スイクラ』を過去にしなければならない。そう思って、敢えて避けながら生き続けた数年でした。

けど終わりを迎えて6年、改めて向き合ったSwitch版『スイクラ』は、今の私じゃ掴みきれないものがたくさん散りばめられていました。つまり向かう先、未来で待ってくれている物語になったんですよ。何なら未来に向かう今に寄り添いながら。

ならば彼らを過去にしなくていい。別れを告げなくていい。それが彼(ら)にとっても仕合わせなのだと古橋さんも誕生日に仰せでしたしね!

再演には犠牲がつきまとうようで目と耳とを塞ぎたくもなるし伸ばす手も止まるというものですが、こうなったらその犠牲すらも呑み込んで生きる血肉にするしかないかなと。思ってます。ええもう、人生を懸けてる別ジャンルでの思索にも『スイクラ』は超有用なのでこの手を離すわけにはいかないんだ……(しがみつきながら)

ブログ(note)はまだ書きたいことあるのでしばらく更新は続けます。

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