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【スイクラ】04:密原→久瀬→日之世→古橋順に見る起承転結と『スイートクラウン』

■7年目の移植版でやっと公式の言うことを聞きました

「ゲームとは自己実現のための箱庭である」という遊び方をしているため、ゲームでは自由度が高い方が良いしゲーム外の情報や他者に行動を制限されるなんてまっぴら! という気持ちがありまして。

Vita版発売前に公式推奨攻略順は目にしていたのですが「私のやりたいようにやらせてもらう」という信念(?)に基づきずっと無視してきました。

けどベタ移植だろうSwitch版(※1)をせっかく買うなら、Vita版とは違う遊び方をしてみても良いか。と、ここでようやく6年前の情報に従って密原→久瀬→日之世→古橋(→真相)の順で読み進めたところ“作者”の意図を猛烈に感じる展開になるどころか全編通して一つの物語だと気づいて脱帽しました。今回はその辺の話をします。

※1……蓋を開けてみたら古橋が相当「改変」されていて全然「ベタ移植」じゃありませんでした。その辺りの話は過去の記事0102で書いています。

■橿野柘榴の“カウンセリング”としての起承転結

ゲーム開始時点で主人公・橿野柘榴は、心を病んでいます。そのため精神活動が鈍く、ケイファの言葉を借りれば「個がない」。だからこそ欲が足りず《スイートクラウン》としては「欠陥品」となりました。

そんな柘榴ちゃんに課せられたことは「欲を高めて完全体となること」。具体的には精神活動を活発化させて他者(攻略対象)との結びつきを育むことでした。その観点でみると各編での課題は明確なように感じます。だいたいこんな感じ。

・密原編:自分の中の「嫌だ」を尊重にしよう
  ↓
・久瀬編:自分を尊重してくれる人と関わろう
  ↓
・日之世編:相手の心を尊重しよう
  ↓
・古橋編:相手のために行動しよう

大別すると秘劇編では自己受容、奇劇編では他者受容が課題だったように思います。真相でクランは「じぶんをだいじにできないひとは、だれもだいじにできないよ?」と言っているので、それに対応する順序になるかと。

この流れに起承転結を当てはめると、密原編に始まり(起)、久瀬編が密原編のいわば続編(承)。日之世編は冒頭で密原編と久瀬編のおさらいを猛スピードで行いつつ新たな課題を容赦なく突きつける(転)。そうして徹底的に鍛え上げられた主人公は、古橋を通して自己と他者とに向き合い「結」を迎えると。いやはや気持ちの良い流れです。

■道化師の物語としての起承転結

「見事に起承転結になってる」と感じたのは主人公だけでなく道化師の描かれ方もでした。だいたいこんな感じ。

・起-密原編:克服すべき悪魔
    ↓
・承-久瀬編:人の命を弄ぶ許容し得ない悪魔(「起」の補強)
    ↓
・転-日之世編:ただ人の願いを叶えたかった道化師は「悪」ではない
    ↓
・結-古橋編:明かされる道化師の正体

……王族双子信奉者としてはもう涙ぐんでいるのですが。これに気づいたとき作品のタイトルを改めて思い知らされました。

『スイートクラウン』。それは古き城に住まう悪魔の名。

これは悪魔の後を継ぐ(継がされる)少女の物語であり、かつて悪魔になってしまった少年の物語で……つまりロッサも“主人公”だったんですね。

■総決算としての真相編

橿野柘榴の物語にしろ、道化師の物語にしろ、課題に立ち向かうに際してふたつの道が用意されています。言うまでもなく深愛と歪愛ですが、要は「他者を思いやって“善”となるか、独りよがりに行動して“悪”となるか」です。

起承転結すべての物語において後者の行動を貫いた時にふたりの主人公は“悪”となり果て裁きを受ける。それが真相編なのだと思います。『スイクラ』は倫理が崩壊しているだの倫理観の強い人が倫理を崩して創った作品だの言われていますがとんでもない。流転する世でも変わり得ぬ勧善懲悪、因果応報を謳う倫理の塊です。

それが浮き彫りになるこの攻略順は、ゲームとユーザーとを信じるTAKUYOが敢えて提唱するだけある順番だったなと噛み締めています。

深愛と歪愛、そして歪愛からの真相については後日あらためて書きます。

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