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亡き妹のこと

6月24日は妹の誕生日。
思い出す瞬間は多々あるが、命日と誕生日が近づくと改めて彼女のことを考える。

2歳下の彼女は2018年に38歳で病死した。
今年生きていれば42歳だ。
「お前も40歳を超えた」だの「そろそろ中年と自覚しろ」だのとからかうことはできなかった。彼女は永遠に38歳だ。ずるいな。

彼女の病気が発覚したのは、彼女が16歳のころだった。脳の血管が生まれつき細いだかで、頭の中に血栓ができていたようだ。
急激に視力が下がり、精密検査を受けて発覚した。

16歳の女子高生が手術のため丸坊主になり、長時間の回頭手術を受け、夏休みを病院で過ごした。
当時、自分は「手術も成功したんだからもう大丈夫だろう」と思っていた。「野球部か」とからかい、坊主頭を隠すウィッグを拝借してふざけていた。

大丈夫ではなかった。

自分は本人から後年知らされたが、

先天的に血管が細いため、
この手術で大きな血栓は取り除けたが、
今後も同じ症状が起こる可能性がある

と医者からすでに言われていた。

母親が泣きながら「弱い子に産んでごめんね」と何度も侘びていたのを覚えている。

21歳のとき、彼女は結婚した。
こどもも産んだ。
「生き急ぐなぁ、おまえは」と言った覚えがある。
実際、生き急いでいたのだ。いつ死ぬかわからなかったから。

「死ぬまで生きる」が彼女の口癖だった。

いつ、また病気が再発するかもしれないという不安を10代でで抱えながら、通学し、吹奏楽部の活動に打ち込み、いくつか恋愛をし、結婚し、出産をし、息子を育て、仕事をした。
その間も通院は続き、脳に新たな血栓も見つかった。

やがて、脳とは別に腹部にも大きな血栓ができているのが判明した。
明日死んでもおかしくないし、10年後も生きている可能性もある、という診断だった。

場所的に手術が難しい
手術中に死ぬこともある
手術自体が成功しても後遺症が出て日常生活がこれまで通り送ることができないかもしれない

いろいろな可能性とどう生きたいかを考えた彼女は手術をせず、死ぬまで生きることを選択した。

彼女がこの世を去る1年前くらいに、私は知人に難易度の高い脳の血管手術ができる医者を紹介してもらい、彼女を検査入院させた。
医者からは、難しいかもしれないがチャレンジする価値はある、との言葉をもらった。だが彼女は悩んだうえで、それでも手術はしなかった。

手術を受けていたらどうだったか、を想像しても意味はない。結局腹部の血栓の方が耐えきれなかった。

とにかく彼女は死ぬまで生きた。
生き抜いた。

私は幼少期に「いもうとはぼくのたからもの」と言ってかわいがっていたらしい。3つ下の弟よりも。
高校は私と同じところを選んだ。私が大学に進学しても、手紙を送ってきたり、遊びに来たりした。お互いの恋愛相談をすることもあった。大人になり、たまに帰省したら、きょうだい3人と彼女の息子揃ってよく遊びに出かけた。

いっぽうで小学生の頃はしょっちゅうケンカをして、泣かすのはいつも自分だった。

葬式で初めて泣かされた。

今までずっと泣かしていたのに、
さいごに泣かされて勝ち逃げされた。

妹の誕生日が近づくと毎回こんなことを思い出す、という独りよがりなエントリー。

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