歌詞写経が好きだ

紙に書きたいという衝動

何もIT業界やエンジニアに限らず、社会に出ると多かれ少なかれパソコンで文字を打つ機会が増える方がほとんどだろう。ましてやプライベートでもスマートフォンでポチポチすれば文字が打ててしまう。紙に手書きをする機会なんて子どもの頃と比べるとグッと減ったのではないか。

僕は子どもの頃、あまりにも字が汚すぎて読めないという理由で半ば強制的に書道教室にぶち込まれたことがある。正座して硬筆と毛筆をかれこれ6年くらいやったと思う。そのおかげもあってか、意識をすれば人様にも読んでもらえる可読性の高い文字も書けるようになったが、エネルギーを注がなければ本来の汚い文字に戻ってしまう。

そんなこんなで、今の時代は書く機会が減ってありがたいこった、と思う反面、なんだか最近無性に文字を紙に書きたくなったもんだから不思議なものだ。宿題があるわけでもないし、何か書く題材が欲しいと思っていたところ「写経」という言葉を思い出した。

写経

本来は仏教の経典を筆で書き写すことらしいが、つまりは自分で考えた文章を紙に紡ぎ出していくのではなく、お手本や題材があってそれを真似していくことである。

どうせ書くなら好きな言葉がいいし、パソコンやスマホでそれらをわざわざ書くのも悪くはないが味気ない。好きな言葉は漫画や小説、はたまた詩集とかだと良さそうな気もするが、もっと身近なものがあった。歌詞だ。

歌詞写経

「あの曲いいよね」と話すとき、そりゃあ音楽だからもちろんメロディーのことを大抵指すことが多いだろう。人によっては、ベースラインがいいとかギターソロが最高とか、演奏や使われている個別の音色に関心がいくこともあろう。一方で歌詞に共感することだってあるわけだ。

おそらく多くの人が中学生くらいの頃にやっていたであろう「歌詞写経」は思い出すのも恥ずかしくなるような黒歴史に分類される面もあるかもしれない。実際、僕も恥ずかしい。でも、自分が好きな曲の好きな歌詞を自分でも書き起こして真似してみたいというのは自然な衝動ではなかろうか。

大人になった今、自分が好きな言い回しや単語を抽出してみたいなと思った時、手っ取り早いのは歌詞だな、と思うに至った次第である。

早速書いてみた

善は急げ、だ。僕は字が汚いから、文字の大きさを意識できる罫線ノートが望ましい。方眼紙だと味気ない感じがするけど罫線ならギリギリ大丈夫だし、必要だろう。

カフェで書くのも、自室で照明を落として没頭できる環境にするのも面白そうだ。書き始めると結構楽しい。すごく気に入った1行がある曲もあれば、全編を通して雰囲気が好きな歌詞もある。いくつか抜粋してみたい。

あぁ、とぼけた現実も原色で塗り替えてしまえ

出典
ワルツ / スネオヘアー(作詞:渡辺健二)

Cメロの部分だが、この短いフレーズに強烈に惹かれるものがある。「ワルツ」はメロディはもちろんだが、全編を通して好きな雰囲気の歌詞なので思わずほぼ全てをノートに写経した曲の一つだ。

見つめ合ってた君の瞳に
映る自分が揺れてる
とぼけた様に口を開けたまま
見つめ続ける君の瞳に
映る景色が変わった
僕の知らない新しいヒカリ

出典
スプリット / スネオヘアー(作詞:渡辺健二)

ワルツと同じく「ハチミツとクローバー」のED曲であるスネオヘアーの楽曲から。1番と2番の各Aメロで見事な対句となっている。愛とか恋とか好きとか直接的な言葉が一切出てこないのに、切ない別れが小説の様に描かれた「スプリット」の中でも物語に変化が訪れたことが如実に現れた比較である。

splitは「分裂」「割る」といった意味の単語だが、歌詞にも「分かれ道」という単語が出てくる。「僕」にとって「新しいヒカリ」が決してポジティブなものでないことに思いを馳せると、なんともいたたまれない気持ちになる。対句としても比喩(暗喩)としても、国語の表現技法の授業で取り上げて欲しいくらいの部分だ。

共鳴してく心に 音をたてて咲く 名前のない花

出典
みらいいろ / Plastic Tree(作詞:有村竜太朗)

歌詞だからこそできる表現というものにも惹かれる。日常会話や書籍などの説明文ではほとんど使うことのない表現が非日常感を演出してくれるからだろうか。文学的だとか詩的な表現と言うのかもしれない。

冷静かつ現実的に考えると、「心に花は咲かない」し、「花は咲くときに音を立てない」。しかし、これが歌詞であり、またメロディーと合わさると一気に表現として彩りを添えるのだ。こうした部分にそのアーティストにしかできない表現や個性というものが表れてくるから好きになるのだと思う。

余談だが、Plastic Treeには「名前のない花」という楽曲も存在する。意図してあるのかは分からないが、ファンとしてはニヤリとしてしまう引用とも捉える楽しみ方もできる。

書くことで分かる自分の言葉の好み

こうして紙に書き出してみると、自分の好きな言葉や文章だけが目の前に広がる状態となる。好きなものだけを目にするのは、脳にとっても気持ちにとってもいいことな気がしてくる。はたまた、見たり聞いたりした段階で好きだったはずのものが、より一層深く自分の中に浸透してきて理解度が増してきた気さえする。

色々と書き写してみたり、何を書こうか曲を探していると点と点が繋がって共通項みたいな単語や言い回しが出てくるのも発見だった。
例えば、
・紡ぐ
・散りばめられた
・彩られた
・繋いだ
・に面した
・瞳
・狭間
・人知れぬ(人知れず)
・木漏れ日
・うららかな
・儚く
・きらめく
・輝く
・ガラス
・透明
・浮かべた
・〜(だ)としても
・を思わせる
・〜すぎて
などなど。

単語の好みもそうだが、先に述べた対句や比喩(直喩、暗喩)や引用などにもどうやらグッとくる様だ。ことわざや古典をうまく取り込み、歌詞に落とし込んである「分かる人には分かる」垣間見える教養に気が付いた時に脳が喜びを覚える瞬間が確かにある。絵画でいうアトリビュートに気がつけるかどうかが楽しめるか否かの差に影響する様なものか。

書くことの動作性、運動性としての面白さ

久しぶりにわざわざ時間をとって紙に書く作業をしてみると案外楽しかった。嫌々やらされてる作業ではなく、なんせ好きな言葉を書き出しているのだから。それを差し引いても、動作としてこの単純作業は楽しく面白いな、とも感じた。きっと脳や心にもいい感じに響いているのだろう、と実感を得られたので、また休みの日にでもやってみようと思う。


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