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グリップされない生き方

地元グリップ

突然だがグリップという言葉を知っているだろうか?

グリップとは本来

▶Grip/1.つかむ[握る]こと、把握 2.握り、取っ手、 3.理解力、把握力、 4.注意を引く力、統率[制御、支配]力 という意味がある

ホリエモンこと堀江貴文氏は著書の中で特に4の意味の制御、支配力という意味で"グリップ"という言葉を使っている。

簡単に言うと、同調圧力や慣習、地域や業界に独特な考え方に支配・抑制されることをグリップと表現している。これは特別なことではなく国や民族、地域や企業、家族など至るところにこのグリップは現れる。

特に日本、少なくとも僕が育った地元は社会がグリップしてくる事が常だ。

例えば学校では勉強を先生の言うことを聞かない子供は"ダメ"な生徒として"指導"される。最近はどうなっているか分からないが、僕が学生の頃は生徒指導なる先生が竹刀を持ってそういう生徒を学校のルールに従うように一種の暴力でグリップした。

グリップされた人間はどうなるか?

まずその行動や考え方の本質、「なぜその行動をしてはいけないか?」「なんのための行動か」を考えなくなる。

そして、うまく言えないモヤモヤした違和感や無意識に植え付けらた恐怖感からグリップされていくのである。

これが当たり前になっていくと人は自らグリップされるようになっていく。

驚くべきことだが、一度グリップされた人間は考えるという事から開放されるので実は非常に楽に生きることができる。そして自らグリップされていくのだ。

さらにこれが発展するとグリップされない人間に対して非難したり攻撃したりする。自分が採用した考え方や生き方が批判されるのが怖いのだろう。自分が巻き込まれるだけでなく、他人にその生き方を押し付けてくるのだ。こういった構造が至る所にあらわれている。

僕の人生はこうしたグリップとの戦いだったと言っても過言ではないだろう。

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