好きだから、じゃなくて

今の感情しか思い出せないのが人間、というやつなんだとおもう。
いつから、どう好きだったのか。
そんなものは、思い出せない。

知の呪縛。
知るは、知らぬを知らぬ

好きじゃなかった頃、特に意識していなかった頃、そのとき僕はどんなことを感じて考えて想っていたのだろう。

これは、どうしたってわからない。
日記やSNSの投稿や他の人の記憶の中に情報は残っているけれど、そこにあるのは「情報」であって、「記憶」や「感情」ではない。
「情報」から「感情」を引き出すことはできても、それは今の感情であり、当時の感情そのものではない。

今の自分は、どんなに足掻いても「今の自分」という領域から抜けられない。
今感じていることも、今考えていることも、時が経てば変わる。忘れていなくても、変わっていないつもりでも、中身は変質していく。そういうものらしい。

ただ、それはつまらないことじゃない。

自分の感じていること、に正直であることが大事なんだ。

「昔は〜〜〜〜。」
「こういう経験があって〜〜〜。」

ではなく、その記憶という「情報」を自分がどういうふうに加工しているかが重要なんだ。そこに焦点を当てることで、自分の思考を言語化して理解できる。

例えば僕なら、

「最初にフラれた時から、常に”捨てられる””失う”怖さを持っている。自分の中に持っている情報と相手の中にある認識が違うことに怯えている。自分の中で、いかに相手にうまくやっていくかが重要になってしまっているんだ。それは、未来を向いた話じゃないし、自分から何かをしようという行動ではない。」

みたいなことをわーっと書き出すけれど、それって全然昔から思っていることじゃない。
常々というか、時々思っていることだし、そう思い出した起点があの経験にあることも事実。
それに、間違いなく恐怖と戦っているのが今の自分。

ただ、その恐怖は「昔が〜〜〜」じゃなくて、もっと将来に向かう考えの材料じゃなきゃいけない。
そこまでがことばにならない状態だけれども、だからこそ言葉にしなければいけない。

進め、進め、それを待ってくれる人だから。

恐れるな、怖がるな、自分が信じたいものを信じろ。

頑張る、疲れる、見えてくる。この順番だ。

向き合うことがしたいこと。
あちらからしたら、それは違うんだろうなぁ

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