具体と抽象。世界が狭い人は何もかも求める。行き来できないやつはポンコツ。世界がわかんないから。

会話が通じないやつはめんどい。相手にするのが1分の無駄だと思う。それなら、すれ違いの楽しい会話をしたい。
人の暗い雰囲気を見るのは嫌い。さわやかな挨拶で朝を迎えたい。

そんな日常を感じながら、性格だとか、ドライな人生だとか、仕事感だとか考えながら普段過ごしてます。

んで、具体と抽象(そして、割り切り)、やってるつもりですが、まあまあそうでもない人は社会にたくさんいる。

その人個人を否定はしない。
ただし、その人のワールドで許容されると思ってるのは、35歳くらいまでにしろよ!とか
そんな心の余裕はねーよとか。
バスっと落とすのんも、必要だなと思ったり。

んで、その本性は、素直さ、わかりやすさ、自分以外の自分じゃないとか、自分は自分を分かんないとか、そういう話につきると思われる。

んで、具体とか抽象的とか気をつかう気力もないので、スンとして冷たくあしらう世の中なんだよなーって。

今生きてる自分の世界が、君の世界の正解だと断言できないから言うけど、勝手につくってる君の世界と言いたい。

多分、君とは違う世界で生きているし、頑張ってね!って世界一雑な言葉をかけるしかないのよね。具体とか抽象とかの尺度で言っても伝わらない一種の諦めを感じてしまう。

まとめると、(時間の違いはあるぁ)興味ない好きになれない人間になんて、時間も金もかけられないってことなんよね。

残酷だ社会。せめて愛される人間になりたいよね。小学校の時に教えてもらった挨拶とか素直さとか大人の方が分かんない。ねじれた社会に立ち向かう気はないが、ねじれた人に向き合うのはまあまあしんどい。

伝え方とかどうこうっていうテクニックでもない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?