子ヤギの放牧についての諸々(野球少年観察記2)
週末はグランドに野球少年である子ヤギ8歳を放牧して、遊牧民風に紡いだり編んだりしがちな野球少年の母をやっています。
憧れを燃料にして先輩の背中を追って走る…少年。
俊敏な動き、良く通る声、大きな切れ長の目がキラキラと輝く。
走って走って限界まで走って、その姿を…見てない風を装いつつもハラハラして見守り、夕方回収して帰るのが私の動きです。それが毎週末毎週末。
そんな1年を過ごしてきました。
そしてこの2月から新年度になったのです。
少年が憧れ目標にしていた4年生が新5年生としてチームが別れて、上に行ってしまいました。
可愛がってくれる大好きな先輩に会いたくて、大好きな指導者に憧れて、毎週末を命の限り生きていた少年にとって、
送り出す立場の少年にとって、口には出さないまでも…それはさみしそうで、さみしいと口に出して言えたなら、もう少し楽なのでしょうけれど。
日曜日の夕方に次の土曜日までの時間を数えるような、しばらく前までの情熱の持って行きようが難しくて、毎日100、200と振っていた素振りが10や20になってしまって。
夕食後そそくさと素振りや壁当てに行っていたお尻が上がらずに、てきめんボールが取れなくなっていて、練習不足が私の目からもあきらかなのです。
でも新4年生以下チームの中では打つのも取るのもできる方で、だから…何をするにもチームのメンバーからの憧れのまなざしを身に受けて、声は出さなければならず、みんなを引っ張らなければならず、彼ができなければ野球が野球にならないので、指導者から求められるものは高くなり(練習不足は指導者からも見えてしまうでしょうね)自然に指摘を受けることも増えました。
…ショートを振られるなんて、兄でもない。父でも無かったはず。でも、今のチームの中でなら彼がせざるを得ないので、そんな様子を見て母は、胃をぎゅっと握られつつも母は…。「まだ、8歳の子にはかわいそうだ。」「抽象思考ができるのは9歳の壁を越えてからだし、彼はまだそれができていない」と…また、母はそんなことを考えながら気合いの坊主頭をなで回すのですが、当の8歳児は母親に猫のように可愛がられる事に多少居心地の悪さを感じるようになってしまったようで(それは、大事な成長ですが)身をよじって逃げていくのでした。
目の前にない憧れを作り追う事が、少し高いところにいる明日の自分を作り、追う事が彼にはまだできないだろうな?抽象思考ができるようになれば、多少容易になるだろうけれど…。それは、きっと、あとちょっとなんだろうけれど。
5年生の兄さんは、ちょっと大きすぎて、近すぎて目標にはしづらいんだろう。キャラクターも違いすぎるし。おちょくられてうざいし。
いのち知らずに、着地点を確認せずに全力でジャンプするような少年を、煽りグラウンドに放り挙げておいて落下地点で受け止めつつ、まるで本人が飛んで着地を決めた風を装うような…野球少年の母の私の一年は…また、新年度が始まったばかりです。
全力でジャンプする先を本人が見失っているせいで、落下地点がわかりにくくて逆にこわいわ。
悪いことは見てないふり、でも力尽きた時に逃げ込む安全な居場所として…グラウンドの日だまりや木陰で紡いだり編んだり…昨年はそうでした。
今年はどうあるべきかしら?
母子分離のタイミングもあろうところ。子の成長と共に考えどころです。
着地する時の着地点が安全な方が高く飛べるでしょ?
私である必要はないけれども。
悩みます。
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